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院長の独り言 125 ; 3D映画を体験したい!

最近になって、3D映画が続々と公開されています。

1950年代後半にシネラマとかシネマスコープと云ったワイド画面の映画が登場してきて、それまでの小さな画面とは違い、大迫力の映像が見られる様になりました。

その当時、小生は高校生だったのですが、なけなしの小遣いをつぎ込んででも無理をして、大画面のカラー映画を見に行ったものです。

前方の席で鑑賞すると、大きな画面を仰ぎ見て、端から端まで首を左右に大きく振らないと画面が上手く見えないくらいワイドなのです。

一番良い席は、前から10番目辺りの真ん中が最高の席でした。

相撲で云えば、砂被りの席と云うところです。

スクリーンに映る映像だけでなく、サウンドも四方八方、後ろからも大音響が響き、身体全体が震えるような感じです。

大画面で大音響のシネラマ映画を一度見てしまうと、従来の映画の迫力の無さが分かってしまい、少々、金銭的に無理をしてでもシネラマ映画を見に行ってしまいます。

しかし、自分としては、スタンリー・キューブリック監督作品『2001年宇宙の旅』を見たのを最後に、シネラマと云うより映画自体を観に行かなくなってしまいました…。

大学生までは、映画を見るのが大好きでしたが、卒業してからは何となく映画を見なくなってしまったのです。

邦画の名作、黒澤明監督作品『羅生門』や『用心棒』、木下惠介監督作品『二十四の瞳』などなど…、そして洋画のヴィットリオ・デ・シーカ監督作品『自転車泥棒』、キャロル・リード監督作品『第三の男』、ウィリアム・ワイラー監督作品『ローマの休日』などなど…の、小生の心の琴線に触れる様な映画が無くなってしまったのが、映画館に足が向かなくなってしまった大きな理由でした。

小生は古い人間なので、CG映画や簡単に人を殺すようなアクション映画など、最近の映画がどうもダメなのです…。

心から楽しくなるような作品、心から悲しくなり泣けてくる作品、心からロマンチックな気持ちになる作品、心から怒りがこみ上げてくる作品など、要するに、本当に人間臭い映画が観たいのですが、この頃の映画にはその手の作品を、殆ど観る事が出来ないのが本当に残念です。

これは小生が常日頃、最近の映画に対して感じているだけの事なので、違った意見の方も大勢いると思います。

軽く流して読んで下さい。

3D映画はまだ観ていませんが、これだけは、一度早い機会に観てみたいと思ってはいるのです。

CG映画に興味があまり持てない古い人間の小生でも、好奇心を掻き立てられてしまいます。

随分昔、初期の立体映画は観ていますが、3D映画は一味違いそうです。

何事も突飛な物に、いつも興味を持ってしまう性分は親譲りだと諦めています…。

3D映画に心の琴線がどう反応するのか楽しみです。

院長の独り言 124 ; 蛍と線香花火の光

先日、かねてから予定していた新人歓迎会を兼ねた夏季打ち上げを、高尾山近くにある割烹料理店で催しました。

このところ、梅雨が明けたと云う事もあって、連日の猛暑が続いています。

この日も朝から大変な蒸し暑さで、スタッフ一同、頑張って一日の診療を無事終え、お店に向ったのです。

甲州街道を高尾山に向って行くのですが、いつもは混んでいる道が、この日は比較的に空いていて、20分程度で目的地に着く事が出来ました。

お店は山の裾野の緑に囲まれる様に創られていて、広い庭園があります。

立派な門をくぐると、まず綺麗に手入れの行き届いている古風な日本庭園を見る事が出来、思わずホッと心が和みます。

大きな錦鯉が沢山泳いでいる池に沿った小路を進み、まだ8月にも入らないのに、ヒグラシ蝉の涼しげな声のシャワーを浴びながら、一軒一軒が独立している和風の部屋の一つに案内されるのです。

