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院長の独り言 265 ; 夏の長雨と不作

あの妙な軌道を描いた台風6号の通過を境に、急に過ごし易い日々が続いています。
台風の来る前日までは、マスコミ報道で、毎日のように『熱中症に注意!』と報道していました。
ところが、これからが夏本番の筈なのに、何となく梅雨の様な、秋の様な、変な天気なのです。
数日前から、韓国では大洪水になり、大被害が出ているようです。
そして今、日本の北陸地方では、豪雨騒ぎです。
気圧配置を見ると、暫く局地的に、大雨が降るようで、特に災害地の人は大災難です…。
大震災といい、大洪水といい、今年の日本列島は、自然の猛威に翻弄(ほんろう)されています。
このまま秋になってしまうと、お米の出来も心配になってきます。
ひと月前のブログでは、『日照りに不作なし』などと、日本の灌漑設備の素晴らしさを自慢して、必ず大豊作のなると書いていたのに(院長の独り言 258 ; 『日照りに不作なし』)、たったひと月で、この変わり様…。
トンデモナイ事になりそうです。
『女心(失礼)と秋の空は当てにならない』と例えられるほど、『秋の空』は、急変する代名詞ですが、豊作が不作にならなければ良いのですが。
本来は、一年中で一番、暑い夏本番なのです。
今から秋梅雨(あきつゆ)になってしまうと、お米が不作になる可能性も出てきました。
来週から、通年のように、暑い、暑い夏に戻って欲しいと、願わざるを得ません。
昨日は、午前の診療が終わり、医局でお昼のNHKニュースを見ていると、ヘリコプターが、新潟の信濃川上空を写しています。
信濃川に架かっている臼井橋と小須戸橋の冠水している映像が、映し出されていました。
橋上の乗用車の屋根だけが、見えています。
すでに、信濃川が一部で決壊して、加茂市の田畑や住宅が広い範囲に渡って冠水しています。
川より、住宅密集地の標高が低いので、このまま氾濫が続いたら、大変な被害になる事、間違いありません。
お米の本場、新潟で、コシヒカリが不作になってしまったら、それこそ大変な事。
幸か、不幸か、為替は円高です。
今のうちに、小麦や大豆など農作物を出来るだけ沢山、輸入すべきではないでしょうか。
勿論、石油や天然ガスなども輸入するように、検討すべきというより、即刻、実行すべきではないでしょうか。
モタモタしていると、円安に振れてしまい、折角のチャンスを逃す事になりますよ。
万が一、お米が不作になっても、今から手当てをしておけば、慌てる事ないのです。

院長の独り言 264 ; 植物の生命の尽きるとき

自宅2階の廊下に、白い蘭(ラン)と桃色のシクラメン、青々と葉の生い茂ったセントポーリア(真冬は深紅)の鉢植えが置いてあります。
家の南側が道路なので、前に遮(さえぎ)るものが無い2階の廊下は、陽の光がたっぷり注ぎ込んできます。
毎朝、起床すると、植木鉢に水を注(さ)しているので、これら3種類の植物は生き生きとしています。
そして1週間に1回、栄養素を与えています。
ところが、うっかり2〜3日間、水をあげるのを忘れてしまうと、花も、葉も、グッタリと萎(な)えてしまうのです。
何しろ、鉢が小さい事もあって、与えている水の量は1日分が、丁度、良い塩梅なのです。
コップにたっぷりと水を入れて、各々1杯ずつ、3つの鉢に注ぐのですが、不思議な事に、一滴の水も、鉢底の穴から漏れ落ちる事はありません。
自分としては、鉢から水が漏れないのが当たり前だと思って、いつも何も考えずに水を入れていました。
しかし、良く考えてみると、たかだか15センチ程度の高さと直径12〜3センチの小振りの鉢ですから、勢いよく水を流し込んでいると、鉢底から、水が当然、出てきそうなものです。
それを証明する事件がある日、起こりました。
鉢に注いだ水が、底の穴から流れ出てきたのです。
5月中旬に、冬の花シクラメンの寿命が尽きたのか、シクラメンが急激に弱ってきました。
桃色の花が、どんどん枯れて、廊下に落ちるようになってきたのです。
葉っぱの色も茶色く変わってしまい、茎もピンと立たなくなり、葉の重みに堪え兼ねてお辞儀をしています。
シクラメンを元気付けようと、栄養素入りの水を多目に与えました。
他の2種類の植木にも、同じように、栄養素入りの水を注いでいたのは、勿論の事です。
枯れかかったシクラメン、そして元気な蘭(ラン)とセントポーリアも、6月の末までは朝、水を鉢に、十分に入れても、鉢の底からは水は漏れてきませんでした。
ところが、7月に入ったある朝、いつものように、3つの鉢に水を与えたところ、真ん中にあるシクラメンの鉢の底から、勢いよく水が出てきたのです…。
結果、廊下一面が、水浸しになってしまったのでした。
何事が起きたのかと思いました。
その時ハッキリと、シクラメンの命が尽きたと私は確信したのです。
元気な蘭とセントポーリアの鉢底からは、水が一滴も出てきません。
生きている時と命が尽きた時の思わぬ違いを知って、暫(しばら)く濡れている廊下を拭く事も忘れ、呆然と、その光景をしばし見ていたのでした。
われわれ動物と違い、動く事が出来ない植物の、水を吸い取る、恐るべき能力をあらためて実感しました。
と同時に、命が亡くなった時の儚(はかな)さを、こんな形で思い知らされるとは…。
川上に木々が存在しないで、少し強く雨が降れば、川下は簡単に洪水になって、人間界に被害が及ぶ事を実感出来たのです。
三つの小さな植木から、緑の大切さを学んだのでした。

