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院長の独り言 376 ; そば屋のカレーは美味しい(断言)!

昼食の時に、最低1週間に1回は、石川歯科医院の目の前にあるおそば屋さん『やぶそば』に行きます。
『やぶそば』には、息子、山森君、HPなどを手伝ってくれている林和貴君、インプラント会社の駒井啓一君と、そばやカレーを食べに行っているのです。
やぶそばさんは、昼時、いつも大入り満員です。
元気のいいオヤジさんと愛嬌があって可愛い娘さんで商いをしています。
そして、やぶそばの皆さんは、開業当時からの私の患者さんです。
ところで、小生は小さい頃からそばが大好物です。
勿論、天丼、カツ丼、親子丼の丼物も大好きです。
そばは、奈良時代より前に、我が国に伝わってきていた本当に歴史のある食べ物なのです。
随分、古くから我が国にとっては、お馴染みの食材と云う訳です。
一方、丼物は、意外に歴史が浅いのです。
『天丼』は丼物の定番で、江戸後期に、浅草の『三定』が初めて出したそうです。
『カツ丼』は、大正時代に、早稲田大学の近所の定食屋で出したのが最初とのこと。
『親子丼』は、江戸時代からの老舗の料理屋さんである、日本橋の『玉ひで』が発祥で、明治の初期に創作されたそうです。
このように、丼物は案外と歴史が浅く、江戸時代の中頃、経済活動が活発になりだして、食事をユックリと摂る時間が勿体なくなり、しかし栄養はシッカリとらなければならないと云う事情から生れたとされています。
従来は、当然の習慣として、室町時代から、主食とおかずを別の器に分けて食事をしていたのです。
ところが、仕事が忙しく時間が惜しいと云うことで、一つの器に主食とおかずを一緒に盛り、合理的に栄養が取れて、尚かつ、素早く食べ終わる事が出来る丼物が発明されたと云う訳です。
丼物は、食べてみると、思ったより美味しいので、たちまち人気が出て来てしまい、現在に至っているのです。
現在、色々な丼物が巷に氾濫していますが、一番人気のどんぶりご飯は、天丼とウナ丼が争っているそうです。
何れにしても、日本でなければ丼物は食べられません。
丼物をはじめ、寿司、そば、うどんなど、日本の食べ物は、本当に美味しい物ばかりです。
日本食にハマっている外人の多い事、多い事!
先日、テレビを観ていたら、いまや、アメリカ人は納豆も食するとの事。
反対に、日本人が外国を旅行して、一番、恋しく思うのも、日本の食事でしょう。
かく言う小生も、外国を旅行すると、あったかい炊きたてのご飯に、みそ汁と漬け物が、食べたくて、食べたくて…。
あと海苔でもあれば、贅沢です。
こりゃ、外国にはとても住めないですね。

院長の独り言 375 ; いくら輪転機を廻せば、物価2%上昇なるのか?

安倍晋三総理の推薦通りに、日銀総裁が黒田東彦氏になりました。
黒田総裁は安倍総理と同じ意見で『2%の物価上昇を確実に進める』と、就任の挨拶で強調していました。
2%の物価目標を推進するには、想像以上のお金を増刷しなければなりませんね。
本当に目標を完遂するためには、多分、イヤ、絶対に!かなりのインフレに成らざるを得ないでしょう。
何しろ、想像以上のお金が市場にバラまかれるのですから。
もしもデフレを脱却して、適度のインフレ(リフレ)に移行し、なおかつ景気が回復したら、万々歳ですが。
それを期待して、見越すかのように、株価が上昇しだしています。
いや、ミニバブルを期待しているからでしょうか。
あの昭和から平成にかけての大きなバブルを経験している小生としては、夢よ、もう一度!と、内心、少しは期待しているのですが…。
あの時は、インフレ状態で猶且つ大好景気でした。
東京、大阪、名古屋、博多、札幌、仙台と全国、隈無く、土地やマンションが売れただけでなく、土地の値段や株価も上がりましたし、それ以上に収入が増えたのです。
ゴルフ場も接待のお客で大入り満員でしたし、デパートもお客で溢(あふ)れていました。
確かに景気がいき過ぎた傾向(きらい)はありましたが、当時を振り返ってみると、みんな元気発剌(はつらつ)、明るく嬉しそうでした。
止せば良いのに、何を心配したのか知りませんが、政府と日銀は、強烈な景気引き締め策(宮沢喜一内閣の総量規制法)を急に採ったのです(ハードランディング)。
結果、アッと言う間に不景気になってしまい、日本経済はドンドン縮小してしまい、現在に至っています。
有名な大会社も、かなりの数が倒産しました。
中小企業は、どの程度潰れたのか見当もつきません。
自殺者も数えきれないほど出ていたのに、不思議な事に、好景気を不景気にしてしまった事に対して全く総括されていません。
要するに、責任を取る人がいなかったのです。
今回、政府と日銀が行うインフレ策は、あのバブルの後の景気引き締め策の逆の政策です。
バブル後の政策失敗経験を生かして、いき過ぎたインフレにならずに景気が回復するように心から願っているのですが、失敗の総括をしないまま2%の物価上昇を目標に掲げましたが、そこが一寸心配ですね。
必要な物をみんなが持っている昨今、2%の物価上昇には、輪転機を何回まわして、お札をいくら刷れば良いのでしょうか?

