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院長の独り言 277 ; 宇宙と縁について

宇宙は無限に大きく、宇宙の事を考えると『人間の存在は余りにも小さい…』と言う人がいます。
しかし、私はそうは思いません。
私が高校生の頃、仲の良い友人数人と夏休みに、信州の高原へと一泊のキャンプ旅行を敢行しました。
旅行した日は本当に天気が良く、風もなく、月も出ていなかったので、夜になると辺りは真っ暗闇となりました。
テントを張った場所には、他に誰もいません。
キャンプと洒落込み、もっと他のグループがいるかと予想していたのですが、生憎、誰もいません。
真っ暗で静まり返っているので、熊か、あるいは幽霊でも出るのではないかと、全員、流石(さすが)に心細くなりました。
みんな空(から)元気を出して、小さなキャンプファイアーを作り、その周りで肩を組み、大きな歌声を張り上げて景気付けをしたのです。
かなり時間が経ち、火も消えると、墨を塗りたくったように、辺りは真っ暗で、友人の顔はおろか何も見えません。
シーンとして音ひとつしないのです。
皆な興奮から覚めて、ふと天を見上げると降る様な星空。
空一面が、大小の星で一杯です。
『スゲーなぁ~!!』
全員で歓声を上げて、首が痛くなるのも忘れ、しばし満天の星空を見上げていたのです。
この光景は、『降る様な星』と云う以外、表現の仕様がありません。
実感として、小生、あらためて星は無限に存在すると確信したのでした。
一つ前のブログに書きましたが、地球外に知的生物体の存在を思わせる根拠は、今のところ皆無です。
この満天の星空の中、地球以外に、生命の存在を証明する星は、今のところ何も有りません。
勿論、ウィルスなどの下等動物は存在するかも知れませんが…。
しかし、現在の科学では、そのような兆候も発見には至っていません。
多分に私見ですが、この無限の宇宙で、地球以外に命を育(はぐく)む星は無いでしょう(独善?)。
唯一の生物が存在するこの地球で、その上、知的生物体の人間は、あまりにも奇跡的存在と思えるのです。
人間がいなかったら、人間が小さい存在と考える人もいない訳ですから、『小さい存在』もへったくれも有りません。
考えてみれば、人間ほど大きな存在は、この宇宙で、他に存在しない事になるのでは無いでしょうか。
これも随分前のブログで触れましたが、一旦、死んだ生物は、当り前ですが、二度と命を宿りません。
いつも思うのですが、最初の命は宇宙の何処で、どの様にして授かったのか、本当に不思議ですね。
果たして、それがこの地球だったのでしょうか…。
『無から有』など、この宇宙がどんなに無限でも、二度と起きないと思っています。
そう考えると、家族は勿論、スタッフ、先輩、後輩、患者さん、ひと言でも話をした人は、気持ち悪いくらいの『縁』があったのだと、いつも思っています。
そして、その縁を大事にしたいのです。

院長の独り言 276 ; 地球外生命体からのメッセージ!?

