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院長の独り言 384 ; 富浦海岸の海水浴

大学2年の夏休み、友人5人とサザエを取りに、千葉の富浦海岸に行った時の話です。
今から50年以上前の、むかし話です。
当時は、漁業権など無かったので、素人でも魚貝類を自由に採って良かったのです。
この海岸は一応、海水浴場でしたが、岩場が多く、しかも直ぐに深みにつながり遠浅ではなかったので、子供がいる家族の海水浴場としては、少々不向きでした。
盛夏でも、家族連れの一般の海水浴客は殆ど見受けられず、閑散としていました。
地元の人が大切に、楽しんでいた海岸でした。
砂浜を少し歩いていると、あちこちに岩場が存在するのです。
その岩場の、水深3メートルくらいにある岩と岩の間を、用心深くサザエを探して泳ぐのです。
当時は別にたいした事では無かったのですが、今から思うと、随分、大きくて立派なサザエが採れたものです。
とれたての大きなサザエを刺身にしたり、醤油や日本酒をかけて、網焼きにして食しました。
その美味しいこと…。
私にとってみれば、臨海学校の本場の伊豆より、よっぽど富浦の方が楽しめる海岸でした。
海岸から500メートルほどの沖に、碁盤島(ごばんじま)と云う真四角な島がありました。
島というより岩場ですが、丁度、海岸から一気に泳いで行ける格好な距離なのです。
その碁盤島周囲の垂直に切り立った海に潜っていくと、南国の珊瑚礁を眺めるようでした。
海藻の森を、鮮やかな色をした色々な種類の魚が、ダンスをしているように泳いでおり、時折、その中を大型魚の影が横切るのです。
美しい海に囲まれている日本に住んでいる我々は、本当に幸せものだと、つくづく感じるひと時でした。
東京から目と鼻の先なのに、大自然の趣(おもむき)を味わえる、この素晴らしい祖国を、心から愛おしいと思うのです。
帰りにお土産として、富浦名産のアジの開きを買いました。
当時、いくら物価が安いとは言え、同じアジを東京で買えば、開き一尾100 円であったと思いますが、富浦では一尾5餞!
あまりの安さにビックリ仰天しました…。
帰っておふくろに『5餞だよ!』と言ったら、5千円と勘違いして、あまりに高額なのに驚いて、口をあんぐりしていましたが、5餞だと分かって、またまた目を白黒しました。
楽しい思い出です。

院長の独り言 383 ; 眼鏡なしでは…

私は小学生の頃から、視力が良いことを自慢にしていました。
ハイキングに行っても、遠くの遠くの山並みや草に隠れている昆虫を、友達が驚くほどよく見えていました。
大学生になっても、左右の両眼とも視力は2.5でした。
自動車免許の検査でも、係官に『目がいいね〜』と感心されたくらいでした。
歯科医になってからは、目に負担となる、細かい仕事を要求されるので、少しずつ視力が落ちてきましたが、それでも50歳を過ぎても、視力1.5程度を保っていました。
勿論、メガネの世話などには、生まれてこのかた、一度もありませんでした。
ところが60歳を過ぎた頃から、患者さんを治療している時、患部が何となくぼやけて見えるようになってきたのです。
歯がぼやけて見えるのです。
見るものがぼやけるなんて、生まれて初めての経験です。
そして一生懸命、口の中の患部を見ようとすればするほど、ぼやけて見えてしまい、おまけに頭までがボーっとしてくるようになってしまいました。
『もしかすると、白内障か老人性遠視(つまり老眼)か!』
今までサングラス以外に眼鏡を一度も掛けたことがなかったので、心臓が止まるほどドキッとしたのです。
早速、老眼鏡を購入すべきかどうか、デパートの眼鏡売り場に相談に行ったのです。
もしかして、眼科に行って精密検査を受けなければいけない状態かも知れないと、内心、ドキドキしながらデパートに行きました。
大きな検眼機で、丹念に検査を受けた結果、『老眼鏡が必要ですね』と云う事になりました。
老眼鏡をかけてみると、自分で考えていたより、見る物がハッキリ見えるのには正直、驚いたのです。
もしかすると自分が思っていたより、随分前から、目が悪くなっていたのかも知れません。
もっと早く目の検査を受けて、メガネを掛けるべきだったと後悔しています。
歯の無い患者さんに『何故、もっと早く来院しなかったのですか?』などと言っていた自分が恥ずかしくなってしまいました…。
現在は、老眼鏡と親友の仲になっています。
愛用のメガネが無いと、治療はおろか、本や新聞も読めませんし、食事も美味しく食べられません。
ボケて見える食事は、実に不味く感じるのです。
食材がハッキリ見えてこそ、食事は美味しく食べられるものですね。