院長の独り言 374 ; コッペパン、ガブリの頃

戦争に負けたことにより、食べ物では、本当に辛い思いをしました…。
敗戦後しばらく経ってから、お米の代替として(材料は今となっては作ったお袋が亡くなっているのですから分かりませんが)、丸く膨らんだパン擬(もど)きの食べ物を『パン』だと言って、昼ご飯に出されたのが、生まれて初めてパンと云う名前の食べ物を口にした瞬間です。
今から思うと炭水化物の塊のようなものでした。
その後1年以上経って、現在、パン屋さんで売っているような、小麦粉で出来た本物のパンを食べました。
勿論、今のように、洗練されたパンではなかったのですが…。
ただ、今でも鮮明に覚えています。
それは、『コッペパン』です。
紡錘状の形をしていて、指で押すと柔らかく、現在のコッペパンより長く、細い感じでした。
お袋が作ってくれていた炭水化物の塊、パン擬きが、正真正銘、パンだと思っていたので、パンを全く、好きになれませんでした。
しかし、お袋には悪いのですが、コッペパンは本当に美味しく感じたのです。
自分としては、それ以来、パンと言えばコッペパンでした。
その後、食パンや三角錐の形をしたチョコレートパン、揚げたパンなど色々な種類のパンがお店に並びましたが、私にとってのパンと言えば、やっぱりコッペパンなのです。
小学生の頃は、コッペパンに半分に切り込みを入れて貰い、その溝にイチゴジャムを流し、ガブッと食べるのが最高でした!
ところが、あんなに好きだったコッペパンを全くと言っていいほど食べなくなってしまいました。
大学生になった頃から、好きな食べ物と嫌いな食べ物が変化してきたのです。
どちらかと云うと高校生の頃までは甘い物が大好物でした。
それが二十歳を境に、辛いものや苦い物が好きになってきたのです。
きっと、酒を飲み、タバコを吸いだしたからでしょうか。
中学生の頃、ふざけて親父の飲んでいるビールを一寸舐めて、こんなにがい飲み物を親父が嬉しそうに飲んでいるのを、全く理解出来なかったし、不思議でした。
ところが、私も今は大好物です。ビールが!
そして時は経ち、この頃、無性にコッペパンが食べたくなってきたのです。
イチゴジャムをたっぷり挟(はさ)んだ、あのコッペパンです。
今は、パンの種類も多すぎて、時代背景と合わせて、記憶に残るようなパンは無くなりましたね。
飽食、ここに極まれリ…
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院長の独り言 373 ; 万葉集礼賛