小生の一番の趣味は、満天の星が煌(きら)めく宇宙を観察する事です。
残念ですが、最近は都市の光が眩し過ぎて、昔のように、天の川を観れません。
それとも、日本社会が発展した証でしょうか。
宇宙のアチラコチラに、地球のように多くの生命体が存在して、宇宙は生命に溢れていると考えている科学者は多いのです。
一方、その真逆で宇宙は、地球以外には、ゾウリムシの様な下等な単細胞生物すら存在しない静寂な世界であり、地球だけが生命の存在する奇跡の天体と考えている人もいます。
宇宙の事を考えたり、天体望遠鏡を覗いて星を見ている時は、自分にとって本当に楽しい時間です。
随分、昔になりますが、新聞に大きく出た、ある記事がありました。
宇宙のある方向から、一定の間隔で、それも信じられない程の正確な間隔で、パッパッと送られて来る信号が発見されたと云う記事です。
『すわ!宇宙人からのメッセージだ!』と、天文学者を驚喜させた出来事がありました。
ところが、同じ様な信号を発信している星が、その後、続々と発見されてきたのです。
地球外の知的生物体からのメッセージなどでは、有り得なかったのです…。
パルス星といいますが、現在までに1600個ほど発見されています。
天体望遠鏡や電波科学の画期的な進歩により、ここ数十年間で、パルス星以外にも、宇宙の色々な場所でブラックホールなど、新しい発見がされました。
天文学者の研究から、このパルス星は、ブラックホールになり損ねた星と分かったのです。
恒星の中には、寿命が尽きる時に大爆発する星があります。
超大型恒星は大爆発して、ブラックホールになり、ブラックホールになれない程度の星はパルス星(中性子星)になります。
もっと小型の恒星は寿命が尽きると、光を放さない暗い星になり、静かに死んだ星になってしまいます。
パルス星から出る、正確な間隔で放たれる信号はパルサーといいます。
このパルサーは、パルス星が自転する過程で発生するのです。
この自転の正確さは驚くべきで、1年間の誤差は10億分の1です。
あまりの正確さなので、とても自然現象とは信じられなかったのは、当然です。
赤色巨星の寿命が尽きて、爆発した後に、中性子星が残るのですが、この中性子星は超高速回転します。
その時の過程で発生するのがフレア現象、即ちパルス信号と云う訳です。
太陽程度の大きさの恒星は、寿命が尽きる最後に、段々と膨張していきます。
そして、膨張の限界に達すると、大爆発を起こします。
大爆発をした時に、恒星の殆どは宇宙に飛び散ってしまいますが、残骸として残るのが中性子星なのです。
中性子星になるのか、ブラックホールになるのかは、恒星の大きさで決まります。
太陽には、ブラックホールになる程の質量はありません。
我々の母なる太陽の寿命は、約80億年と言われています。
現在、丁度、太陽が誕生してから、寿命の半分である約40億年が経過しているのです。
後、40億年経つと、太陽は火星の軌道まで膨張して、大爆発を起こし、中性子星になるか、あるいは、静かに収縮して、光が消え死を迎える事になるのです。
結局、規則的信号は、知的生物体の信号ではなく、ただの勘違いと分かり、未だ、地球以外の生物体の痕跡は見付けられないでいるのです。
無限と云われている宇宙には、地球に存在するような生物体は、果たして、存在するのでしょうか…。

院長の独り言 275 ; 納豆中毒

ほとんど毎日、我が家の朝食には、みそ汁と納豆が付きます。
勿論、それ以外に、日替わりで魚の煮付けなどの魚料理、目玉焼きなどの卵料理が出てきます。
白い飯も茶碗一杯食べます。
その話をすると、『よく朝からそんなに食べられるね…』と驚く友人がいます。
毎朝シッカリと、スタミナを付けているのです。
納豆は実家が東京なので、物心がついた時は朝食にいつも出ていたのです。
出ていない日は、何となく違和感を覚えるほどです。
よく言われる事ですが、関東に比べて関西では、昔からあまり納豆を食べないようです。
最近、納豆の効能の素晴らしさが、徐々に広まってきたのでしょうか、関西の人も納豆を食べる機会が多くなってきたようです。
ひと昔前までは、『水戸納豆』で有名な茨城県と比べると、関西での納豆の消費量は、十分の一にも満たなかったのです。
納豆は独特の臭いがするので、関西の人には、その臭いが合わなかったのでしょうか。
納豆は、ご存知のように、大豆を納豆菌によって発酵させたもので、所謂(いわゆる)、糸ひき納豆が主流です。
我が国では、11世紀の中頃、平安時代には存在していたようです。
その成分の『ナットウキナーゼ』は、健康増進効果があるとされていて、戦国時代、侍(さむらい)のスタミナ源として重宝されていましたし、戦時中や戦後は、主要なタンパク源として日本を救ったのです。
また、納豆は元来、精進料理としてお寺の倉庫である納所(なっしょ)で作られていた事から名がついたとされています。
そして、血栓を溶かす酵素(ナットウキナーゼ)の他に、納豆の中には、食物繊維が豊富に含まれていて、腸内環境を整えても呉れるのです。
この納豆は地方、地方によって、味が微妙に異なります。
たかが納豆と言いますが、北海道から関東、北陸、中部など、生産地によって、色々な味や感触の違いがあり、仕事や観光で地方に出掛けた際には、朝食で出る納豆はどんな味がするのか本当に楽しみです。
人によって、茨城産の納豆が好きだとか、長野の納豆しか食べないとか、好みは全く異なります。
小生は、東京都府中市で生産された納豆が非常に口に合い、毎朝、府中の納豆を頂いています。
納豆をかき混ぜて食べるのは、納豆の粘り気の中にあるグルテンの構造が、かき混ぜる事により、一定の方向になり、味が美味しくなるのです。
かき混ぜている途中から逆方向にかき混ぜると、グルテンの構造が破壊されてまずくなります。
クレグレもかき混ぜる時は、同じ方向にやって下さい。
かき混ぜる回数は70回前後が良いそうですよ。

