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院長の独り言 394 ; 日照りに不作なし

『日照りに不作無し』と言われるようになってから、随分、年月が経っています。
江戸時代、日照りは農作物の致命的な不作の原因でした。
お米が一番大切なのは、今も昔も同じです。
何とか、米が不作にならないように、日照りを克服するように、農民が必死に努力したのです。
簡単に言えば、灌漑設備を徹底的に整備をすることが、日照りに勝つ方法でした。
現在、日本全国に灌漑設備が完備しています。
その結果、最初に書いたように『日照りに不作無し』になったのです。
勿論、お米の事ですが。
梅雨の季節でも、昔は適度の雨が大切でしたが、現在は空梅雨の方が、お米は豊作になります。
5月から6月にかけて、今年は全国的に雨が降りませんでした。
テレビや新聞で雨が『降らない、降らない』と心配していました。
しかし、小生とすれば、逆に今年はお米が大豊作になると、内心ホッとしていたのです。
ところが、ここにきて、空梅雨どころか全国的、とくに九州や四国、中国、関西地方は近来に無い大雨の毎日です。
この状態が長引くと、今年はお米を中心に農作物は不作になりそうな様相を呈してきました。
勿論、何事も極端な状態はあまり良くありません。
梅雨は適度の降雨が一番いいのですが、雨が多く降るよりは空梅雨の方が稲作にとってはズットましであると言う事です。
日本の気候自体はこの頃よく言われるように、亜熱帯に近い気候になってきているのだそうです。
我が国本来の果物など、例えばリンゴやサクランボなどは温帯気候に適している果物です。
要は温帯に適している野菜や果物にとっては、気温が適さなくなってきているのです。
代わりと言っては何ですが、マンゴーなどの熱帯地方に適している果物が幅を利かすようになってきてしまいました。
気候的に日本は、何十万年も前に戻ってしまったのでしょうか。
象やライオンやゴリラが大喜びするのではないでしょうか。
勿論、動物園での話ですが…。

院長の独り言 393 ; 誕生日で75歳!

6月は、私の生まれた月です。
昭和13年の生まれですから、75歳になった事になります。
よくぞ今日まで、大きな病気もせずに生きて来れたと神に感謝してしまいます。
昭和13年と云うと日中戦争の最中で、世の中、緊張状態。
大変な時に誕生しました。
私が3歳になると、両親が普段の緊張した顔より、何倍もの強い緊張状態になってきました。
いくら幼児でも、何か大変な事態になっていると本能的に察知したものです。
母親は普段、いつも着物姿でした。
しかし、気がついた時は、近所のおばさん達も勿論、母親や女性と云う女性はみんな『もんぺい姿』でした。
スカートの女性は、全くと言っていいほど姿を消しました。
男性はというと、簡単な作業用軍服を着ていました。
それから一年経つか経ないうちに、両親は防空壕を作ったり、バケツリレーで消火訓練をやり出しました。
『米英鬼畜を倒せ!』と云うスローガンのもと、戦争は中国から東南アジアに広がっていき、ついにアメリカとの戦いにエスカレートしていったのです。
いくら神風が味方しても、巷ではアメリカには勝てないと噂されていたのです。
結果、東京は焼け野原になり、広島、長崎は人道的にも許されない原子爆弾の被害にあったのでした。
沖縄をなんとか死守しようと戦艦大和を出動させましたが、徒労に終わってしまいました。
敵艦に対する零戦(ゼロ戦)による、決死の体当たり(特攻隊)も、沖縄を守るための手段であった事は当時の記録を読めば明らかです。
大和といい、零戦といい、必死に沖縄を守ろうとしたのですが、皆さんご存知の如く、あまりの軍事力の差は如何ともしがたく、沖縄も焼け野原にされてしまいました。
敗戦の時、自分は6歳、疎開先は岐阜県の中津川でした。
東京に戻って来て本当に驚きました。
親に買い物がてら連れて行ってもらった華やかな銀座が、全くの焼け野原になっていたのを目の当たりにした時は、戦争の悲惨さを感ぜずにはいられませんでした。
よくぞここまで日本は復興してきたものだと、今更ながら日本国民の頑張りに驚嘆してしまいます。
また、ヨーロッパ諸国の植民地だったアジアの国々全てが、多大な犠牲によって解放され、それは日本にとって唯一の救いだと思います。