院長の独り言 263 ; 蝉の鳴かない夏…

ネットサーフィンをしていたら、今年は日本各地で、蝉(せみ)が全く鳴かないと載っていました。
昔から、蝉の鳴かない年には大きな天変地異、特に大地震が起きると言われているのです。
アブラ蝉は7年間も地中で生活しているので、地下の異変を感知するのでしょうか。
宝栄の大地震の起きた1707年10月(江戸時代中頃)の夏には、全くと云っていいほど、蝉の声が聞こえなかったそうです。
この年は、富士山も大爆発して、農作物に多大の被害が出たのです。
『前年は、蝉の大合唱で五月蝿(うるさ)いくらいだったのに、今年は蝉の声が全く聞こえず、逆に寂しい夏だ』と、古い記録に残っているのです。
1923年の関東大震災と1995年の阪神大震災の夏にも、蝉の声はトンと聞こえずに、あの大地震が起こったそうです。
今年は特に暑い東京ですが、蝉の声が聞こえないと皆さんおっしゃいます。
先日、家族で銀座に行ったついでに、日比谷公園をグルリと回ったのです。
車窓を開けていたのですが、青々と茂った木々の間から、蝉の声が結構、聞こえてきました。
『蝉が鳴いているじゃないか!』
去年よりは遠慮勝ちだけれど、確かに蝉が鳴いています。
古来からの言い伝えを信用すれば、どうやら東京には、大震災は無さそうで、ホッとひと安心。
久し振りの『銀ブラ』ついでに、日比谷や霞が関まで足を延ばしたのです。
それにしても、日比谷公園近辺の官庁街は、綺麗に整備されていているのでビックリしました。
ロンドンやパリよりも全く上手(うわて)をいっていて、私が学生の頃、安保闘争でデモをしていた当時を思い出すと、そのあまりの違いに、日本も随分、進化したものだと感無量です。
こんな素晴らしい環境の中で、国会議員の先生や官僚の方々は仕事をしているのですから、日本国民の為に、是非、頑張って貰いたいものです。
国民の血税を使って、官庁街を整備しているのですから、本当にお願いします。
小学生の頃、日比谷公園に友達と一緒に、蝉やトンボを採りによく来た事が、走馬灯のように頭の中を巡ったのでした。

院長の独り言 262 ; 久し振りの銀ブラ

今週の日曜日に、久し振りに、家族で『銀ブラ』と洒落込みました。
半年前に息子と一緒に、銀座『松屋』前にあるアップルストアに、デスクトップのパソコンを買いに行ったのですが、その時は目当ての商品を買ったら直ぐに、自宅へ帰宅しただけでした。
朝、目を覚ますと、真夏にしては心地の良いそよ風が吹いていて、そんなに暑くも無いので、何となく、何処かへ外出したくなったのです。
奥多摩にでも行って、緑を楽しんでみようかとも思ったのですが、どうせ外出するなら、久し振りに銀座でもブラついてみようか!となったのです。
奥多摩と銀座では自然と都市で、あまりに正反対の目的地。
思い付きとは云え、本当にいい加減な予定の立て方で、我ながら笑ってしまいます…。
自然を楽しむのは次の機会に譲って、銀座をブラつき、東京を楽しもうと意見が一致したのです。
午前中に急いで、書類の整理などを済ませて、午後1時過ぎに車で出発。
中央道は日曜日と云うこともあって、上下とも少し混んでいましたが、無事に銀座に着く事が出来ました。
ところが銀座に到着してみると、日曜日なので、銀座4丁目を中心に、歩行者天国だったのです。
その事をスッカリ忘れていました…。
歩道も、車道も、ひと、ひと、ひとで、溢(あふ)れ返っています。
当然ですが、駐車する場所がありません。
日比谷辺りから新橋、築地と、街をぐるぐる回って、駐車場を必死に探したのですが、どうしても見つかりません。
折角、銀座まで来たのに、残念ですが、止むを得ず、帰る事にしたのです。
ところが、銀座7丁目の角を曲がって、首都高速に向かおうとした時、目の前にあったコインパーキングが一つ空いているではありませんか。
一瞬、錯覚ではないかと、眼を擦ってよ~く見たのですが、間違いなく空いていたのです!
こんな嘘みたいな幸運に恵まれて、目的通り『銀ブラ』する事が出来、つい皆さんに報告したくなったのでした。
歩行者天国ですから、ワザと車道の真ん中を歩きます。
松屋とアップルストアの前を通り抜ける頃には、お腹がグーグー騒ぎ出したのです。
すると丁度、中華料理の銀座アスターが目の前。
ここも運よく、予約なしで、席が取れたのです。
女性軍は紹興酒を、私は生ビール。
結構、歩いたので、喉が渇き、生き返った感じです。
気の毒ですが、息子は運転手。
ノンアルコールビールで我慢して貰いました。
老若男女、外人さんなど沢山の人出には、本当にビックリしましたが、天気も良く、久し振りの『銀ブラ』。
英気を養う事が出来た一日でした。