9/4(日)に歯科医師向けのインプラントセミナーを行います。

お久しぶりです。
石川歯科医院の歯科医師である山森翔太です。
9/4(日)に、ケンテック社主催の歯科医師向けインプラント治療セミナーの講師を、副院長である石川高行先生と共に行います。
今回のテーマは『インプラント辺縁骨吸収を抑制する術式』ということで、インプラント治療に関しての基礎的なものから具体的な外科術式、補綴に関してまでテーマに沿って話していく予定です。
『インプラント辺縁骨吸収を抑制する』ということは、インプラントの長期安定性に密接に関わっています。
また、新しく発売されたTF-typeのインプラントの特長や埋入のポイントなどを症例写真を通して説明していきます。
奮ってご参加ください。
ケンテック講演会

院長の独り言 274 ; 若い友人たちに囲まれて、仕事ができる幸せ

老人の過った運転による交通事故が、テレビや新聞に良く載ります。
アクセルとブレーキの踏み間違い事故であったり、高速道路での逆行による事故です。
私もいい歳をした老人ではありますが、ごく最近まで、自分とは無縁な事故と思っていました。
大学時代に運転免許を取得していましたし(当時、ほとんどの若い人は、取得していませんでした)、大学院生の時から50年間近く、ほとんど毎日のように運転していました。
自慢じゃないですが、無事故の優良ドライバーで、ゴールド免許証を長期に渡って持っていたのです。
しかも運転が好きだったので、長距離、例えば盛岡や金沢に旅行するのにも、自分で運転して行きました。
報道で、アクセルとブレーキの踏み間違い事故を見て、『何で踏み間違えるのか信じられん…』などと、まるで全くの人事のようにしていたのです。
踏み間違えた人は、どうして間違えたのか、自分自身が信じられない気持の筈です。
ましてや、高速道路を逆行した本人は、交通事故を起こすまで、自分が逆行している事が分からないのでしょうか…。
そんな事を考えていたら、自分も70歳を既に超えている訳ですから、自動車を運転するのが、急に怖くなってしまったのです。
踏み間違いを『自分も起こしてしまうのではないか…』と思ったりするのです。
今は、都内へ行くのにも、安全第一で、バスと電車です。
車を運転していた時は、踏切でつかえると、『電車がまだ来ないうちから、遮断機を早く閉め過ぎだ!』と内心、腹を立てたりしました。
しかし、何処へ行くにも、電車を利用するようになった現在、もっと電車の運行数を増やして欲しいなどと思うようになりました。
本当に、あまりの自分勝手さに呆れてしまいます…。
同世代の友人もみんな、運転が下手になってしまい、『バンパーをこすりまくりだ…』と苦笑いしています。
自分も若い頃は、あんなにマニュアル車の運転を楽しんでいたのに、この頃は、オートマ車しか運転する気がしません。
しかし、歯科治療だけは、患者さんに励まされながら、出来るだけ頑張りたいと思っています。
スタッフや患者さん達に煽(おだ)てられて、その気にさせられているのです。
また、若いドクターの教育にも、気を入れて、頑張っています。
人生の終盤になって、若い人とのコミュニケーションを、心から楽しんでいるのです。

院長の独り言 273 ; 熱闘!甲子園、どちらも頑張れ!!