院長の独り言 392 ; 家庭菜園

医院の屋上に、大地震に備えて野菜菜園でも作ろうかと思っています。
世の中、家庭菜園が流行(はや)っているので、肖(あやか)ってみようかとも考えたのです。
マンション住まいの人も、近所の農家で土地を借りて、一家で野菜や花作りを楽しんでいます。
借り賃は安いので、かなり多い人が利用しているそうです。
4~5人の家族で食べる野菜は、野菜作りを楽しみながら、自前で調達。
こんな効率的な趣味は他にはなかなか無いものです。
おまけに、子供の為の素晴らしい教育になります。
勿論、庭付きの家に住んでいる人は、自宅の庭で野菜が作れます。
亡くなりましたが、私の両親は、庭の一部で野菜作りを楽しんでいました。
私もたまに実家に遊びに行った時に、作ったトマトや茄子などを『食べろ!食べろ!』と上機嫌に薦められました。  
家庭菜園をやっている人は分かっていることですが、意外に小さな場所で、十分に沢山、しかも結構早く、トマトや茄子などが収穫出来るのです。
野菜作りの経験のない人が想像する以上に大量の収穫が容易(たやす)く出来てしまいます。
ビックリするほど収穫があるので、オヤジは初めのうちは意気揚々、仲のよい友達などに得意になって、野菜作りの腕を自慢して、茄子などをプレゼントしていました。
オヤジは、野良仕事が戦時中の勤労奉仕以来なので、農業はド素人なのに大豊作。
自分の野菜作りは天才的に上手いのかと、内心、悦にいっているオヤジの顔を思い出します。
しかし、あまりにも簡単に、野菜が大量収穫出来てしまうので、勿体ない話ですが、野菜作りに飽きていきます。
案の定、オヤジも、野菜の種類をサツマイモやカボチャに変えてしまいました。
ナスやトマトと比べて、収穫までに時間がかかるのが良いそうです。
松茸狩りが楽しいのは、たまにしか見付ける事が出来ないから面白いのでしょう。
そう言えば、私の子供が小さい頃、自宅の近くに一家で梨狩りに行ったところ、直ぐに籠一杯取れてしまい、二度と梨狩りには行きませんでした。
あまり短時間で沢山取れてしまうと、梨狩りもたいして面白くないと家中みんなで話しました。
生涯のパートナーを見つける時だって、同じでしょう。

コンサートに行ってきました。

石川歯科医院の歯科医師の山森翔太です。
6/2(日)に「FUNKY MONKEY BABYS」という音楽グループのコンサートに東京ドームまで行ってきました。
FUNKY MONKEY BABYS(略してファンモン)とは八王子出身の三人組の歌手で、八王子の商店街などから応援されていて、八王子の街を歩いているといたるところで曲が流れていたり、ポスターを見かけたりします。
紅白歌合戦にも4年連続で出場しています。
八王子に勤めてファンモンに触れ合うことで、だんだん好きになりCDを聴くようになっていきました。
テレビなどでも大きく報道されていたのでご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、残念ながらファンモンは6/2で解散することになってしまったため、今回行ったのは解散コンサートでした。
最初で最後のコンサートになってしまいましたが、知り合いの方に誘っていただき、最後に行くことができてほんとによかったです。
コンサートに行った感想は、会場の一体感がものすごく、今まで行った他のコンサートのどれよりも楽しかったです。
八王子からまたファンモンのようなグループが出てきて、八王子を盛り上げていってほしいと思います。

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院長の独り言 391 ; いまどきのこども心

私から見ると、今時の小学生は、オマセの子供が多いのでビックリさせられます。
小学生の頃を振り返ってみると、私自身、本当に幼稚っぽかったものです。
勿論、私だけではなく、まわりの男の子も、女の子も、無邪気そのものでした。
学校の勉強を復習する以外、先ず自宅にいる事など、ほとんど自分はありませんでした。
外で遊び呆けていたのです。
夏休みの宿題と言えば、絵日記と簡単な自由課題。
例えば、昆虫の標本作りなどでした。
本当の意味で『夏休みは長期休暇!』のようなものだったのです。
塾は無かったし、夏休みに勉強をした思い出など、全く皆無です。
だから、遊びの思い出には、キリがありません。
殆ど毎日、通っていたプールで、15メートル潜水が出来るようになって、本当に嬉しかった事。
夏祭りで御神輿を担いで、水をジャンジャン浴びて気が遠くなって失神しそうになった事。
スイカ割りでトンデモナイ方向に行って、大笑いされたなど…。
小さな事柄でも、直ぐに思い出しまいます。
極端に言えば、私の子供時代は、夏はただ、みな子供だけで遊んでいれば良かったのです。
確かに今の子供達は、経済的には、私の子供時代と比較すれば、話すのも嫌になるほど恵まれています。
自分は貧乏暮らしの経験があるので、今時と比較して、『今の子供達はあらゆる面で恵まれている』と思えるのです。
今の子供達は、この豊かな生活が当たり前だと思っているでしょうから、別に自分達が恵まれていると云う実感は無いし、精神的にテレビなどから、大人の影響を受け易いので、子供らしさが希薄になるのではないでしょうか。
そして、塾通いや習い事で遊ぶ暇も無くて、気の毒ですね。
子供も色々と親に手をかけて貰っているので、親に大事にされるのが当たり前だと思っていることでしょう。
多分、子供達は親が思っているほど、親に感謝はしていないと思います。
かえって、われわれの子供時代は、食べるものでも、着るものでも、貧しいものでしたが、それでも親に感謝している人が多いようです。
『自分が稼げるようになったら、先ず親孝行をしよう!』と思って、頑張っていた当時の子供は、男女を問わず大勢いたような気がします。
人間の心は、不思議ですね。