時はまだ、平仮名の存在し無かった奈良時代。
7世紀中頃〜8世紀中頃、ある歌集が編まれました。
万葉集は、身分の高い人から庶民まで、さまざまな身分の人たちが歌っている、我が国最古の歌集です。
万葉集の中には、庶民の生活を歌ったものから恋歌など、約4500首もの多くの歌が載っています。
文字通り『万(よろず)の言葉の歌集』です。
小生は中学生の時に、国語の先生に教わりました。
万葉集についてはこの程度の知識くらいしか、私はありません。
今回、なぜ万葉集について書いていると云いますと、小野寛先生著『越中有悠閑春秋七歳』と云う書物を、直接、小野先生から頂いたからです。
先生は石川歯科医院の患者さんで、奥様もご一緒に来院しております。
万葉集の研究者として、第一人者のお方です。
お聞きすると、東京大学の国文科を出られ、学習院大学講師、学習院女子短期大学教授、駒沢大学教授を経て、高岡市万葉歴史館館長になられた万葉集研究の専門家です。
頂いた本を読み始めてみて、何も知らないことほど気楽なものはありませんでした。
頂いた本は、万葉集を編纂した大伴家持の歌を中心に解説しています。
少しずつ読んで、内容が理解出来たら、次に進むように読んでいます。
柿本人麻呂、山上憶良、山部赤人と、学生時代にお馴染みであった歌人の歌などを中心に、万葉集を編纂した大伴家持が素晴らしい天才歌人であり、名プロデューサーであった事を詳しく知ることが出来ました。
まだ、途中までしか読んでいませんが、ユックリと楽しませて頂きます。
小野先生、真に有り難う御座います!
そこで、家持の春の歌を一首、お裾分け…

 春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ娘子

春の庭が一面、真っ赤に照り輝いている。
それは桃の花だった。
その木の下の赤く照り映える道に、美しい乙女が立ち現れて見えた…

なんと、幻想的で美しい光景でしょう。
美に純粋な家持の心の震えが、こちらの心の中に伝わってくるようです。
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院長の独り言 372 ; 辛いカレ〜〜〜

火曜日に久しぶりに、近くの蕎麦屋さんのカレーを食べました。
いわゆる『蕎麦屋のカレー』で、私はたまに食べたくなるのです。
普段、あまり辛いカレーが不得意な小生…。
カレーを食べる時は、あまり辛くないカレーを食しますが、丁度、その甘口カレーがお蕎麦屋さんのカレーなのです。
自宅では、カレーの辛いのが苦手な私は、家族みんなにお子様扱いされています。
正直に言うと、お子様向けのカレーが大丈夫と言うより、口に合っているのです。
現代日本の激辛カレー好きには、本当にビックリしているのです。
かなり辛いカレーでも、何とか私も食べる事は出来ても、翌朝のトイレがキツいですね(失礼)。
何であんなに痛いのですかね…(再び失礼)。
テレビ番組で、七味唐辛子やタバスコを山ほどかけて、嬉しそうに蕎麦やスパゲッティーを食べている女性タレントを見ていると、驚くと言うより、宇宙人のように思うのです。
悪友は『なに言ってるんだ!おまえ、酒はどうなんだ!俺はお猪口(おちょこ)一杯でもキツイぞ!』
『お前は一升飲んでも、平気の平左じゃないか!』
と若い頃は言われていました。
確かにアプサンでも、ウオッカでも、火のつくような強い酒でも、若い頃、ふざけて飲んだこともありました。
タバスコや胡椒を多くかけた程度で驚いてる場合ではありません。
ひとの趣向とは本当に不思議ですね。
或る人には旨くても、他の人には不味いと言う場合も、多々見受けられます。
味を感じるのは口の舌に有る『味蕾』で感じるのです。
昔から苦味は舌の奥とか、甘みは先端で感じるなどとよく言われていますが、あれは嘘です。
全ての味は味蕾細胞で感じています。
古くから五つの味、即ち甘味、塩味、苦味、酸味、旨味を云いますが、辛味はこの五の味に入っていません。
なぜならば、辛味は痛覚、即ち、痛神経の末端で感じるとされているからです。
従って、痛みに敏感な人は、辛味にも敏感に感じる筈です。
確かに、私は非常に痛みに弱いのです(みんなもそうか!?)。
自分が痛みに敏感なので、患者さんにも痛くならないように細心の注意を払って治療しているのです。
痛みに感じ難い人は、辛味に強いと云うことですかね。