毎夏の事ですが、高校球児が甲子園で、熱戦を繰り広げています。
何故、高校野球は人気があるのでしょうか。
高校野球はプロ野球と異なり、純真無垢に思えるからでしょう。
選手は一生懸命プレーするし、応援は汗まみれで必死です。
勝っても、負けても、実に清々(すがすが)しいのです。
私は、一つの目標に向かって、汗を流す若者が大好きなのです。
今年は残念ですが、大震災で国中騒然としています。
正直、甲子園どころではないと思っている人が多いのも、確かでしょう。
特に、大津波や原発事故で大変な被害を被(こうむ)った東北の出場校は、本当に練習不足であったでしょう。
たとえ代表になった学校でも、気の毒ですが、一回戦で殆ど姿を消してしまうものと思っていました。
例年では、どちらかと云うと、関東から西のチームが圧倒的に強いのは、過去のデータが如実に示しています。
ところが今回、驚いた事に、決勝に進出するチームが、青森県代表の光星学院です!
俄然、高校野球の決勝戦を見る気になってきました。
このような気持ちになるのは、久し振りです
別に、小生、青森県出身ではありません。
北海道、東北、関東、北陸、中部、関西、中国、四国、そして、九州地方と、日本を9分割してみると、東北だけが夏の大会も、春の選抜大会も、甲子園での覇者を出していません。
青森、岩手、秋田、宮城、福島の代表で2位になった事は、過去に2回あったようですが、優勝は未だありません。
つい判官贔屓になっていまい、青森の光星学院を応援したくなってしまったと云う訳です。
昨日の夕方、診療の終わった後に、テレビで知ったのですが、決勝戦のもう一方のチームは、西東京代表の日大3高との事。
私の地元の高校です。
私は一体、どちらのチームを応援したらいいのでしょうか。
本気で、どちらにも優勝して貰いたいのです。
本当は無理してでも、決勝戦を見学したいのですが、明日は診療もあるので、多分、テレビの観戦はしないと思います。
と言うより、見る事が出来ない心境です…。
ただただ、両チームの正々堂々、高校生らしい試合を望むだけです。
勝利の女神はどちらに微笑むのか…。

院長の独り言 272 ; 自宅の掃除に明け暮れたお盆休み

7月11日(木)から1週間、お盆休みを兼ねて夏休みを取りました。
1週間も休むので、患者さんには大変な迷惑を掛けるとも考えましたが、節電を兼ねて、休ませて貰う事にしたのです。
ただし、息子を主として、スタッフが順番を決め、急患対策に、ある時間帯のみ、医院で待機する事にしました。
自分としては、この休みに自宅の大掃除をしようと、休む前から決めていたのです。
何しろ現在の家を建てたのが約40年前なので、家中(うちじゅう)、要らない物で一杯になってしまっているのです。
いつかは整理をしなければいけないと思うと、常に頭痛の種でした…。
あるテレビ番組で、掃除の名人が断言していた教訓があります。
『家の中を綺麗に、そして快適に暮らしたかったら、3年間、ホッタラカシにして使用しない物は、躊躇なく処分する!』のが、最大のコツだそうです。
小生、戦争を体験しているので、物を捨てられないで、後生大事に、何でも保管しているのです(本当はメンドクサイからです…)。
今回は、絶対に整理をやり遂げると、家族に宣言しました。
先ず、大学の医局時代から40年間に、溜りに溜った書類の整理を始め、殆ど廃棄してしまいました。
次は、色々な書籍です。
専門分野の医学書を始め、小説、ルポタージュ、百科事典、科学解説書、手塚漫画など、よくぞ、こんなに買ったもんだと呆れるほどの本を、医院の倉庫に運び込みました。
この大量の本は、スタッフの協力の下、整理して図書館でも寄付したいと思っているところです。
本は自宅2階の押入れを、殆ど占領していて、尚且(なおかつ)、部屋にも溢れていたのです。
本を運び出して、あらためて、本の重量の凄さを感じましたが、本の重みで、よくぞ今まで、家が潰れなかったものだと思いもしました。
自宅から殆どの本が消えて、随分、家が身軽になったようです。
そして次に手をつけたのが、写真です。
懐かしい写真が沢山、出てきました。
ここで、ついつい、仕事の手がストップしてしまいます。
独身時代の写真、新婚早々の写真、二人の子供の誕生から幼稚園、小学校と成長していく写真、そして家族旅行の写真を見ながら、家内と当時の思い出話をしていると、仕事が全く進まなくなってしまうのです。
更に、まだ大物が残っていました。
鏡台が二つ、大きな本箱が三つ、箪笥(たんす)が二さお、などなどです。
これらの大物は、整理を始める前から処分するのを、夫婦で決めていたのですが、その中身の整理に、いつになったら入れるのか、心配になってきました。
40年間も住んできた家の整理整頓は、想像以上に大変な仕事であると、身を以って、思い知らされたのです。
皆さんは、自宅の整理整頓をしていますか?

院長の独り言 271 ; 8月15日の今日に、新聞が休刊なの?

