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院長の独り言 432 ;鬼怒川決壊と日本の危機

先日、関東、東北地方で、大雨の被害が尋常ではありませんでした。

台風18号は小さいので、大した被害は出ないものとタカを括(くく)っていたところ、皆さんご存知のように、まれに見るほどの大災害になってしまいました。

原因は秋雨前線が停滞していたからです。

運の悪いことに、小さい台風とはいえ、前線と重なってしまったために、このような大雨が一部地域に集中、結果、大変な被害になってしまいました。

特に、鬼怒川上流近辺を中心に、関東地方の栃木、茨城、群馬県などで、30〜50ミリの大雨が二日間にわたり降り続いた為に、あちこちの川が危険水域を超えるほど増水してしまい、鬼怒川のように決壊、氾濫し、あのような大惨事になってしまったのです。

鬼怒川と云えば、『鬼怒川温泉』。

東京から近いと云う事もあって、若い頃から家族や友人と、何回も温泉に入りに、あるいは『日光』や『袋田の滝』などを観光巡りした後、ついでに立ち寄って、お湯に浸かっていた馴染みの景勝地でした。

前々から、温泉の横を流れる清流を見ながら、こんなに綺麗な川を何で『鬼怒川』と云うのか不思議に思っていたのですが、今回の暴れ川をテレビで見ていてその理由が実感出来ました。

江戸時代、あるいはそれ以上も前から、何回も大暴れしていた川であったのは間違いありませんね。

読んで字のごとし、『鬼怒川』は、大変な暴れ川と云う事を忘れてしまった頃、濁流となって我々の前に突然『大鬼』として姿を表し、人間に致命傷を与える恐ろしい『大河』に変身するのでしょう。

平成の我々からすれば、綺麗な清流、素晴らしい温泉地『鬼怒川』として、人気がありますが、江戸時代の人にすれば、鬼怒川は悪魔の様な川だと思っていたのかも知れません。

あのような災害に会われた茨城県常総市の皆さんには何と慰めて良いか見つかる言葉もありません。

あるご夫婦は、4年前に東北大震災で家が崩壊してしまい、やっと新しい家を建てたのに、また大雨による鬼怒川の氾濫で大被害にあってしまったそうです。

報道によれば、仙台も大変のようで、災害国日本を再認識させられました。

地震、津波、火山の活動化、そしてゲリラ豪雨など考えると、外国に援助するどころではありませんね。

国による最大の援助を被災者にお願いします。

その為の税金ではないのですか。

院長の独り言 431 ;とうとう喜寿 ‼︎

今年77歳、喜寿を迎えました。

昔から、人生の先輩達は、人生なんか呆気(あっけ)ないもの、アッと言う間に年を取ってしまったと自重気味に言います。

子供の時、一日がなかなか終わらず、年を取る事は膨大な時間がかかるのだと思っていました。

『酒タバコ』何でもオーケーの大人に早くなりたいと思い、大人になればきつい仕事に追われ、早く仕事の無い還暦を向かえてノンビリしたいと思っていました。

ところが、私など、いざ、『喜寿』になってみると、気がついたらあまりの早さで時が経ってしまい、還暦など通過したのも忘れてしまい、アッと言う間に喜寿になってしまった我が人生に愕然としてしまいます。

こんなに時間が経たなければ、人生が終点に到達しないだろうと思っていた子供、青年の頃を思うと、77年なんか本当に短い時間だったと痛感しています。

『光陰矢のごとし』を心の底から実感している今日この頃です。

八王子で歯科医院を開業した43年前、昭和47年の暮れに石川歯科医院を始めたのです。

当時、34歳。

今から思うと、毎日が苦労の連続でした…。

患者さん、スタッフ、そして家族に支えられて、どうにか現在に至っております。

本当に、皆様に感謝しています(涙…)。

その当時の自分の写真を見ると、若いというよりは、子供の様な風貌をしているのには、ビックリと云うより笑ってしまいます。

今回、スタッフが『喜寿のお祝いの会』を催して呉れました。

石川歯科医院に勤めて呉れた先輩の衛生士や助手、受付の女性陣の懐かしい顔ぶれに、久しぶりに会うことが出来て嬉しく思い、当時の様子も蘇ってきて涙が出そうになりました。

これからも、息子を中心に若いスタッフに頑張って貰い、患者さんにいい治療を提供していければと、心から思っています。

あらためて思うのですが、77年の時間の経つのが早いこと早いこと!!

若い人たち、必死に、いまを生きてくださいね!

院長の独り言 430;銭湯と内風呂

私にとって、『お風呂』と言えば、小さい時から、町の大衆風呂、いわゆる『銭湯』のことでした。

小学生の頃は外で散々遊んだ後に、いつも、友達と一緒にお風呂屋さんへ一番風呂に入りに行っていたのです。

綺麗だし、広いし、友達と一緒に行っていたので楽しくもあって、お風呂は大好きでした。

公団住宅やプレハブ住宅が、個人住宅として建設されるようになってきた昭和40年頃になると、何処のウチにも内風呂が当然のように付くようになり、昔の長屋は消失してしまい、お風呂屋さんも一緒に殆ど無くなったような状態になってしまいました。

自分は、親の務めの関係で、一戸建ての官舎に入った中学生の頃には、内風呂が我が家にもありました。

その頃から70歳を超えた現在まで、銭湯には一度も行っていません。

ご多分に漏れず、我が家の内風呂は、小さなお風呂でしたので、銭湯で味わった開放感は、たまに旅行に行った時に入る温泉でしか経験しなくなりました。

結婚してからも、小さな内風呂でしたので、風呂に入るということは、イコール仕事で汚れた身体を洗うための手段といった感じでした。

首まで浸かり、手足を思い切り伸ばすスタイルで風呂に入ることは、普段は夢のまた夢になってしまい、本当に残念。

疲れた身体を癒す手段としてのお風呂は、私としては、温泉にたまに行った時までの『おあずけ』となってしまったのです。

ところが、狭い内風呂に慣れてしまったのか、温泉の大浴場に入っても、縮こまった体型で浸かると云う悲しい習慣が身に付いてしまい、情けない事この上ないのです。

一方、ヨーロッパやアメリカではシャワーで身体を洗うのが、一般的です。

お湯に肩まで全身浸かって入るという習慣はありません。

最近は、日本の影響を受けて、海外でも、檜の風呂が個人の家庭でも流行(はや)りだしたとのことです。

やはり、全身浸かって入る風呂は、何とも言えない快感を感じてしまうのは、全世界共通なのかも知れません。

ところで、何故『風呂』と云うのかと言いますと、昔は、お湯に浸かる事は無く、今で言うサウナ、即ち『蒸気湯』だったそうです。

温かい風にあたるイコール風呂となったのだそうです。

江戸時代は浮世絵には風呂に入っている美人画が描かれているのですから、銭湯が存在していたのは事実です。

風情のある『銭湯』が、いつまで我が国に存在出来るのでしょうか?