院長の独り言 261 ; スカイツリーと五重塔

世界一、ノッポの電波塔が話題になっています。
いよいよ来年5月に一般公開される、高さ634メートルの東京スカイツリーの事です。
着工当時から注目の的で、東京タワーの高さを抜いた時は、マスコミに大いに騒がれました。
とうとう、上海にあるテレビ塔を凌駕(りょうが)して、世界一の高さの電波塔になったと云っては、話題になっていました。
この塔が完成するまでは、我が国では、電波塔と云えば東京タワーでした。
東京タワーは長い間、東京のシンボルで、観光名所だったのは、皆さんご存知の通りです。
全くの数合わせ、333メートルの高さを誇り、展望台からは都内全域を見下せます。
東京湾は当然として、晴れた日は遠く富士山まで、良く見る事が出来ます。
東京に初めて観光に訪れた人で、この塔に登らない人は、まずいなかったでしょう。
東京タワーが完成した1958年当時、東京の景色は今とは全く違っていて、大げさに言えば、真っ平らといった風情でした。
今となっては、日常の光景としか思えないでしょうが、超高層ビルなど皆無でした。
今で言う建築基準法で、ビルの高さは31メートルと制限されていたのです。
私もよく覚えていますが、東京タワーに遅れること5年後、1963年、霞ヶ関に日本で初めての超高層ビルが建った時は、東京タワーの時も驚きましたが、違った意味で、本当にビックリしました。
高さは147メートルと、高さが東京タワーより低いのですが、東京タワーは建物と言うより、鉄塔を大きく高くした感じです。
ところが、この霞ヶ関ビルは、映画で見るニューヨークの超高層ビルを彷彿させたから驚いたのです。
その後、東京では、副都心新宿を中心に、超高層ビルが雨後のタケノコのように出現してきました。
40階を超えるマンションも珍しくありません。
その結果、東京タワーから発する電波が、超高層ビルに遮断されてしまい、東京タワーは集約電波塔として、要を為さなくなってきたのです。
止むを得ず、東京タワーに変わる新しい電波塔が、必要になってしまった訳です。
東京スカイツリーはあまりに高い電波塔なので、もし大地震が東京に発生したら、倒壊しないのか、大変、心配はされていました。
3月11日の東日本大震災の時、殆ど完成している東京スカイツリーの、高さ600メートル付近で作業をしていた鳶(とび)の人達の話によると、凄く揺(ゆ)れたのは当然ですが、その揺れは半端でなく、左右に最大6メートル揺れたとの事…。
タワーが弓なりになり、大袈裟でなく、地上に振り落とされるのではないかと、必死に鉄柱にしがみ付いて、難を逃れ、皆生きた心地がしなかったそうです。
ところが、揺れが激しかったのは事実ですが、地震の後に、塔全体を細部にわたり検査したところ、故障箇所が全く見つからなかったそうです。
話は変わりますが、法隆寺の五重塔をはじめ、古来から千棟以上も建てられている五重塔が、なぜ大地震でも倒壊しないのか、不思議がられていました。
五重塔の周りに存在している本堂や宝物殿などは崩壊しているのに、五重塔は倒れません。
建築の専門家によると、五重塔の真ん中には、浮いた心柱(しんばしら)があるのだそうです。
要するに、心柱は一番上の天井から吊るされていて、土台にはくっ付いていないで、浮いている状態なのです。
この心柱が、地震の揺れ方向と、反対に揺れ、地震の揺れを吸収し、五重塔は倒壊しないのです。
東京スカイツリーは、その理論を応用しているのだそうです。
五重塔のように、心柱を持った建築物は、日本独特のもので、世界には例がありません。
五重塔の幾つかは、戦火や放火などの火事によって、消失していますが、地震で倒壊した事は無いのですから、東京スカイツリーが大地震の犠牲になる事はあり得ないのです。
古きを温(たず)ねて 新しきを知る…