院長の独り言 371 ; シャッター商店街

私が八王子で歯科医院を開業した40年前、昭和50年前後の八王子市八日町商店街は人通りも多く、大変な活気がありました。
そこで、私はその一角の小さなビルで開業したのです。
三階の窓から商店街を見ていると、一日中、人々で賑(にぎ)わっていました。
それが、大規模小売店舗法が廃止された2000年6月1日頃から、ジワジワと老舗の店舗が廃業に追い込まれていったのです。
気がついてみると、商店街は、シャッターを閉じている店が多くなってしまったのです.
昔からの一軒、一軒のお店が、量販店などの大きな店舗に客を奪われてしまったのです。
当院に患者さんとして通院している、老舗の店主も、大きなため息をつきながら、盛り返す良い手段が全く思いつかないと嘆くのみです。
大きなスーパーだけが日本中、何処の街へいっても目立ちます。
物を買う時、客の立場から考えれば、少しでも安くて、いっぺんに色々な品物が買えて、駐車場も広く整っている大型のスーパーマーケットに、どうしても行きたくなります。
野菜など、新鮮さが一番大切な食品は、常に売れていて新しい物が漸次並んでいるのですから、お客さんの立場からすれば、スーパーマーケットに買いに行ってしまうのが客心と云うものです。
ですから、矢張り、あらゆる面で量販店は小売店を凌駕しています。
個人の店がいくら頑張っても、色々な面で限界と云うものがあります。
さらに、少子高齢化の昨今でもあり、跡継ぎもいません。
我が国は現在、20年間以上続いているデフレによる不況に悩まされています。
多くの小売店が、大規模小売店舗法によって消滅したように、新自由主義の競争社会など進めないで、日本全体の活気が蘇(よみがえ)る事を、心から願うのみです。
どうせ、行き過ぎた競争社会は人々を疲弊させて破綻し、各国とも、保護主義的な政策を目指すようになるでしょう。
これ以上、日本全体が疲弊しないように祈るのみです。
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院長の独り言 370; 消えた都電

私が中学生の頃(1950年頃)は、東京都内の交通機関として、都電が大いに幅を利かせていました。
都電とは、路面電車のことです。
路面電車の走っている同じ道路を、自動車も走っているのです。
当時、自動車が今と違って大変少なかったので、一つの道で、電車も自動車と一緒に走行するのが可能でした。
現在、都内で両者が一緒に走るのは不可能です。
たちまち交通渋滞を起こしてしまい、通常の経済活動の支障を来すどころか、全く動かなくなってしまうでしょう。
この都電の走っていた道路は、幅が広かった上に、都内の繁華街を縦横無尽に結んでいました。
小生が大学に通いだした頃には、気がついてみると、都電が東京の繁華街から殆ど消えていたのです。
都電が消えてしまったことに、自分としては当時、あまり関心がなかった事も確かです。
その都電を廃止した場所を利用する事が出来たので、莫大なお金をかけて土地を買収したりして幹線道路を新しく造るのではなく、最小限の手間と時間で立派な自動車専用道路が誕生したのです。
現在、その道路の上に、首都高速道路が走っています。
車で高速道路を走っていると、下の道路が見えますが、昭和30 年代の都電が走っていた風景が脳裏をかすめるのです。
都電を利用していた中•高校生の時は、乗り心地が悪く、自転車より遅い都電に乗るのは苦痛でしたが、もう一度、いま乗ってみたい気がするのです。
都電車内は、あらゆる年代の人々が乗り合わせ、知らない人同士の会話で賑やかでした。
あのガタガタ揺れて、運転手は立位で運転している都電が懐かしくて仕方ないです。
無くなってみて、はじめて分かる過去の事物…。
本当に、人間社会は進歩しているのかな…
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院長の独り言 369 ; 山のあなた

ゲーテ(独)、エリオット(英)、ホイットマン(アメリカ)、高村光太郎(日本)、中原中也(日本)、萩原朔太郎(日本)、李白(中)、杜甫(中)、そして最近、詩集を発表した谷川俊太郎(日本)など、素晴らしい詩を歌った人は古今東西、大勢います。
どの人も、心の中の熱いほとばしりを言葉で表現し、詩にして歌っています。
私にとって忘れがたいのは、時折、頭の中に浮かんでくる『山のあなた』です。
浮かんでくる時は、口ずさんでしまう程です。
浄土真宗のお寺さんの住職が、母方の祖父と云うことも関係しているからでしょうか。
以前から、この詩の内容が、浄土真宗宗祖 親鸞の思想と似ているような気がしていたのです。
詩を紹介します。

