いよいよ博多駅に着くと、博多はスルーして、直ぐに長崎に出発しました。
事前に兄貴と、かなり細かく旅行の計画を立てていました。
今回の旅行は長崎、天草、熊本、阿蘇、そして旅行の締めとして、別府で親父とお袋に温泉にでも、ゆっくりと浸かって貰おうと考えていました。
大都市である博多には、また訪れる機会が出来るのではないかと考えて、端折ったと云う次第です。
加えて、親父もお袋も、長崎を是非、ゆっくり見たいという希望があったのと、何しろ休めるのは一週間ですから、あまり時間が取れない事も確かでした。
博多までは新幹線に乗ると結構、早く到着するのですが、そこから長崎に行くのは意外と時間が掛かるものです。
現在の交通事情は知りませんが、当時は佐賀から長崎までは単線だったと記憶しています。
長崎チャンポンと出島とグラバー邸などの外人居留地跡が、長崎の名物という事でした。
特に、お袋は日本史の授業で習った『出島』を一度、見たかったようです。
現在、長崎と云えばハウステンボスが有名ですが、30数年前は勿論、ハウステンボスは存在していません。
その後、今から15年程前に、小生は歯科の学会で博多に行き、医局の先輩にフグ刺しを腹一杯おごって貰い、その次いでに、長崎のハウステンボスも見学しました。
ハウステンボスはそっくりオランダが引っ越して来たような風景で、もう無理して遠いオランダには行く必要は無いようでした。
ハウステンボスの話はソコソコにして、我々9人の団体旅行に話を戻します。
長崎駅に到着すると、駅の直ぐそばのホテルに直行し、1日目の夜は、長い移動の休みを取ったのでした。
次の日もゆっくりする暇は無く、中華街に繰り出して、まず名物である本場の長崎チャンポンを食べたのです。
横浜の中華街で食べたチャンポンとは、麺の硬さと太さが違っていて、『所変われば、品変わる』のは、当たり前と云えば当たり前。
本場の長崎チャンポンは、野菜などの具が多く、濃厚な豚骨スープはとても美味でした。
とにかく本場で食べたという事実が、話の種のひとつに加わった訳です。
また、初めて訪れた長崎が、坂の街なのには驚きました。
実は以前、数年間、小生と両親は、横浜に住んでいた事があり、横浜も坂の多い街ですので、少々の坂にはへこたれないのですが、長崎の坂は酷く急勾配で、年老いた両親には、坂道を登っての移動が少々きつかったようでした。
グラバー邸は、まさしく坂の上にありました。
グラバー邸に代表される、その当時の西洋人の家の内部は、畳の和室とは全く異なる空間と云った感じで、当時の日本人にとっては随分、住みにくい異国の感じがした事でしょう。
数年前にフランスに行き、モネの館を見学した時に、一度も訪れた事の無いはずなのに、何となく、以前、眺めたような懐かしさを憶えたのですが、今から思えば、長崎の外国人居留地跡に建っているグラバー邸とそっくりだったので、そう感じたのでしょう。
グラバー邸もモネの館も、和風の庭がある事も一因でしょう。
別に、前世がフランス人と云う訳では、無かったのでした…。
冗談、冗談。
(次回に続く)