畳の部屋に入ると、ガラス戸に囲まれており、どの席についても、外の庭を眺める事が出来ます。

景色が会席料理の引き立て役と云った寸法です。

全員が一日、良く働いた事も有り、お腹がペコペコで、シャンパンの乾杯もソコソコに、料理に舌鼓。

やはり人間は、美味しい料理を空腹時に食べる事が一番の幸せです…。

料理を頂きながら、ビールや冷酒を飲み、そして新しいスタッフの紹介です。

宴もいよいよ、たけなわになった頃、今宵のメインショーであるホタルの観賞会です。

料理の先付、前菜、吸い物、お造り、鮎の焼き物、和牛のほう葉焼と平らげた後に、午後8時、突然、全ての部屋の灯りが消されて、店全体が漆黒に支配されます。

全員、『あれっ?』と声を上げ、一瞬の静寂の後、縁側から小さな光があちこちで点滅しているのが見えたのです。

ガラス戸を開けて、皆で縁側に腰を下ろし、庭全体に散らばっている、静かな光の点を見つめます。

『あれホタルの光じゃない?』

『ホタルだよ!』と、歓声が上がります。

掌に止まって、点滅するホタルの光は実に神秘的で、幽玄な光景です…。

ものの本によると、我が国には約50種類のホタルが生息しているそうです。

世界では約2千種類のホタルがいるそうです。

有名な日本のホタルは源氏蛍と平家蛍ですが、この庭で見られるホタルは平家蛍でしょう。

大形の源氏ボタルに比べて、かなり小さ目なホタルです。

それでも幻想的に輝いている様は、日本の夏の風物詩の最たるものでしょう。

もう一つの出し物として、線香花火が用意されており、これも大変楽しいものでした。

三つ四つと線香花火をまとめて撚って、一つにして、器用に大きな花火の玉を作るスタッフもいます。

夏の花火は何と言っても線香花火が一番ですね。

むかしむかしの幼い頃が想い出され、感無量と云ったところでしょうか…。

ホタルと線香花火の上品な光の競演に、すっかりと心を洗われた宴もアッと云う間にお開きとなりました。

小生としては、スタッフの英気を養う事が出来たとすれば、嬉しい限りです。

院長の独り言 123 ; 蓄音機の調べ

小学生の頃から絵が好きだと云う事は、何回かブログに載せましたが、私が中学生の一時期、クラシック音楽に魅せられた時が有りました。

ベートーベン、モーツァルト、シューベルトなどの有名な作曲家の作った交響曲を聞くのが好きでした。

特に、ベートーベンの交響曲『1番』『3番』『5番』『6番』『7番』『8番』が大好きでした。

皆さんご存じのように、3番は『英雄』、5番は『運命』、6番は『田園』と呼ばれていますが、1番、7番、8番に特別な名前は付いていません。

小生はどちらかと云うと、こちらの名前の付けられていない交響曲の方が好みでした。

当時は今のように、カセットテープやCDは、まだまだ使われていませんでした。

唯一、録音した音楽を聴ける道具は、蓄音器があったのみです。

セルロイドを硬くしたような物で出来た、丸いレコード盤の上に細い渦のような溝が付いていて、その溝を針がなぞっていくと音が発生すると云う仕組みです。

幸運な事に、私が生まれる前から実家に、蓄音器があったのです。

まだ、蓄音器は音楽マニアの人しか持っていなかった、昭和9~10年の頃の話です。

お袋の話では、妊娠中、お腹にいる胎児に良い曲を聞かせると大変な情操教育になる事を、親父がある本で知って、初めて妊娠した時に、その当時では本当に珍しかった蓄音器を安月給だったのに無理をして買い込んできたのだそうです。

そして、お腹にいる子供に毎日、クラシック音楽を聞かせていたそうです。

勿論、私の時も親父は毎日熱心に、蓄音器を廻して様々な名曲を聴かせていたとの事です。

電気式では無く、ゼンマイの手巻き方式だったので、一曲ごとに結構、面倒臭い設定なのです。

それでも親父は頑張って毎日、蓄音機を廻していたそうです。

其のお陰なのか、兄貴も私もクラシック好きになったのかも知れません。

戦争が劣勢になって地方に疎開する時も、祖父の作った飾り棚とこの蓄音器だけを、父は大切に保管していました。

日本中、焼け野原になってしまい、一般的には、クラシック音楽がなかなか聞けなかった戦後しばらくの間、この蓄音器のお陰で、我が家ではベートーベンやモーツァルトの名曲を聞く事が出来たのです。

敗戦直後は暗い世相でしたが、クラシック音楽を聴く事により、少しは気分を和らぐ事が出来たのです。

大正生まれのお袋がモーツアルトの『ジュピター』やシューベルトの『未完成交響曲』の調べを口ずさむのには、兄貴も私も心底驚いたものです…。

私が中学生の頃になると、LPレコードの全盛期に入り、電気式になっており、操作も簡単で、しかも価格も大変安くなっていました。

現在は、CDのクラシック全集を買い込んで暇な時に楽しんでいる程度です。

あの明治生まれの頑固親父が、当時の最先端機器である蓄音器を買い込んで、情操教育を我々に良くする気になったものだと、今更ながら感心します。

また当時、お袋がクラシック音楽にかなり精通していた事を思い出して、兄貴と酒を飲みながら母の鼻歌を想い出すのです…。

院長の独り言 122 ; オルセー美術展2010に行ってきました!