山のあなたの空遠く 
幸い住むと人のいふ
 ああ われ人を尋(と)めゆきて
 涙さしぐみ帰りきぬ 
山のあなたに なほ遠く
 幸い住むと人のいふ

『幸いは、遠くに探しに行っても決して見付ける事は出来ませんよ。今の自分が幸せだと気がつかなければ』と言っています。
『幸せは直ぐ側にありますよ。気がついて下さい』と言っているのです。
この詩は、ドイツの詩人、カール•ブッセの作です。
ブッセは、祖国ドイツより、日本で名が知れています。
何故なら、上田敏があまりにも素晴らしく翻訳したからです。
正直、『山のあなた』は、上田が作ったと言っても良いくらいと思います。
彼は小泉八雲に師事し、外国語に堪能であったので、ヨーロッパ文学を沢山翻訳している明治初期の文学者です。
残念な事に41歳の若さで急逝しています。
親鸞が唱えているのは、『常に大きな力に包まれて、そして、その力に支えられてわれわれは生活している事が最大の幸せである』と言っています。
カール•ブッセの『山のあなた』に似ていませんか。
浄土真宗のことばかり書いていますが、小生の祖父が真宗のお坊さんでしたので勘弁して下さい。
自分としては、どんな宗派の人でも、宗教を信じて生きている人は皆仲間だと思っているのですから…。
やまのあなた

院長の独り言 368; 睡眠あれこれ

ここ数年、小生、早朝の午前4時前には眼が醒めてしまいます。
大体、夜の午後10時には、布団に入るようにしています。
それでも睡眠時間は、一応、6時間は取るようにしているのです。
若い頃は午後11時に就寝、午前7時半に起床といったところでした。
年を取るにつれて、朝の眼醒めが早くなってきて、睡眠時間も短くなってきました。
睡眠の形態には、皆さんご存知のように、レム(Rapid Eye Movement)睡眠とノンレム睡眠に別れます。
前者は熟睡状態で大脳を休めています。
後者は眼球が動いていて、完全な熟睡ではなく、記憶の整理をしているのだとされています。
夢を見ているのは、このレム睡眠の時だと言われているのです。
睡眠時間が8時間より極端に少ない場合をショートスリーパーと言い、有名人ではナポレオンが挙げられます。
その逆に10時間以上寝なければ身体の調子が悪くなる人の代表は、アインシュタインが有名です。
睡眠時間は、人によって随分、異なるそうです。
レム睡眠時で、熟睡すればするほど、即ち、爆睡すれば、大脳にいい影響を与えると言われています。
10年前まで私は、アルコールをかなり飲んでいたので、毎晩、床に入るとすぐに爆睡状態でしたが、日中、大脳が冴えていたとは言えない状態でした。
医学的には、アルコールを飲むと、入眠は良いのですが、睡眠が浅くなるのです。
最近は、お酒をほとんど飲まなくなってしまったせいか、熟睡時間が短くなってしまいましたが、却って、頭は冴えてきているのではないかと思っています。
このように、拙(つたな)いブログも書けています。
『酒は百薬の長』と言われますが、本当のところ、怪しい感じもしないではないのですが…。
酒量にもよるでしょうけど、酒好きの私とすれば、若い頃は、酒は身体にいいのだと、無理矢理、肯定して、深酒をしてしまいました。
この年になって深酒を後悔しても始まりませんね。
でも、仕事の後に飲む一杯のお酒は、この上ないですなぁ〜

