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院長の独り言 418 ;八王子はお祭り中

今日、8月1日(金曜日)から三日間は、八王子の夏祭りです。
この三日間、八王子が一年で一番活気溢れる街に変身するのです。
道路は例年にない人の波で、たいへんな賑(にぎ)わいになります。
今年も大変天気が良さそうです。
暑い事は暑いのですが、旧甲州街道添いに屋台がずらりと並び、それはそれは壮観です。
丁度、子供達の夏休みの期間でもあるので、普段の日曜日とは比較にならないくらいの人ひとひとの行列が絶え間なく続きます。
ウチの診療所は道路に沿ったビルの二階、三階ですので、お祭りの賑わいが幸運にも目の前で見る事が出来るのです。
土曜、日曜の二日間は、半纏(はんてん)姿の子供や男女が、昔ながらの山車に乗って太鼓を叩いたり、笛を吹いたり、また大勢の人達が町中を祭り囃子に合わせて山車を引っ張りまわします。
屋台で買った綿飴を舐めながら山車を囲んで見物人が大声で応援です。
豪華な山車がビルの前を何台も続いてきます。
お囃子と歓声が絶えません。
このお祭りが終わるころになると、涼しい風が頬を撫でるようになるのです。
今までのうだる様な暑さが嘘のように日に日に薄らいでいくのです。
日も短くなりだし、祭りの終焉が秋の近いことを知らせてくれ、何となく寂しい気がしてきます。
私も下町育ちですからお祭りは大好きです。
勿論、小学生の頃から祭りになると、友達と御神輿(おみこし)を担いでいたのは言うまでもありません。
祭り太鼓と笛が遠くから聞こえてくると、ジッとしていられなくなったものです。
一日中、神輿を担いだり、山車を引っ張ったりしていた遠い昔の風景が蘇(よみがえ)り、小学生の頃にタイムスリップです。
多分、このようなお祭りを毎年継続していくには、街の人の大変なご努力が必要な事と想像出来ます。
大人になっても強烈な思い出として残っているお祭りが、これからも願わくば、子供達の為に継続されん事を心より願っているのです。

院長の独り言 417;くわばらくわばら…

戦争時の空襲にも驚きましたが、空襲時、自分があまりにも幼かったと云う事もあったので、戦争自体、夢を見ている様な、見ていないような現実味のかなり薄い経験でもあったのです。
しかし、ここからの話は本当に人生で一番驚いたお話です。
自分の人生で目の玉が飛び出るほどの恐ろしい経験は殆ど無いので、この経験が一番だとは、まったくのお笑い草かも知れません。
しかし、今でもその時に体験した出来事がたまに夢に出てくるのです。
私にとって、この恐ろしい夢に出てくる時は、いつも恐怖のあまり一瞬で正気に戻り、飛び起きてしまい、暫く寝る事が出来ません。
私が大学生になった年の夏休みの時でした。
友達と伊豆の海水浴場に遊びで出かけた時の話です。
途中、熱海の『一杯飯屋』に寄って、ビールを飲みながら昼飯を食べた後、時間に余裕があったので、腹ごなしの散歩と洒落込んだのです。
『熱海の海岸散歩して〜♩』と歌にある貫一お宮の例の銅像の前を通り過ぎた所の街道筋に、大きな金網の檻(おり)があったのです。
鳥でも入っているのかと面白半分に金網に顔をつけて中を覗きながら、網目から指を突っ込んだその時!
目の玉が飛び出るほど、今まで見たことも無いほどの大きなトドが陰から急に出てきてパクッと私目掛けて食いついて来たのです。
トドの大きな顔が目の前に現れ、馬鹿でかい口が私の目一杯に入りました。
咄嗟(とっさ)に、パッと指を引っ込め、身体を後方に引っ込め真後ろに飛び跳ねたのです
難を逃れたと分かった途端、冷や汗がドドッと出た事は言うまでもありませんでした。
馬鹿でかいトドの顔を、こんなに間近で見た事など過去に一度も無かったし、目の前の空間がトドの口だけで覆われているのですから恐怖の何物でもありません。
その時の全身引っ込めた早さは、我ながら信じられないほどの早業だったと今でも思います。
まだ私も若かったので危うく難を逃れる事が出来ましたが、今では身体も鈍くて難を逃れるなんて全く無理な相談でしょう。
トドが予想を超えたあまりにも早い動作で目の前に飛んできたので、今だったら右の人差し指は完全に食いちぎられていたに違いありません。
あの鈍そうな大きなトドが予想を超えた素早さには本当に驚きでした。
今でも耳元でトドの上歯(うわば)と下歯(したば)の『ガチッ』とかみ合ったものすごい音を忘れる事が出来ません。
その後しばらくして同じ場所に検索に行きましたが、トドの入った檻(おり)は撤去されていました。
矢張り、危険だったのでしょうか。
クワバラ、クワバラ。