院長の独り言 382 ; 横浜の港で、サッパ釣りをしていた頃

皆さん『サッパ』と云う海水魚をご存知ですか。
お寿司屋さんに行くと必ずネタで置いてあるコハダ(このしろ)と瓜二つで、このコハダと見分けが付け難い魚、ママカリの別名が『サッパ』です。
コハダも、サッパも、ニシン目ニシン科に属します。
コハダは前述したように寿司のネタとして、全国各地のお寿司屋さんに置いてあるポピューラーな魚です。
サッパ、別名ママカリは、岡山地方だけで好んで食され、通(つう)の人以外には、あまり全国的には知る人はいません。
私が大学生の頃、ほんの一時期でしたが横浜に住んでいた事がありました。
丘の上にある公団住宅風の家でした。
家の窓から横浜港が霞んでしか見ることは出来ませんでしたが、下の住宅街を見下ろすようで、良い眺めを楽しんでいました。
横浜に住んでいた人には理解できるでしょうが、横浜は坂道が多く、丘の上の住宅が大変多いのです。
イタリーやスペインの街に少し似ているところがあります。
そのことが関係しているのか、どうか分かりませんが、昔から外人に人気のある街で、多くの西洋人が住んでいるのです。
横浜に住んでいる大学の同級生で、特に仲の良い友人がいます。
今でも親交が厚く、同じ職業な上に、ゴルフでは、お互い上手くはないけど一応、ライバルです。
その友人ですが、彼の幼い頃、彼の実家の直ぐ傍(そば)に絶好の釣り場の岸壁があるので、彼は釣りを趣味としていました。
小生が横浜に引っ越した関係上、休みの日など、二人でよく魚釣りをしに、夜霧にネオンが浮かぶ横浜港山下埠頭に行きました。
そして、夏の終わり頃になると、サッパ釣りに出かけていました。
サッパの釣り方は非常に簡単です。
殆どの人は、サッパ釣りなど興味がないでしょうから、釣り方なんかご存じないと察します。
要するに、釣り竿と針だけ用意すれば良いのです。
何しろ餌もいらないし、しかも入れ食いなのです。
サッパはジャンジャン釣れます。
直ぐにバケツ一杯になります。
バケツ一杯になると、みんな逃がしていました。
夏の終わりになると、今の横浜港では信じられないでしょうが、当時の山下埠頭には、殆どひとがいません。
今から50年も前は、本当に静かな港でした。
勿論、日曜日や祭日は、家族連れやアベックなどで、たくさんの人出がありましたけれど。
あの大学生の頃の横浜港岸壁を思い出すと、懐かしいと言うより胸がキュンとなってしまうのです。
当時の日本社会には、厳然として、貧困が存在していました。
それが頭の重しとなり、将来への漠然とした不安が、若い私を苛んでいました。
しかしサッパ釣りの時だけは、それらの雑念を忘れ、友人とひたすら釣りに没頭できました。
今の若い人も、同じような不安に苛まれている事でしょう。
そこで私からアドバイス。
まず目の前のやるべき事を、真面目に誠心込めて、周りの人たちと協力して、そして感謝して、成し遂げて下さい。
そうすれば、君らの未来は、決して暗くはないよ!
君らは、決して独りではない。

院長の独り言 381 ; 山高ければ 谷深し

安倍総理と黒田日銀総裁のコンビによる金融政策の効果が出てきて、もしかすると、ミニバブルに突入するかも知れません。
随分、昔になりますが、今から約30年前の昭和60年、私が47歳になり、八王子で歯科医院を開業して13年経ち、何となく精神的にも落ち着いてきた時なので、よく覚えています。
入れ歯や補綴物(クラウンやブリッジ)を制作する時に、『保険の安い材料ではなく、自由診療で良い材料を使い、見た目も良く、なるべく違和感の少ない補綴物を希望します!』と訴える患者さんが、右肩上がりに増えて来たのです。
世の中の景気がよくなってきたと、大いに実感しました。
若い人も、お年寄りも、何となく明るい感じが身体から発散してきました。
敗戦後、食べるだけで精一杯の世の中から、明るく浮き浮きし出したのです。
それから、一年、一年、経つごとに、景気がよくなり、その結果、JRや私鉄の駅前には大きなビルが、林立する状態になっていきました。
車も、トラックのような商業車以外に、乗用車が驚くほど増加していったのです。
車社会の到来です。
関東地方で云えば、『首都高速道路』や『第三京浜』が整備され、大動脈『東名』『名神』など、高速道路を中心に、全国で、一般道路も瞬く間に整っていきました。
一戸建ての住宅や高級マンションも飛ぶように売れていました。
ところが、景気が加熱していると判断した政府と日銀は、総量規制法を施行し、アッと言う間に景気が落ち込み、なかなか回復しないまま年月だけが過ぎて行ったのです…。
バブル崩壊と失われた20余年間です。
信じられない光景でしたが、バブル崩壊当時、東京駅のプラットホームにあがる階段に、キチッとしたネクタイを付けた背広姿の紳士が、何人も疲れた姿で座っていました。
全員が泊まる場所も無い、いわゆるホームレス状態のようでした。
察するに、借金が返せなくて、何処からか逃げて来ていたようでした。
バブルが弾けると、本当に悲惨な状態になるという悲しい風景を見せつけられ、
その時の茫然自失して、目つきのうつろになった紳士達の青い顔だけを思い出してしまいます。
今回のアベノミクスにより、ミニバブルが上手くいくように心から祈っています。
あのバブル崩壊を思い出し、『もし弾けたら…』と心配もしているのです。
曰く、山高ければ 谷深し…