本日8月15日は、我が祖国 日本がアメリカに降伏(実際は国体護持、つまり「天皇陛下を中心とした秩序の維持」を条件に提示した有条件降伏)した日です。
1945年、今から66年前の事です。
終戦記念日と言えば聞こえが良いのですが、現実は日本が敗戦した日です。
第二次世界大戦では、無差別爆撃や原子爆弾によって、世界史上、類を見ない戦禍を受けたのです。
運良く助かった人々も、物質的、あるいは精神的に、大きなダメージを受けました。
特に、戦地に出征した多くの軍人さんや看護婦さんは、日本がこの戦争で勝つと信じ、『靖国神社で会おう!』を合言葉に、命を散らしていきました。
その8月15日に、新聞各社が休刊日としたとあって、本当に驚愕しました。
この日こそ、どんな理由があったとしても、戦争について書き記して、犠牲者の鎮魂をして頂きたかったのです。
戦争に勝つ事を夢見て、国民の為に、尊い命を擲(なげう)ち、天に召された魂を鎮める責任が、我々にはあるのです。
戦争責任(戦争を始めた責任なのか、戦争を継続した責任なのか、あるいは、敗戦した責任なのか、不明)を、靖国神社の御霊に意見をするのは、お門違いだと思うのです。
例えば、戦争を始めた責任は、日本のみにあるのでしょうか。
真珠湾攻撃以前に、中国南部で、アメリカ空軍『フライング タイガーズ』と日本軍は戦争を開始していたのです。
戦争の反省と靖国神社に手を合わせに行くのとは、全く話が違うと、小生は思うのです。
特に、東日本大震災が起きた本年、2011年8月15 日は日本史上、忘れられない年であります。
鎮魂しなければ…と思います。
靖国神社に行きたくない人も当然、いるでしょうが、自宅で手を合わせても良いのではないでしょうか。
この特別な日に、新聞が休刊だとは、本当に驚きです。
今日こそ、社を代表する論説委員による、あの戦争についての社説を期待したのですが…。
一寸した事件でも、号外を出すのに…。
不思議ですね。
福島の原発事故も世界中で、議論の的になっています。
全ての新聞社が、戦争について、そして、核について、社運を賭けての大論説を載せるのを、期待していたのです。
戦争や原発、そして核兵器に関して、自分なりの考えはありますが、それぞれの新聞社がどのように考えているのか、8月15日の新聞を楽しみにしていたのです。
今日でも、明日でも、明後日でも、同じようなものだと言う人もいるでしょうが、今日の終戦記念日だからこそ価値があるのと違いますか。

院長の独り言 270 ; 岩手の豊かな稲穂を想いながら、銘酒『酔仙』を偲ぶ

東日本大震災による大津波で、無残にも消滅してしまった陸前高田の銘酒『酔仙』は、岩手を代表する銘酒として、その名を轟かせていました。
お酒の苦手な女性でも、このお酒を一度、口にすると、飲み易くて美味しいと、ファンになってしまうのです。
理由は、ゴクリと飲む喉越しに、何とも云えない清涼感が残るからです。
地元の美味しい水とお米が上手くマッチして生まれたもので、この陸前高田でしか造れない地酒でした。
当然の事ですが、銘酒品評会で、数々の受賞をしています。
なぜ『酔仙』と命名したのかと言えば、『酔うて 仙境に入る』と云う意味だそうです。
前置きはこの位にして、本題に入らせて貰います。
実は、当院受付の山口さんのお父上が、津波で大被害を受けた陸前高田の出身で、故郷の銘酒『酔仙』を大事に保管していたのです。
お父上は、私がかなりの呑み助なのを、娘さんから聞いていたようです。
『もう、二度と酔仙は飲めないかも知れない…』と、自分の為に取っておいた『酔仙』を、快く私にプレゼントして呉れたのです。
津波によって、酔仙酒造は全て流されて、酒蔵が消滅してしまったのです…。
東北地方には、小生、何度も訪ねているのですが、こんな大災害になり、『酔仙』をはじめ、多くの地酒を嗜む事が出来なくなってしまい、ガッカリしていたところです。
お父上から一升瓶の『酔仙』を頂いたので、早速、診療を終えた後、スタッフ一同で、ジックリと味わう事にしました。
この『酔仙』、常温で頂くのがベストかも知れませんが、冷やして頂く事にしました。
熱燗なんかにして飲んだら、艶消しもいいところです…。
全ての診療が終了し、後片付けを終えて、早速、医局に集合です。
飲めるスタッフと一緒に、お酒をガラスのグラスに注いで、乾杯!
コップに注がれた銘酒『酔仙』の色は、薄い琥珀色で、岩手の豊かな稲穂を想起させます。
スタッフ10名の内、男性2人、女性4人がお相伴にあずかりました。
空きっ腹で飲んだので、直ぐに、ほろ酔い機嫌になってしまった小生。
味は、喉越しまろやかで、少々辛口といったところでしょうか。
肴は何も無かったのですが、お酒だけで大いに楽しませて頂きました。
男性のドクターは勿論、女性軍もご機嫌に飲んでいました。
報道によると、この『酔仙』の酒蔵を再建するのは、大変、困難なようです。
酵母菌が全部、流されてしまったからです。
酵母菌は生き物ですから、全く同じものを造り出すのは、至難の業なのです。
多分、口にするのが、最後になるであろう銘酒『酔仙』を、皆で味わいながら何となくしんみりしてします…。
何はともあれ、お父さんも最後の『酔仙』飲みたかったでしょうが、われわれに譲って頂き、本当に有難う御座いました!
もう一度、『酔仙』、飲みたいなぁ~
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院長の独り言 269 ; 花壇で見守って下さいね、カエルウオ君…

