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院長の独り言 423 ;昔のチャンバラ映画

駄菓子屋に次いで、小学生の頃の懐かしい思い出です。

当時の娯楽といえば唯一、邦画を観ることでした。

今と違い、町のアチコチに邦画を見せる小さな映画館がありました。

出し物はだいたいチャンバラ物を中心に3本立てが主流でした。

どのチャンバラ映画も『勧善懲悪』で、決まってハッピーエンドです。

主役は切られようが、何されようが、決して死にません。

子供でも映画のスジを把握していました。

話は少しズレますが、私が成人した後に、希代の天才映画監督である黒澤明監督が侍物(さむらいもの)を製作、その作品を見た時、本当に驚きました。

『七人の侍』や『用心棒』などを観賞した時です。

今までのチャンバラモンは何だったのかと…

あれは、漫画だったのか?

黒澤作品以来、ほとんど全ての侍物はリアルな映画になってしまいました。

しかし、私とすれば、小学生の頃見た漫画のような侍映画を思い出すのです。

小学生当時流行(はや)っていた馬鹿馬鹿しいほどの『勧善懲悪』ベッタリの侍物が懐かしく思えるのです。

あの当時の侍映画に出ていたスター、長谷川一夫、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、大河内伝次郎、木暮実千代、山田五十鈴さん達の顔が脳裏をかすめます。

今と違い、昭和20年ごろは、1~2週間で映画の出し物がどんどん新しく変わります。

ついている事に、当時住んでいた家は、小さな塀(へい)付きのウチだったのです。

その塀に次週の映画の宣伝ポスターの貼り出しを映画館に頼まれていたのです。

そして、その見返りとして、その映画の観覧券を一枚貰っていました。

家族で私だけが映画を見に行っていたので、子供にも関わらず、私はたいへんな映画通になっていたのでした。

映画館は常に大人や子供達で超満員でした。

生半可でなく、通路も人人でぎっしりでした。

観客は通路にも座って、塩せんべをバリバリ食べたり飴を舐めたりして手に汗を握って侍映画を見ていたのです。

勿論、私もその中の一人でした。

今の映画関係者がその超満員の光景を観れば、本当に心から羨ましく思うでしょう。

自分としては、あの沢山のポスターを保存しておけば良かったと思っているのです。

残念ですが一枚も有りません。

今年、高倉健さんの訃報が大きく報じられました。

高倉健さんや三船敏郎さんは、私が毎週のように近所の映画館で手に汗握って見ていたチャンバラ映画の後のスターです。

まさか、テレビなるものが出現してきて、あんなに隆盛を誇っていた街の映画館が全部消えていくとは!!

