院長の独り言 339 ; 大食い競争の法則
『大食い競争』が、色々と趣向を変えてはテレビ画面に出てきます。
私は戦争を体験して、食べる事も侭ならないと云う、子供としては一番辛い経験をしてしまいました。
大袈裟ではなく栄養失調にもなっているので、以前のドリフターズの番組など、食べ物を粗末にしている場面を見ると切なくなります。
しかし、大食い系番組は結構、面白いので、ついつい見てしまうのです。
生活が大変、豊かになってしまった今日の飽食日本で、テレビ番組に目くじら立てても仕方がありませんか…。
廃棄する残飯の量が世界一、二を争う我が国。
取るに足る問題ではないのかも知れませんね…。
実は、第二次世界大戦前までは、我が国は結構、豊かな食生活を送っていたのです。
ここ百年の間で、日本人が最もヒモジイ思いをしたのは、先戦の末期から敗戦後の数年間だけです。
さらに、時代を江戸時代まで遡(さかのぼ)って、当時の食文化をみると、面白い事実が分かります。
当時は、江戸と言わず日本中、習慣として『一日二食』の生活をしていました。
江戸時代も開幕から50年以上経過した1600年代中期には、政治が安定したお陰で、首都の江戸は経済的に格段の発展を遂げ、食事も贅沢になり、現在の『一日三食』の食生活の起源になったのです。
地方からも、江戸の景気が大変良いと云う噂を聞いて、続々と人が集まり、アッと言う間に江戸は、世界一の人口を誇る大都市に変貌を遂げました。
驚くことに、寒村だった江戸が世界で、最も早く百万人都市になりました。
ちなみに、現在、オリンピックを開催しているロンドンが、当時の人口は80万人で、世界一、人口密度の高い都市でした。
当時の江戸では、着物など衣食住に関する日常の生活に欠かせない、あらゆる物が売れていたのです。
浮世絵や芝居など娯楽も大流行(おおはやり)、江戸の人々みなが豊かさを満喫していた訳です。
当時、住宅もどんどん新築されて、大工さんや左官屋さんが利用する食事処として、屋台が今の食堂と同じように続々と出来てきました。
現在、立派な店を構えている寿司屋さん、天ぷら、おでん、おそば屋さんなどは殆どの場合、江戸の屋台が起源です。
外食が流行(はや)り出したのは、江戸に働く人が大勢集まって来たからです。
『エッ!嘘!』と、思うかも知れませんが、江戸の後期1810年過ぎには、大食い競争や大酒飲み競争の大会があったのです。
今と同じですね。
面白いことに、人間、衣食住が安定してくると、今も昔も、やる事も考える事も同じと云う事ですね。
安心しました。
しかし、景気が大変良くなると、引き締め策を採るのが為政者。
江戸の三大改革、所謂、吉宗の享保の改革、松平定信の寛永の改革、水野忠邦の天保の改革の、すべての改革は、結果論から考えれば、悉(ことごと)く失敗でしょう。
共通しているのは倹約令を出していることです。
大食いなんかとんでもない!
娯楽もほどほどに…。
経済が過熱して、為政者がバブルと判断すると、引き締めとして過剰なデフレ策を採ってしまい、世の中を不景気にしてしまったのです。
景気が過熱すると、いつの世でも為政者は、結局、不景気にしてしまいます。
何処かの国の政策と似ていませんか。
景気の良い世の中なのに、ワザワザ不景気にするこたぁないと思うのですが!
増税もしかり。
政府にお金が貯まると政治家やお役人が使ってしまい、逆に、政府にお金が足りなくなると増税です。
庶民としてはやり切れないですわ…。