今回は、当院3階の待合室で飼っている、小さな観賞魚のお話です。
狭い水槽の中に、カクレクマノミ、デバスズメ、ニセモチノウオ、ヤエヤマカエルウオなど、8種類の海水魚が元気に泳いでいて、患者さんを楽しませています。
今朝、出勤して、餌を与えようと水槽に行ってみると、足下に、何やら黒い塊が落ちています。
何だろうとよく見ると、一番、可愛がっていたヤエヤマカエルウオが転がっていたのです。
もう干乾びて、多分、我々が帰った後に、水槽から飛び出して、死んでしまったのでしょう。
ヤエヤマカエルウオを正面から見ると、その風貌はカエルそっくりです。
横から見るとハゼのようで、やっぱり魚です。
水槽に入れている他の魚は慣れませんが、このカエルウオ君は、実に人懐っこいのです。
普段、水槽の底に沈んでいますが、餌を与えると、尾ヒレを振りながら水面に上がってきます。
大きな目を器用にクリクリ動かして、周りを警戒しながら餌をパクつくのです。
その仕草は本当に可愛く、他の海水魚が無表情なので、対照的に目立ちます。
慣れていたヤエヤマカエルウオが死んでしまったので、残念でなりません。
何で飛び降り自殺したのでしょうか。
小生だけではなく、患者さんの中にも、この海水魚が好きな人もいるので、新しいカエルウオを早急に迎えようと考えているのですが…。
迎えたとしても、折角、懐いていたカエルウオ君とは違うので、本当にガッカリしています。
話は変わりますが、一緒の水槽に入れているカクレクマノミは、ディズニーのアニメ映画でおなじみの『ニモ』です。
テレビでは剽軽(ひょうきん)で、愛らしく紹介されていますが、実際、飼ってみると、気が強くて、かなり獰猛(どうもう)です。
弱っている魚を見付けると、集団で襲いかかって食べてしまいます。
もしかすると、カエルウオ君もニモに襲われて、水槽から飛び出てしまったのでしょうか。
ちなみに、干乾びたカエルウオ君は、当院の花壇に埋めてあげました。
いつも花が咲いていて綺麗ですし、患者さんが沢山、通るので、寂しくないでしょうから…。