ただただ驚くのみです。

院長の独り言 422 ;アベノミクスと過去のバブル景気

今回の衆議院選挙で安倍さんが圧勝したと言う事は、いわゆる『アベノミクス』が国民に支持され承認されたのでしょう。

話は変わりますが、『アベノミクス』の話題から、何となく、今から25~6年前のバブル前夜の頃がフッと頭を過(よぎ)りました。

丁度、私が八王子で歯科医院を開業して、17~8年経っていました。

今とは違い、日本中が戦後、稀にみる好景気に突入していく前夜、マンションが駅前に林立しだし、郊外は一戸建て邸宅の新築ラッシュになりました。

高速道路が日本中に建設され、その上を新車がビュンビュン。

患者さんからは景気のいい話をこれでもかと言うほど聞かされました。

『ジャパン アズ ナンバーワン』と、世界で一番の金持ち国家と持ち上げられたのもこの時でした。

正直、私もこの日本がこのまま永久に、この天井知らずの景気を保てるのではないかと思いました。

大学を卒業間近の4年生の娘には、オーバーでは無く、有名な大企業から就職の採用通知が、ダンボール3箱分が届いて、本当に景気が天井知らずだと実感したのです。

それが、皆さんご存知の如く、バブル景気は泡とはじけ、景気は奈落の底へ。

当時、私は大学の臨時教官でもあったので、都心に通勤していました。

用事で東京駅に訪れた時には、本当に驚かされました。

東京駅の階段に、高価な背広を着ているサラリーマンが大勢、疲れた様子で座っているのです。

その異様な様子は、今でも忘れる事が出来ません…

バブルがはじけた結果、無理な投資などの借金で首が回らなくなった紳士達の悲しい結末の姿であることは、確信を持って断言出来ます。

今回の『アベノミクス』は、あのようなバブルと同じ様な結果にはなる事は絶対有り得ません。

何故なら、あのバブルを経験している賢い日本人がよもや、同じ轍を踏むわけが無いからです。

必ず、デフレ経済を脱却して、落ち着いた経済成長を取り戻すものと思います。

選挙に圧勝した安倍総理、国民の期待に答えるように宜しくお願いします。

2015年が素晴らしい年になるように心から願っています。

院長の独り言 421 ;隅田川今昔

私が小学生の頃、実家の近くを流れていた隅田川の水は、泳げるほど綺麗でした。

色々な魚、例えば、セイゴやボラ、ハゼなど、網ですくえるほど、沢山見ることも出来ました。

学校から帰ってくると、近所の友達と隅田川へ魚釣りによく行っていました。

しかし、ほんの数年後、私が中学生になった頃には、恐ろしいことに、隅田川は、ゴミがプカプカ浮いて、水は黒ずみ、魚影も無く、薄汚れた、汚い川に変身してしまいました。

とうとう、臭いニオイもするようになってしまい、少し前まではパリのセーヌ川の様だった隅田川が、東京のド真ん中を流れるには相応(ふさわ)しくない川になってしまったのです…。

その後、父親の仕事の関係で、豊島区大塚に引っ越してしまったので、隅田川から離れてしまい、いつしか隅田川の事は忘れてしまいました。

たまに、テレビや新聞などで、隅田川の汚染している姿を嘆いている記事は出ていましたけれども…。

隅田川が汚れてしまった最大の原因は、まれにみる戦後の高度成長期における工場からの垂れ流し排水が主な理由でした。

幼い頃、友人と川遊びに出かけ、魚を釣りに行っていたあの綺麗な川を思い出すと、本当に泣けてきます。

現在、私は多摩西部地区に住んでいます。

先日、品川に用事があり、その際、隅田川に観光遊覧船が存在することを知り、懐かしく思い、船に乗ってみる事にしたのです。

隅田川を間近で見るのは、おおよそ50年振りです。

品川埠頭から船に乗ってみて、本当に驚きました。

あの汚れきっていた隅田川が信じられないほど綺麗に蘇っていたのです。

私が子供の頃の隅田川とは少し違いますが、頬を横切る微風は海のニオイです。あの汚れて臭いニオイの川は消えていました。

魚の姿は確認出来ませんでしたが、近い将来に蘇る事は間違い無さそうです。

隅田川で一番、変わってしまった事と言えば、高層マンションが林立している河岸でした。

本当に日本は凄い実力を持ち、あらゆる面で素晴らしい国ですね。

この素晴らしい国を子孫に残したいと思うし、そうするのが、我々大人の義務ではないでしょうか。

 

院長の独り言 420 ;はやぶさ2号の打ち上げ

今週の12月3日水曜日の午後、無事、はやぶさ2号(H2Aロケット)が種子島宇宙センターから打ち上げられ、見事に軌道に乗り、さらに太陽電池パネルの展開、サンプラホーンの伸展、探査機の3軸姿勢制御機能など、重要なシーケンスが正常に行われたことが確認されました。

天候が良くなかったこともあって、延び延びになっていたロケットの打ち上げ。

全国民をやきもきさせていましたが、見事に大空に向かって飛び立って行き、3時過ぎに打ち上げ成功の発表がありました。

このロケットの打ち上げ、時間は1秒の狂いも許されないのだそうです。

1秒ですよ!!

小生の単細胞の頭では、ただただ感心するのみです。

30億キロ彼方(かなた)の小惑星を目指して数年かけて飛んでいくのだそうです。

バッチリ、その小さな目標の小惑星に到着するのは間違い無いそうです。

凄いと言う以外言葉が見つかりません。

この素晴らしい技術、本当に天才的な科学者が大勢、我が国には存在するのですね。

私とすれば、この事実を誇りに思うより、心からビックリするのみです。

私の記憶が正しければ、日本のロケット産業は、糸川博士がおもちゃのような小さいロケットを飛ばすことから始まったのだそうです。

世界中、ロケットの造り方など教えて呉れる国など、当然の事ですが、存在するはずもありません。

それが今では日本独特の技術によって、世界のどの国にも真似の出来ない素晴らしいロケットを作り出してしまったのです。

このH2Aロケット打ち上げの成功を、世界中が掛け値無しでさぞかし驚いていることでしょう。

此処のところ、身体のことを考えて、アルコールを控えていたのですが、今日は仕事を終えた後に大好きな日本酒で、家族と乾杯しようと思っています。