院長の独り言 380 ; テレビショッピングの不思議

テレビショッピングを見ていて、いつも疑問に思う事があります。
先日、商品の説明役の男性と女性タレントが、新型掃除機を紹介しているところを偶然、見たのです。
軽くてゴミの吸い取りが、大手家電メーカーの売り出したばかりの新型掃除機よりズッと優れている、新しい掃除機を得意満面で紹介していました。
いつも大手の掃除機を最新の素晴らしい物だと思って買っているのに、より機能が優れている、軽くてゴミの吸い取りが良い掃除機を、今まで聞いたことの無い会社が紹介しているのです。
見ていると、是非、購入したくなるような掃除機です。
そして、その素晴らしい機能を持った掃除機は、テレビショッピング会社に直接、申し込まなければ購入出来ません。
小さな会社が作った、テレビで紹介している素晴らしい機能を備えた掃除機を、何故、大手メーカーは作れないのでしょうか?
大手メーカーなのに、無名メーカーの後塵を何故、拝すのでしょうか?
不思議でなりません…。
その他、料理用フライパンもそうですし、カーナビなど、数え上げれば切りがありません。
小さいメーカーより性能の悪い器具を、大手メーカーが何故、売り出しているのか本当に不思議です。
あらゆる家電などを売っている大きな販売店に行っても、テレビショッピングで売っている特別な便利なグッズは売っていません。
何か大手メーカーが便利な器具を売り出せないカラクリと云うか理由が有るのでしょうか?
他に、ダイヤモンドなど宝石類も、大きな有名百貨店と同じ様な物が、テレビショッピングで購入すれば、格段に安く手に入れることが出来ます。
これでは、デパートで宝石を買う人は、多分、いないのではないでしょうか?
背広も同じです。
それでも、デパートの宝石売り場や背広のコーナーは閉鎖していません。
いつも疑問に思っているのですが、何故でしょうね〜。

院長の独り言 379 ; トマトの食べ方あれこれ

自分が小中学生の頃、初夏になると毎日の朝食に、大きなトマトが出てきました。
六つ切りにされたトマトが、オヤジをはじめ、全員に一個ずつ出るのです。
トマトに塩を振りかけて食べるのですが、本当に美味しく感じ『夏が来たな〜』と身体の中からしみじみ感じていました。
現在、トマトは一年中、スパーの店頭に並んでいます。
便利は便利ですが、季節感が全く無くなってしまいました…。
今回のお話は、トマトの食べ方についてです。
大学の同級生、4人組と、千葉でゴルフを楽しんだ後、小腹が空いてきたので、風呂上がりにおやつのような感じで、簡単な食事をしました。
数品を雑談しながら、クラブハウスでつまんだのですが、一口サイズにスライスされた生トマトもテーブルに出てきたのです。
その時、I君が『トマトに醤油をかけて食べると美味しいよ!』と言いながら、トマトにタップリと醤油をかけて、美味しそうに食べ始めました。
それを切っ掛けに、トマトの食べ方について、喧々愕愕(けんけんがくがく)となったのでした。
K君とR君は『醤油でなんか食べるのは、邪道でしょう。気持ち悪いし。やっぱり塩が一番いちばん!』と主調。
私はと云うと、『生のトマトも美味しいけれど、焼いたり、茹(ゆ)でたり、火を通して食べた方が、トマトはもっとズット美味しい』と反論したのです。
トマト料理の本場のイタリーでは、煮たり焼いたり茹でたりして食べていますし、勿論、採れたての生のトマトを、サラダに入れて食べたり、その他どんな料理にもトマトは大活躍です。
我が家では、みそ汁にもトマトを入れて食すことがあります。
トマトをほぐしてかき混ぜてみそ汁を飲むと、これが何とも言えない珍味になるのです。
しゃぶしゃぶは勿論、焼き肉やおでんにトマトを潰して一緒に食べても本当に美味です。
親の元では、夏一杯、トマトは塩を振りかけて、あるいは擦り込んで生で食べるだけでした。
ところが、結婚して、国内や外国へとアチコチに旅行するようになって分かったのですが、トマトには、色々な食し方があるもんです。
イタリー人じゃないけれど『トマトは野菜というより香辛料みたいなもの』です。
食べ物の素材に、トマトをプラスすることにより、味をより豊かにすることが出来るので、トマトは料理の魔法使いというところですか。
もっとも、イタリーでは、元来、トマトは悪魔の食べ物とされて、忌み嫌われていたようですが、食べてみると美味しかったので、今や、イタリー料理には欠かせない食材です。
小生は今朝、フルーツトマトを丸かじりして、医院に来ました。
冷えたトマトに塩を振りかけて、その美味しいこと…。
昔のトマトはもう少し酸っぱかったですが、フルーツトマトなんて売っていて、現在は、飽食ここに極まれり!ですね。