院長の独り言 260 ; 台風6号の不思議な進路

7月20日(水曜日)の朝。
大型の台風6号が、日本列島に接近中!
すでに、四国に上陸したとの事。
朝起きたら、何となく台風が来そうな空模様ですが、雨は降っていないし、風も吹いていません。
ネットの天気図を見ていると、この台風6号の進路は、今まで見た事も無いような、妙な動きなのです…。
まず四国にぶち当たった後、直角に曲がります。
そして太平洋に出て、今度は紀伊半島をかすめ、東海沖をユックリと東に向かって進行しています。
気象庁は、この台風は超大型で、しかも日本列島を直撃すると、2~3日前から発表していました。
四国は勿論、一般的な台風コースに当たる関西地方、東海地方、そして関東地方は、特に注意するように…と呼びかけていたのです。
7月に発生する従来の台風ですと、四国沖から上陸した後は、少しずつ東にコースを曲げて、琵琶湖方面に向かいます。
そして、一旦、日本海に出て、東北地方に再上陸すると云ったパターンがお決まりで、簡単に言えば、緩(ゆる)い放物線を描きます。
今回の台風も、いつもの放物線を描いて進んで来るなら、超大型なので、東京でも、かなりの被害が出そうな嫌な感じでした。
水曜日から木曜日に掛けて、雨風(あめかぜ)が凄まじくなり、久しぶりに雨戸をキッチリと閉め、防御しなければならないのかと緊張していました。
子供の時分に、『キティ台風』と云う、関東地方に大被害を齎(もたら)した台風に遭遇した苦い経験を持っているので、台風が直撃すると云うと、今でも、つい緊張してしまうのです。
ところが、水曜日に、診療所に向かう車から外を見ていると、八王子は殆ど風も吹かず、雨脚もたいした事ありません。
昼頃には、薄日も射してきました。
患者さんと顔を見合わせながら、『予報と違って、たいした事になりそうもないね…』と、ホッとしていたのです。
テレビの天気予報を見ると、台風の進路予測は益々、太平洋に向かって、逆戻りの様相を呈しているのです。
夕方、診療を終えて、スタッフみんなで『ビアガーデンに行って、暑気払いでもしようか!』と冗談が出るほど、雨風は弱く、台風が遠ざかってしまったようです。
地図上で、太平洋を登って来て、日本列島に上陸した途端、今度は、太平洋に逆戻りしていった不思議な台風6号。
多分、これ以上、日本列島に被害をもたらさないでしょう。

院長の独り言 259 ; 日本の女性は、本当に強いですね!

まさかのなでしこジャパン、世界一!!
あの大きな相手を向こうに回して、互角に戦い、体格の差を見事に克服しての優勝は、素晴らしいのひと言です。
その試合の成り行きに、ハラハラドキドキのしっ放しで、勝利した後、グッタリしてしまいました…。
早朝から、テレビ画面を必死に観ていた小生。
1点リードされてしまい、もう駄目かと思ってガッカリしていたら、奇跡の同点!
女子軍団は、本当にたいしたものです。
何とか延長戦に持ち込んで呉れて、ホッと一息。
何時もはグーグー、夢の中の時間帯ですが、今日ばかりは、睡魔などは何処かに吹き飛んでしまったのです。
そして運命の延長戦が始まったのですが、大きなアメリカ人選手を見ていると、日本人選手があまりにもか弱く見えてしまい、ここまでよく頑張ったと、内心慰めの言葉を送っていたのでした。
スーパーコンピューターは毅然として、何が何でも世界一を取り返したけれど、なでしこジャパンには『2位で充分、良くやった!お疲れさん…』と、試合が終わる前から、勝手にひとりごちる始末。
延長戦に入り、またまたアメリカに先行されてしまい、『最早(もはや)これまで…』と、テレビ画面を正視出来ません。
残念だけど、日本の負けを覚悟して、一度はテレビを消してしまい、心の中で『しかし良くやったもんだ!ナデシコは…』と思いつつ、再び布団の中に入った私でしたが、頭が異常に興奮していて寝付く事が出来ません。
布団から起き上がって、恐る恐るテレビを点(つ)けて、目を細め、画面のスコアーを覗いてみると、なんと2対2の同点になっているではないですか!
ここからは俄然、応援にも気合が入ってきたのです(小生が気合を入れても始まらないのですが…)。
我ながら自分の『現金さ』に呆れるほどです。
そんな訳で、同点の劇的場面は、残念ながらライブでは観戦する事が出来ませんでしたが、そんな事はもうどうでも良い事で、その後は『頑張れ!頑張れ!』と必死に応援しまくりです。
何とかPK戦に持ち込む展開になり、ここまで来たら、何が何でも『優勝』のふた文字を心の底から願ったのでした。
結果は皆さんご存知の如く、日本女子は、FIFAサッカーワールドカップで見事、初優勝し、世界の頂点に上り詰めたのでした。
4年に1回の、女子W杯での優勝!
なでしこジャパンの女子軍団、本当に素晴らしかったですね。
心より『おめでとう!』を言わせて貰います。
ところで、小生が女子W杯を観戦していて一番、感じたのは、どんなに強いチームでも、守りに入ると負けに繋(つな)がってしまうと云う事でした。
アメリカは2回、守りに入ってしまい、結果として、その守りの姿勢が敗因になった気がしてなりません。
昔から言われているように、『攻撃は最大の防御である』を、あらためて実感したゲームでした。
なでしこジャパンの皆さま、優勝、本当におめでとう御座います。
そして、大震災でシュンとしてしまっている日本を、元気付けて呉れたなでしこジャパン、御苦労さまでした。