参照写真;カエルウオの仲間
カエルウオ

院長の独り言 268 ; いまの日本で起きている事は、すべて戦国時代に起きている

今から500年前の室町時代末期、政治的にも、経済的にも、日本国中が末期症状を呈し、人心は乱れに乱れ、結果、必然的に戦国時代に突入して行ったのは皆さんご存知の通りです。
戦国時代は群雄割拠。
誰がどのように各地を統治していくのか、混沌としていた時です。
何となく現代の日本に類似している気がしますが…。
武田信玄は、言わずと知れた甲斐(今の山梨県)生まれの戦国武将です。
51才で死没していますが、もし仮に70歳まで生きていたら、乱世を治め、天下を統一したのは信長、秀吉、家康では無く、信玄ではないかとも云われています。
理由は、信玄は人材を育てる名人だからです。
あの戦い上手の信長は、戦(いくさ)の勝率が約80%だったのに対して、信玄のそれは96%と驚異的な勝率です。
信玄の有名な格言は沢山ありますが、『人は城 人は人垣 人は堀 情けは味方 仇(かたき)は敵なり』など、組織運営に纏(まつ)わる箴言を多く残しています。
前半では、組織の根幹は人材であると云っています。
そして後半は、親身になって面倒をみれば、人心を繋(つな)ぎ、逆に、仇(かたき)が多いほど、失敗するという事です。
信長は桶狭間の戦いなどに見られるように、戦術に、天才的に長(た)けていました。
しかし信長は元来、気性が荒く、結果、その家来に殺されてしまうのです。
結局、愛情を以って、人を育てる事が、組織運営に不可欠であると言う事です。
厳しく教え導いても、愛情の裏付けがあれば、必ず人材は育つものです。
信玄は、それは、それは怖い大将であったと言われていますが、家来本人だけでなく、その家族についても、常に気を配っていたと、伝えられています。
有能で、忠実な家臣を多く育てた結果、戦に連戦連勝。
『甲斐に虎あり』と信玄は恐れられていました。
前述したように、信玄がもう少し長生きしていれば、天下を取っていた確率が高かったのではないでしょうか。
260年間、続いた徳川幕府の祖 徳川家康も、信玄に大敗を喫したひとりです。
三方ヶ原合戦では、武田軍に完全に打ちのめされてしまい、退却中、恐怖のあまり、馬上で脱糞したと伝えられています。
しかし家康は、その信玄を生涯、尊敬しました。
さらに、信長に滅ぼされた武田家の家臣を、徳川家に招いたりもしたのです。
まさしく、『情けは味方 仇(かたき)は敵なり』ですね。
バブルが弾けて以来、今回の大震災にも遭い、日本丸は沈みそうです。
武田一族が証明しているように、国の存亡は優秀な人材次第です。
継続的に若い人材を育てて行く事が、国の存続上、如何に大切かを、信玄は教えてくれます。
もう経済的な物差しで、すべてを測るのは止めにして、若い人を育てようではありませんか。
今、日本の大人に一番、足りないのは、人を育てる事です。

院長の独り言 267 ; 人生で初めて救急車で運ばれた、あの日

私の人生で初めて、救急車のお世話になった話を、3月20日のブログ『院長の独り言 204 ; 人生で初めて、救急車で運ばれました…』で書きました。
その時は、東北大震災の直後。
その凄まじい惨状にショックを受けて、体調が狂ったのだと、当時、勝手に思い込んでいました。
あの時は、救急隊員をはじめ、患者さん、石川歯科のスタッフ、そして家族に、自分が体調管理を怠った為に、大変な迷惑を掛けてしまったのです。
しかし、あれから4ヶ月経過した現在、改めて冷静に考えてみると、ストレスだけが原因で、倒れたのではないと、思うようになったのです。
倒れた日は、3月11日(金)の翌日である12日(土)夕方、仕事を終えて帰宅した直後だったのです。
その日は、朝からいつもと様子が違って、身体が大変、怠(だる)く、起き上がるのも辛かったのです。
前日は、ご存知のように、あの大震災です。
各種の報道で、あの悲惨な大津波の映像を目の当たりにし、気が動転し、精神的に少し参ってしまったのではないかと思っていました。
小生、普段は朝の目覚めが大変、良い方で、あの311の前日も、朝食を美味しく食べられていたのに、12日の朝は、全く食欲がありません。
仕事が仕事なので、清潔が第一、毎朝、お風呂に入り、シャワーで全身を洗う事にしているのですが、その気も起きません。
それでも何とか気合いを入れて、お風呂に入ったのですが、とうとう眩暈(めまい)が起きたので、直ぐ上がったのです。
本当に怠(だる)くて、怠くて、思わず、ソファに倒れ込んでしまいました。
『どうしたの?顔色が真っ青だけど…』と、家内は心配そうです。
暫く横になって休んでいたところ、怠さも改善してきたので、暖かい日本茶を飲んで、病院に出勤したのです。
病院のある八王子市八日町は、計画停電の第2グループであったので、午前中は治療したくても、電気が止められて治療が出来ません。
午後からは、治療が可能でしたが、その頃には小生、吐き気がして、気持ちが悪く、治療を殆どすることが出来ず、本来、自分が診なければならない患者さんを息子に任せて、医局で寝ていたのです。
夕方、早めに帰宅させてもらうと、ソファでひと休みし、落ち着いたところで、お風呂に入った途端、卒倒してしまいました。
この時点では、福島の原発事故についての報道が少しはありましたが、大津波による惨状が余りにも酷すぎて、トップ記事ではありませんでした。
いつ、どのくらいの量で、どの範囲に、放射性物質が飛散したのか、正しい報道は無かったのです。
ところが、あれから数ヶ月経った現在、政府発表では、あの3月11日に福島第一原発が爆発し、同時に天文学的な量の放射性物質が拡散していたのです。
それも東北を中心に、かなり遠方まで飛散していた事実を公表したのでした。
家族やスタッフは、私のように、身体の不調を訴えなかったのですが、小生は放射能に感受性が高かったのかも知れません。
開業して40年間、体調を崩して休診したのは、ただの一度も無かったのです。
その私が体調を崩した本当の原因は、水素爆発によって漏れ出た放射性物質を浴びた事によるのではないかと、勝手に推測しています。
あの3月11日と12日に、想像以上に遠くまで、放射性物質が飛んだのではないかと、専門家が解説していました。
その後、人体に影響が無いほどに、放射性物質は減少したとの事です。
水素爆発した日に、大量の放射性物質が飛散した事を、当時、政府や東電は把握していたと、後(のち)の報道で明らかになっています。
何故、その時すぐに、放射能漏れを国民に教えて呉れなかったのでしょうか。
正しく発表していれば、福島原発付近の住民は放射能を浴びずに済んだでしょうし、家畜も、放射能に汚染された藁を食べずに済んだのではないでしょうか。
小生の事はどうでも良いのですが、関東、東北のお子さん達が、本当に心配です。