院長の独り言 378 ; 石田紅雲さんの『虹のおくりもの』を読んで

私の大学時代の友人からの紹介で来院された石田幸久(石田虹雲)さんから、『虹のおくりもの』と云う氏自身が執筆した、虹の本を頂きました。
この本で石田さんは、虹に関するあらゆる文献を調べあげているのです。
例えば、虹の色、形などの科学的考察、小説などに著されている虹の文学的な考察、そして珍しい虹の絵画や写真が満載です。
この本を少し読んだだけで、虹への関心の奥深さに驚かされます。
自分としては、虹が空に現れた時、自然の繰り出す造形に、感嘆するのが関の山です…。
石田さんは、本当に良く、虹の事を調べ上げたものです!
この本は、目から鱗と云うか、虹に関する様々な情報が満載です。
先人が興味を持って研究した、面白い虹や不思議な虹など、今まで考えも及ばなかった虹のあれこれについて書かれている、本当に珍しい本です。
虹に関して、こんなに多角的に書かれている本を読んだのは、全く初めてでした。
あの有名な画家のミレーも虹に魅せられて、素晴らしい虹の絵を描いているとのこと。
最後に、石田さんに僭越ですが教えて下さい。
虹が、広い畑や野原に現れた時に、その全貌が物の見事に見える時がありますが、虹の出だしの一番端っこの2点が、どうなっているのか、中学生の頃、知りたくて、一生懸命に、その端を追い掛けていた事があります。
遠くからはハッキリと観察出来るのに、側に行くと虹が地面に接している場所が全く分かりません。
虹の端はどうなっているのでしょうか?
フワッと、空に滲むように一体化しているのでしょうかね。
何となく、虹には、水彩画が似合うような気がしますし…。
実際は、いかがでしょうか?

院長の独り言 377 ; 今年は、桜の花の色が薄いですね

今年は、桜の満開がいつもの年より10日ばかり早く、4月にはもう散り始めています。
いつものように桜が散っていく桜吹雪は、豪華と云うか、寂しいと云うか、複雑な気持ちで花見見物をしています。
最近、思うのですが、東京の桜の花びらの色が白くなってきたような気がします。
桜も歳とともに、人間の髪の毛が白くなるように、脱色していくのでしょうか。
数年前はもっとピンクが強かった花びらのような気がします。
しかし私の好みでは、色の強い花びらよりも、白くなってきた薄ピンク色の花びらが、春の微風にのって散っていくさまが好きです。
背広やテレビなどは新品が気持ちよいですが、神社や五重塔は創建から数百年も経てからの年代物の方が、侘び寂びと云うか、時代の重みが出て来て素晴らしいのではないかと、古びたお寺さんを見学する度に感じます。
滅多に見られませんが、今日(こんにち)でも、新しい五重塔の建設を見る事が出来ます。
建ったばかりのどぎつい赤色の塔を見ていると、五重塔が随分、薄っぺらく感じてしまいます。
奈良時代、東大寺の大仏様を建立した時、当時の人々は出来上がった大仏様と東大寺の、真っ赤にド派手に塗られた建物や、金ピカの大きな大仏様を見上げて、果たして、どう感じたのでしょうか?
現在、寂びが出てきた荘厳な大仏様と渋く貫禄のついた東大寺に、我々は畏敬の念を抱いてしまいますが、金ピカの大仏様を見上げていた奈良時代の人々は本当に畏敬の念を感じていたのでしょうか。
その偉容に、ただド肝を抜かれて驚いていただけでしょう。
時を経ないと、現れない美しさがこの世にはあるのです。
桜の話からトンデモナイ話になってしまいました…
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