院長の独り言 258 ; 日照りに不作なし

『日照りに不作なし』とよく言われている事に、一寸、違和感を感じますが、本当の事です。
雨が降らないと、米でも、野菜でも、成長しないで枯れてしまう気がします。
今年のように7月に入ってから、日本全国、毎日の猛暑が続いていると、お米が不作になるのではないかと正直、心配してしまいます。
ところが、雨がシトシトと降り、日照りの正反対の冷夏こそ、お米は不作になってしまうのです。
もう30年も前になってしまったので、殆ど話題にもなりませんが、フィリピンのピナツボ火山が噴火した年の事です。
噴火の影響で、酷(ひど)い冷夏になり、その年の秋以降、お米屋さんから国産米が見事に姿を消してしまい、勿論、スーパーマーケットでも、国産米にお目にかかるのが出来なくなってしまったくらい、大不作になってしまったのです。
代わりに、高齢の方はご存知と思いますが、『タイ米』が売られていたのです。
タイ米はジャポニカ種より、かなり細身のインディカ種で、パサパサしていて、われわれ日本人のように、箸を使って、おかずと別々に食べる食習慣を持つ者にとっては、あまり旨いとは感じられないお米でした。
その年の後半、急にパンを食べる人が増えたと言われたのを覚えています。
ただし、このタイ米、カレーライスとして食べると、結構、美味しいのです。
タイでは、長い伝統と云うか習慣として、お米を素手で食べています。
ジャポニカ種のように、少々、粘り気のあるお米は、日本では良くても、タイでは不向きなのでしょう。
食にもグローバリゼーションが進む昨今、タイでも、素手でご飯を食べる人は少なくなってきているでしょうし、甘みある日本産のお米の人気が出て来るのも、時間の問題でしょうか。
何故、『日照りに不作なし』なのか、種明かしをすれば簡単なのです。
昔はやはり、日照りで、雨量が少なければ、お米などの農作物は、不作だったのでしょう。
ところが、現在の日本は、あらゆる田畑において、灌漑が完璧に設備されています。
灌漑のお陰で、水の供給に関しては全く心配がない訳です。
唯一、農作物の出来不出来に、決定的な影響を与えるのが、太陽と云う事になるのです。
いくら水が充分に足りていても、太陽からのエネルギーが不足してしまうと、お米や野菜が育たなくなってしまいます。
今年のように、毎日のカンカン照りの夏であれば、嬉しい事に、お米の大豊作は間違いないでしょう。
ただし、大きな台風が日本列島を直撃した時が心配です。
そうならない様に願いたいですね…。
アメリカ、ロシア、フランス、オーストラリアそしてブラジルなどの農業大国は、食料を輸出するほどに収穫出来るのです。
何処の国でも、自前で食べて行ける程の主食が収穫出来れば、国民の心に余裕が生まれます。
せめて我が国も、主食であるお米くらいは、余る程に生産すべきではないでしょうか。
全国民が充分、満足する程のお米が、一年中、日本の米蔵(こめぐら)に入っていれば、こんな安心出来る事はありません。

院長の独り言 257 ; 暑い夏の過ごし方

先日、書いたブログのオサライです。
子供の頃、何処の家でも、夏の暑さ対策として、窓と云う窓をすべて全開にして簾(すだれ)を垂らし、自然の風で涼を取っていたと書きました(院長の独り言 253 ; 節電の夏、到来)。
冷房という、シャレた製品が、この世に無かったからです。
今からでは考えられないほど、不格好な、飛行機のプロペラのような扇風機が精々、回ってくれれば、御の字と云った所でした。
ところが今夏、福島原発事故によって、電力不足になり、その節電対策として、この簾が復活したそうです。
スーパーの家具売り場で、去年まで、ひと夏で二つか三つ売れれば良かった簾が、今夏は売り切れ続出だそうです。
半世紀、時代を逆行してしまったのです。
流石に物騒な昨今、道路に面している1階での使用は殆ど無いようで、2階以上では、簾は重宝されているとテレビ番組のリポーターが言っていました。
電気の使用を節約するのは今時、当然です。
原発事故に関係なく、節電は良い事です。
しかし、名古屋大学のある准教授の話によると、日本の電力供給量はそんなに節約しなくとも、われわれ国民が今まで通りに使用していて、全く電力不足など起こらないほどに余裕があると、あるテレビ番組で言っていました。
もし我々が、今夏、普通に例年通り、エアコンを使用していても大丈夫ならば、こんなにハッピーな事はありません。
話は変わりますが、本音で言えば、私は年少の頃から、暑い夏が大好きでした。
小、中学生の頃は、夏休みは毎日のようにプールに通い、雨の日はガッカリしていたものです。
大人になってからも、猛暑の仕事帰り、ビヤホールでの生ビール一杯は、本当に加山雄三ではないけれど、『幸せだなぁ〜』と言ったところです。
一年中で一番、苦手な季節は、真冬の、骨の芯まで冷えてしまう2月です。
私は案外、暑い日は、そう苦手ではありません。
小さい頃から、夏は暑いものと思っていましたから…。
暑い季節だからこそ、カキ氷や冷えたスイカが美味しく感じるのだと思います。
日本は春夏秋冬があって、本当に幸せだなぁ~。