院長の独り言 266 ; 恒例のホタル観賞会

毎年恒例のホタル狩りをしに、高尾山の麓にある割烹『うかい竹亭』へ、スタッフ一同で出掛けて来ました。
今年の前期に、一生懸命、仕事を頑張ったお疲れ様会と云うか、ご褒美会です。
ホタルを鑑賞できる期間は本当に短いし、おまけに、このホタル観賞付きの催し物は大変、人気があるので、随分、前から予約しなければなりません。
従って、その日の天気は運次第になります。
当日の7月30日(土)、いつもより早く、午後5時に仕事を終えた後、高尾山を目指して甲州街道を下るのですが、その日は生憎、朝からの雨模様です。
天気予報では夕方からは大雨との事です。
今年は残念ながら、大雨に災いされて、ホタルを見る事が出来ないのではないかと、半分、諦(あきら)めていました。
ところが、うかい竹亭に着く頃になると、雲に切れ目が見えるようになってきたのです。
雨粒も殆ど落ちてきません。
嬉しいのですが、大雨予報は外れたのでしょうか。
お昼のニュースでは、新潟方面は、川が氾濫していて、大災害の様相です。
その大雨を齎(もたら)している雲が、関東に南下してくる筈なのですが…。
このまま宴会が終わる午後8時過ぎまで、何とか雨が降らないで欲しいと、本気で願ったのでした。
うかい竹亭には、毎年、結構、お世話になっており、仲居さんとも顔見知りの人がいるので、居心地が良く、お酒が飲めるといったところです。
大雨にならなければ、こんなラッキーな事はありません。
ワイワイと話が盛り上がり、時間の経つのも忘れているうちに、窓の外は、もう真っ暗になってきました。
突然、部屋の明かりがパッと消えて、それこそ料理も、隣のスタッフの顔も、全く見えないくらいの暗闇になったのです。
意表を憑かれた女性軍の何人かは、『キャッ』と悲鳴を上げました。
ホタルの観賞タイムなのです。
線香花火を持ってきた仲居さんに、『窓を開けて庭に出て、ホタルを見て下さい』と促された我々は、漆黒の闇の中を小さく照らすホタルに、歓声を上げたのです。
暗闇に目が慣れてくると、木の茂みや庭石の上を、優雅に飛んでいる光りの点滅が幾つも見えてきました。
思い出すに、私が小学生の頃には、東京の公園でも、ホタルを観察出来ような気がします。
若いスタッフ達が喜んでいるのを見て、本当に雨が降らなくてよかったと胸を撫で下ろした次第です。
照明が点くと、今度は線香花火です。
縁側で花火を楽しむスタッフの後ろ姿を眺めつつ、熱燗をグイッ!
また明日から頑張りたいと思いました。