院長の独り言 430;銭湯と内風呂
私にとって、『お風呂』と言えば、小さい時から、町の大衆風呂、いわゆる『銭湯』のことでした。
小学生の頃は外で散々遊んだ後に、いつも、友達と一緒にお風呂屋さんへ一番風呂に入りに行っていたのです。
綺麗だし、広いし、友達と一緒に行っていたので楽しくもあって、お風呂は大好きでした。
公団住宅やプレハブ住宅が、個人住宅として建設されるようになってきた昭和40年頃になると、何処のウチにも内風呂が当然のように付くようになり、昔の長屋は消失してしまい、お風呂屋さんも一緒に殆ど無くなったような状態になってしまいました。
自分は、親の務めの関係で、一戸建ての官舎に入った中学生の頃には、内風呂が我が家にもありました。
その頃から70歳を超えた現在まで、銭湯には一度も行っていません。
ご多分に漏れず、我が家の内風呂は、小さなお風呂でしたので、銭湯で味わった開放感は、たまに旅行に行った時に入る温泉でしか経験しなくなりました。
結婚してからも、小さな内風呂でしたので、風呂に入るということは、イコール仕事で汚れた身体を洗うための手段といった感じでした。
首まで浸かり、手足を思い切り伸ばすスタイルで風呂に入ることは、普段は夢のまた夢になってしまい、本当に残念。
疲れた身体を癒す手段としてのお風呂は、私としては、温泉にたまに行った時までの『おあずけ』となってしまったのです。
ところが、狭い内風呂に慣れてしまったのか、温泉の大浴場に入っても、縮こまった体型で浸かると云う悲しい習慣が身に付いてしまい、情けない事この上ないのです。
一方、ヨーロッパやアメリカではシャワーで身体を洗うのが、一般的です。
お湯に肩まで全身浸かって入るという習慣はありません。
最近は、日本の影響を受けて、海外でも、檜の風呂が個人の家庭でも流行(はや)りだしたとのことです。
やはり、全身浸かって入る風呂は、何とも言えない快感を感じてしまうのは、全世界共通なのかも知れません。
ところで、何故『風呂』と云うのかと言いますと、昔は、お湯に浸かる事は無く、今で言うサウナ、即ち『蒸気湯』だったそうです。
温かい風にあたるイコール風呂となったのだそうです。
江戸時代は浮世絵には風呂に入っている美人画が描かれているのですから、銭湯が存在していたのは事実です。
風情のある『銭湯』が、いつまで我が国に存在出来るのでしょうか?