院長の独り言 256 ; 蒸し暑い日には、抹茶で元気回復を

いよいよ暑さのピーク、夏本番。
東京は、朝から30度に向かって、うなぎ上りと言ったところです。
汗が吹き出るくらいなので、身体から水分が蒸発してしまい、血液はドロドロ状態でしょう。
当院のスタッフが茶道の稽古を受けている、阿部治子先生は『石川先生の血はドロドロだそうだから、夏は、これを毎日、飲むのが一番よ!』と、濃い抹茶を、わざわざ冷やして持ってきてくれたのです(院長の独り言 224 ; 日々の生活に新しい発見を…)。
阿部先生曰く、『抹茶は血の流れを良くする』そうです。
抹茶の方が煎茶より、毎日、飲むと、身体を元気付けてくれるとの事。
実際、毎日、抹茶を飲んでいる阿部先生は、実にお元気です。
現在、阿部先生は、当院に通院中。
いつも治療を開始する前に、阿部先生からお茶の話を伺います。
例えば、『お茶の歴史』や『三千家の話』。
また、抹茶には『濃い』、『薄い』と云った飲み方があるとか、『抹茶の効用』などなど、面白い話を伺っているのです。
時には治療の時間より、先生とお茶の話をする時間の方が、長い場合もある位です。
本日のように暑い上に、湿気が強く、空気が淀んでネットリとした日は、患者さんの体調が悪くなる事があります。
一応、猛暑の脱水症状対策に、冷たいお茶を用意していますが、万が一、患者さんの体調が悪くなった場合は、他にも、それなりの対応策を用意しているのです。
寒い冬には、患者さんの要望によって、暖かいお茶を出すようにしています。
また他に、砂糖入りのコーヒーや飴などを置いておりますし、万が一の為に、AED(Automated External Defibrillator;自動体外式除細動器)や、エピネフリンなどの救急医薬品も、怠りなくシッカリと用意しています。
話を『お茶』に戻しますが、煎茶に比べて、抹茶は、その濃い緑色の割に、甘みがあって、老若男女、誰でも口に合うものです。
先日、京都の金閣寺で抹茶を頂いた時、小学校低学年と思(おぼ)しきチビさん達も、喜んで抹茶を飲んでいました。
もしかすると、あれは、抹茶と一緒に付いていたお菓子目当てだったのでしょうか…。
お抹茶

院長の独り言 255 ; 鳩事件、勃発!

毎月第2土曜日は、小生、72歳の高齢者と云う事で、スタッフ全員の好意の下、休ませて貰っています。
だから本来、本日は休日だったのですが、急用が出来てしまい、ひとりで車を運転して病院の前に車を止めて、4階にある医局に行き、所用を済ませて直ぐに帰宅するつもりでした。
普段は、息子の車に便乗して、通勤しています。
ところが、病院の前に行ってみると、息子が何やら必死に掃除をしているのです。
『どうしたの?』と声を掛けると、息子は『あれ、何しに来たの?』と、小生の突然の出現に、鳩が豆鉄砲を食らった感じのビックリ顔です。
掛け言葉ではないですが、その鳩が病院の玄関の前で、無残な殺され方をされていたのです…。
息子が病院の前に来た時、カラスが数匹、夢中で何かを食い漁っていたそうです。
息子が近づいて来たので、カラス共はパッと飛んで、逃げたそうです。
その後に、首のない鳩が内蔵を食い荒らされて、周囲は血が飛び散っていると云った、凄惨な状況が目の前に出現したとの事
それを見た息子が掃除をしていたところに、私が声を掛けたのでした。
そう云えば、結構、血生臭いがして、羽も広範囲に飛び散っています。
思わず、『ウッ』と息が詰まってしまいました。
丁度、土曜日の早朝だったので、幸いにも、人の通りは少なく、息子は素早く、綺麗に鳩の死骸を片付けていたのです。
汗をビッショリ掻いて、治療する前から、あまり気持ちの良くない仕事です。
彼は父親の思わぬ出現に、『ホッ…』とひと息入れ、苦笑しました。
以前、自宅の庭…、と言っても、猫の額ほどの可愛い庭ですが、庭木に鳩が巣作りを始め、卵を温めていた事がありました。
ある日、ヒナが孵ったので、巣立ちを、家族みんなで楽しみにしていました。
ところが、今回と同じく、鳩の親子はカラスに襲われてしまいました…。
変な音がしたので、直ぐに外に出てみると、ヒナは地面に落とされていて、直ぐに息絶えてしまったのです。
その時も『弱肉強食』、本当に生きていくと云うのは大変な事だと、つくづく感じたのですが、今回も、あらためて思い知らされました。
病院では、待合室の水槽に、カクレクマノミなどの観賞魚を飼っているのですが、普段はみんな、仲良く泳いでいるのですが、一寸でも弱ると、みんなでその弱った一匹を攻撃するのです。
食物連鎖の法則と言ってしまえば、本当にその通りなのですが、この地球上で、毎日、食うか、食われるかが繰り返されていると思うと、自分は常に、何かの力に突き動かされて生きていると、感じざるを得ません。
早朝の鳩事件で、何となく、朝からシュンとした土曜日でした…。