院長の独り言 367 ; 朝の連ドラ『純と愛』

NHKの朝の連続テレビ小説(連ドラ)を、毎朝、何となく見るようになったのは、私が大学院に入り、アルバイトとしてNHK放送センターの歯科診療所に勤務した縁で始まります。
1966年の事ですが、連ドラは『おはなはん』を放送していて、大変な人気番組でした。
放送時間になると、水道の使用量が大幅に減少するので、話題になったほどです。
そのドラマのヒロインが、マン丸顔の樫山文恵さんで、目がクリっとした愛らしい新人女優で、この一本で全国的な人気者になりました。
樫山文恵さんには、放送センターのホールなどで何度もお会いしました。
勿論、彼女は全然、気がついていない事ですが。
それ以来、朝の連ドラのファンになってしまい、今でも、なるべく時間があれば見るようにしています。
現在の連ドラは『純と愛』で、最終段階のクライマックスに入っています。
主人公のヒロインが頑張って、頑張って、何とか仕事が上手くいきそうになったと思うと、誰かに足を引っ張られて、奈落の底に引きずり込まれると云うのが、このドラマの筋書きです。
最後にどう結着がつくのか楽しみにしています。
先週は苦労しながらも、ヤッと小さな旅館の経営が順調になってきたと思ったら、寝タバコでホテルが全焼してしまいました。
ここにきて、ついに、主人公のヒロイン純が、やる気を失ってしていました。
あと残り一ヶ月で、時間が無いのに、どうやって大団円に纏(まと)めるのか、ドラマながら心配になりました。
ところが、今日(3月2日)の土曜日の放送では、タナボタのように沖縄の別荘を貰ってしまい、あまりの短絡的なドラマの進行にガッカリしてしまいました。
これからのドラマの筋が、このままアッサリと終わらずに、ひと波乱も、ふた波乱も、起きるように願って止みません。
『散々ハラハラさせておいて、これかよ!』とならないように期待しています。
人生、このドラマの筋のように、こんなタナボタの連続なんか、まずありませんよね。
ドラマに文句を付けてもアホですかね。
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院長の独り言 366 ;発見!若い女性の電車運転手

最近はダンプカーを女性が運転しています。
私が20代の頃は、トラックを運転している女性を見ることは、先ずありませんでした。
乗用車を運転している女性さえも少なかったのですから、当たり前と言えば当たり前です。
一つの理由として、当時、運転が苦手な私でさえも、マニュアル車(クラッチ付き)を運転せざるを得ませんでした。
何故なら、オートマ車(クラッチ無し)は値段が高い上に、故障すると云う欠点がありました。
ところが、小生が30歳を超える頃には、オートマ車の性能が、格段に良くなってきた上に、値段も下がってきたのです。
クラッチ付きのマニュアル車を運転していた人には理解出来ると思いますが、坂での発進、要するに上り坂の途中で発進する際、マニュアル車の場合、上手にギアとアクセルを操作しないと、前に進まずにバックしてしまうのです…。
万が一、後続車がいると、車が下がって、ぶつけてしまう危険があります。
そこでバックしないように、ハンドブレーキを注意深く使いながら前進させる訳です。
要は、車の操作がオートマ車より、マニュアル車の方が格段に面倒だと云う事です。
また渋滞している時には、車を動かしたり、止めたりする度に、ギアをいちいち操作しなければならないので、運転するのが本当にイヤになります。
従って、小生も随分前からオートマ車にしました。
オートマ車で運転が楽になったお陰で、車を運転するのが楽しくなりました。
この事も、車の運転を女性が敬遠していた大きな理由だったと思います。
ところが最近は、大型トラックでさえもオートマ車化しています。
図体が大きい割に、運転時に力がいらないと云う訳です。
女性がダンプカーを運転し易くなった訳ですね。
元々、女性は丁寧で優しい運転をするので、男性より自動車の運転に向いているのかも知れません。
話は変わりますが、少し前のブログに(院長の独り言 360 ; 日本インプラント学会の講演を聴きに行くの巻)、JR中央線の一番前に乗って、幼い頃の電車好きだった自分を、久し振りに思い出したと云う報告をしました。
もう一度、電車の一番前に、是非、乗ってみたくなったので、先日、丁度、お茶の水まで、私用で出かけた帰りに、運転席の直ぐ後ろに乗車しました。
いい歳をして、全くの子供ですね!もの好きですね!
でも一番前に乗って大正解!!
運転手が若い女性だったのです!!!
初めてJRで女性運転手に出会いました。
彼女は指先を、前に、横にと、延ばして、『前方、横、異常無し、発車!』と元気よく言っていました。
思わず『若い男性諸君!女性に負けないで頑張れ!』と心の中で叫んだのでした。
今の世の中、女性は無敵ですよ、全く。