院長の独り言 254 ; ああ、勿体ない…

朝のNHK連続テレビ小説『おひさま』で、疎開の場面を見ていたら、小生、突然、66年前、疎開先で意地悪をされた、悲しい出来事を思い出してしまいました…。
この事は、何かに付けて、思い出してしまいます。
トラウマになっているのです。
72年間の人生で、トラウマになってしまった体験は、二度あります。
ひとつは戦中に、母方の祖母の遠い親戚に預けられて、疎開した時、そこで酷い待遇を受け、ヒモジい思いをさせられ、それ以来、満腹の時でも、出された食物は全て食べてしまうという、悲しい癖がついてしまった事です。
もうひとつは、ゴルフ大会の前夜に食べた、鳥貝の刺身に大アタリしてしまい、プレー中、腹を下したり、嘔吐したり、言葉に表せないほどの苦しみを味わい、その結果、大好きだった鳥貝を食べる事が出来なくなってしまったどころか、見るのもオゾマシイくらいになってしまった事です。
鳥貝を見ると、途端に吐き気がすると云うトラウマです。
両方ともに、食べ物関係と云うことで、『食べ物の恨みは怖い』と昔から言われていますが、全く本当ですね。
恥ずかしいけど、意地汚い話で申し訳ありません…。
色気の無い話で恐縮です。
と言った訳で、疎開先の話は今でも憎たらしく思うのです。
一緒に疎開していた祖母と私が寝た後に、隠れてコソコソと、その親戚一家が果物や白米を美味しそうに食べていたと、祖母から聞いたから尚更です。
丁度、私と同い年の男の子がいたのですが、そこのお爺さんとお婆さんがその孫を猫可愛がりし、勝ち誇った、その男の子の顔を思い出すと、全く腹立たしい限りなのです。
そんな事は露知らず、親父がお礼かたがた、しばらく振りに、その疎開先を訪れたのですが、プクプクと太って血色も良いその子と比べると、痩せて色艶の悪い私を見た途端、親父は唖然としたそうです。
何しろ、疎開前の私は、今で言う肥満児寸前の、太った子供だったからです。
親父の唖然とした理由は、自分の子供と祖母が、お世話になっているのは有り難い事ですが、いくら緊急時とは云え、かなりの金額を、毎月『お世話代』として送金していたので、大事に面倒をみていて呉れているものと思っていたのでしょう。
しかし頭を冷やして、今から思えば、意地悪されたとは云え、祖母と二人を受け入れて呉れただけでも、感謝しなければいけないのかも知れません。
その悲しいトラウマが身に付いてしまい、先日も、近所のコンビニで売れ残りのお弁当を、大量に廃棄しているのを目撃した途端、『何故、こんな勿体ない、酷(ひど)い事をしているのか…』と本気で、店員の人に言おうと思ったくらいです。
みんな拾って、食べてやろうかと、一寸ばかり考え込んでしまいました…。

院長の独り言 253 ; 節電の夏、到来

7月1日(金)からいよいよ、経済産業省が主導する節電アクション(節電対策)が始まりました。
ところで家電の中で、一番、電力を消費するのは何だか、ご存知ですか?
冷蔵庫、あるいはテレビ、あるいはエアコン、さて、どれでしょう。
一番、節電になるのは、冷蔵庫ではなくてエアコンで、ひと部屋の電気を止めていれば、一日中、稼働している冷蔵庫の消費電量の3倍は節電になるそうです。
そう言った訳で、部屋の温度設定を28度にするように、五月蝿(うるさ)く、新聞やテレビで協力を訴えるのも、理解出来ます。
マスコミによれば、役所や会社では、皆で頑張って、冷房の設定温度を28度にしており、我慢大会さながらで仕事をしているようです。
一方、自宅でエアコンを止めて、窓を開けていると、何かと物騒な昨今、泥棒の被害に合わないとも限りません。
私が小学生の頃は、夏は何処の家も、窓は開けっ放しでした。
本当に60年前の日本は、長閑(のどか)なものでした。
玄関の鍵でさえ、我が家では、掛けた事は一度もありませんでした。
当時、エアコンなどは、世の中に存在してなかったので、せいぜい扇風機があれば御の字。
殆どの家では、暑い日は窓という窓を全部、開けて、簾(すだれ)を掛けて、暑さ避(よ)け対策をしていました。
我々子供は、カキ氷を食べて、嬉しい暑さ対策もしていたのです。
勿論、我が家も、近所の家もみんな、そうして暑さから身を守っていたのです。
しかし、空き巣の被害を受けた事など、一度も聞いた事が無かったのです。
今から思えば、戦争に負けてしまい、食べるだけで精一杯、何も盗られるような物が無かった事も確かでした。
冷蔵庫も、テレビも、エアコンも、現在、重宝されている白物家電が存在しなかったので、節電なんか全然、必要無かったし、『節電』と云う言葉さえもありません。
オッさん連中は、夕方、殆ど裸同然に、道端で縁台将棋を差し、暑さをしのいでいました。
我々子供達は、日中、川やプールで水遊びに熱中していたのです。
我が家で玄関に鍵を掛けるようになったのは、確か自分が高校生になる少し前だったと思います。
世の中が色々と物騒になってきた時期は、日本が高度成長期に入った頃と符合するのです。
しかし、まだまだ今ほど危険な状態ではなかったので、夜遅くの女性の帰宅でも、それほど危険とは感じない時代だったのです。
ここ最近、右肩上がりに危険一杯の世の中になってしまい、60年前のように、窓を開けっ放しにして、涼を取るなど不可能です。
確かにエアコン、冷蔵庫、テレビ、そして自動車と、贅沢な暮らしになったのですが、その代償として、危険が一杯の世の中になってしまいました。
しかし、脱原発の旗の下に、今更、時代に逆行するのが、本当に世の中にとって良い事なのでしょうか。
それより積極的に、『オーランチオキトリウム』や『メタンハイドレート』などで(院長の独り言 220 ; メタンハイドレートとオーランチオキトリウム)、新しいエネルギー源を早く開発するべきでは、ないのでしょうか。
節電、節電で、小さく縮んで行くより、新しいエネルギーを開発して、大きく羽ばたいて行きたいものです。
我が国日本は、まだまだ、世界に誇れる技術を持っているのですから…。

院長の独り言 252 ; 世界中が日本の成り行きを注視しています

原発事故による放射能漏れは、益々、深刻の度を増してきています…。
大津波の災害と異なり、当然ですが、福島原発の事故に関しては、外国の反応は神経質で厳しいものです。
日本全体が、まるで放射能で汚染まみれになっているような、オーバーな報道をしている国もありますが、それだけ重大な事故と云う事です。
日本の農産物は、日本のどの地域で生産された物でも、輸入禁止とか、あげくは、洋服や自動車などの工業製品まで駄目出しを受けています。
放射能汚染を受けると、長期間にわたって、人体に悪い影響を及ぼしますから、世界が恐怖しているのも、当然と言えば当然です。
福島の原発事故の恐ろしさを目の当たりにして、ドイツやイタリアは、暫時、原子力発電所を閉鎖して行き、最終的には全廃する事を国民投票で決定しました。
ここからが今回の独り言です。
大震災、特に福島原発事故のような、自分たちも悪影響を受けてしまいそうな状態において、日本に対して見せる態度が、その国の本心なのでしょう。
普段、平和な時は、友好的に付き合っているのですが、ガラッと態度を豹変させる国があるのも事実です。
原発事故のような非常時こそ、物質の援助より、精神的に優しく手を差し伸べてくれる国が、本当の友好国であり、どれだけ我々日本人にとって嬉しい事か測り知れません。
我々も心して、今回の大震災に対する各国の反応を、冷静な目で見つめるべきです。
日本が大津波と原発事故に遭遇した事に、心から心配してくれている国もある反面、日本から今まで色々と援助を受けているにも関わらず、我が国を避ける国が存在すると、本当にガッカリしてしまいます。
日本人は本来、お人好しです。
困っている国に対して、常に無償で、手を差し伸べてきました。
貧困や飢餓で困っている国に対して、意地悪するなど愚の骨頂ですし、日本がそのような行為に出た事はほとんど無いでしょう。
今回の様な大災害時に遭遇して、日本国民が動揺せずに迅速、冷静に対処しているかどうかを、世界は注視しているのです。
自国の災害をしっかりと受け止めて、解決策を迅速に実行して、一人前の国家と云うものです。
外国からの援助にすがるより、先ず、自国で頑張らなければと思います。
日本が自力で再び立ち直る事が出来れば、世界中の人々は、都市文明の閉そく感に、希望を見出すのではないでしょうか。
また、そのような状況下で、日本中が今回ほど、自衛隊の大切さと有り難みを感じた事はありません。
自衛隊を、災害時にのみ便利に使い、日本国憲法で身分保障をしないのは、道理に合わないと云うものです。
外国を頼りにしすぎても、イザと云う時に、突き放されてしまうのです。
温情のある国が存在するのも確かですが、イザと云う時、心から信頼して頼りに出来るのは自国民である日本人です。
何処の国も、自国民が一番頼りになるのは、当たり前と云えば当たり前と云う事でしょう。
随分前のブログにも書きましたが、日本に核が無いなんて絵空事です。
今回の福島の原発事故がそれを証明しています。
『核兵器を持たない!』なんて、戯言を言っているどころではありません。
原子力発電所が54基もあると云う事は、日本も立派な核保有国である証左なのです。
テロが多発している昨今、アメリカをはじめ核保有国は、神経質なくらいに、原子力発電所を防御しています。
我が国も、世界中のほとんどの国(アメリカ、中国、ロシア、インド、韓国、フランス等)と同じように、国軍を持って、あらゆる脅威から国民を守って貰いたいものです。
いつ原発が狙われるか分かりませんよ。
攻撃されてから対処するので、良いのですか。
転ばぬ先の杖と云う箴言もあるのです。