先日、石川歯科の患者さまからオルセー美術展の招待状をプレゼントして頂いたので、六本木の国立新美術館に家内と二人、ワクワクしながら出掛けました。

地下鉄乃木坂駅を出た途端、その日差しに、いよいよ夏の到来!を背中で感じながら、美術館を目指したのでした。

午後1時過ぎに着いたのですが、流石、人気の展覧会で、大変大勢の人が観に来ていました。

日本経済新聞の連載で、今回のオルセー美術展の内容が詳しく紹介されていました。

また会場でも、展示されている絵と一緒に、詳しい解説が表示されており、数年前、パリのオルセー美術館に実際、訪れた事もあって、更には頭に予備知識を十分叩き込んであったお陰で、楽しく観覧する事が出来たのです。

いつもの事ですが、絵を観る時に限らず、美術品などの展覧会を見学する時には、その工芸品を製作した名工や名画を描いた画家の内面を理解する様に努力しています。

準備を或る程度整えた後に観覧すれば、作品の奥行きと云うか、素晴らしさ、あるいは哀しさ、時として作家の厭らしさなど、その深層を含めて理解出来て、観る楽しさが何倍にも増幅するのだと思います。

ただ漠然と、絵画や工芸品を観るのも良いものですが、作品を発表した時代に照らし合わせて鑑賞し、時には作家の心の内面を覗き、作家が作品を描いた時の新鮮な気持ちになってみるのも楽しいです。

そういった訳で、必ず絵を観る前に予備知識をある程度、取り込んでから出掛ける事にしています。

オルセー美術館を訪れた時は、ルーブル美術館の作品を観た後だったので、ヨーロッパの古典的な作品を充分観た後に、近代の印象派などの作品を連続して観る事が出来、その移り変わりが少しは分かったような気がしました。

今回のオルセー展は、近代ヨーロッパの印象派から進化したポスト印象派(ナビ派など)の作品が多く出品されていましたが、特に、セザンヌ、ゴッホ、モネ、ゴーギャン、ルソー、ボナールなどの名作を観る事が出来て嬉しく思ったのでした。

『日本かぶれのナビ』と言われたボナールは、江戸時代の浮世絵に多大の影響を受けたのをはじめ、セザンヌやモネも浮世絵の面白さに気が付いていた事は確かな事実です。

葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』において、豪快な波間から富士の山を望む、皆さんご存知の奇想天外な構図や、東洲斎写楽の『三代目大谷鬼次の奴 江戸兵衛』の生き生きとした表情など、当時のヨーロッパでは考えられなかった構図や表現に驚きと憧れを持たれたのだと思います。

過去のジャポニズムにおいてだけでなく、現在においても、我が国は世界に良い面で色々と影響を与えているのです。

美術工芸部門では勿論ですが、科学分野でも、例えば最も最近のものでは、炭素繊維、特に日本で発明されたPAN系炭素繊維は、鉄より何倍も軽くて頑丈なので、自動車や飛行機、ロケットなどに応用される画期的な材料として、大いなる期待を抱かせる素材なのです。

更には、海水を真水に変える装置は世界から大変注目されていますし、医療面では義足、義眼などの完成度の高さは世界一で、他国のものを圧倒している素晴らしさなのです。

決して、二番煎じでは有りませんぞ!

小生の専門分野の人工歯根(インプラント)も、国産で素晴らしい製品がシッカリと作られているのです!

もともと我々日本人は気性の優しい、勤勉な民族なのですから、以前のブログ(院長の独り言 119 )に詳しく書きましたが、義務教育時代に道徳教育さえキチンと行えば、次代を担う子供達も、我が国の昔からの伝統である礼節を重んじた立派な大人になり、世界に誇れる素晴らしい国になると思うのですが…。

院長の独り言 121 ; 移ろいゆく日々…

絶頂期の信長は好んで謡曲『敦盛』を、『人生50年…』と舞い謡いました。

今は80歳でも元気な時代です。

『赤ん坊は過去の自分、老人は未来の自分。来た道、行く道…』と、若い頃に、ある本で読みました。

また、幼児には愛情を、老人に対しては尊敬の念を持たなければいけないと書かれていました。

実際、自分が70歳を超えると、人生はあまりにも呆気なく短いものだと云う実感です。

幼年期、青年期、壮年期を、アッと言う間に通り過ぎてしまい、老年期に来てしまいました。

信長は謡曲を舞ってはいても、50歳で挫折するとは、よもや思いもしなかったでしょう。

燃え盛る本能寺で、さぞかし人生を短く感じ、愕然とした事と思います。

自分が若い頃は人生の長短など露ほども感じませんでしたが、現在は心の奥底から短く感じるのです。

だから、若い人に今、生きている瞬間を本当に大切に過ごして欲しいと願って止みません。

若者が頑張るのは当たり前ですが、と同時に、為政者も呼応して、色々と苦闘して頑張っている若者がいれば、援護手助けして当然です。

こんな事を書くと元気なお年寄りに嫌われてしまいそうですが、われわれ年寄りは頑張っている若者に、自分が蓄積した事を必死に伝えるメッセンジャーになり、静かに後進に道を譲っていくのが良いのではないでしょうか。

以前のブログに書いたように、70歳を超えても元気でいられるのが、われわれモンゴロイドの良いところです。

そろそろ古希になったら、旅行やスポーツなど元気で動けるうちに、趣味に生きる人生が大切だと思うのです。

何事か問われたら、親切に答え、若い人のアドバイサーに徹する事も大切ではないでしょうか。

お年寄りのニコニコと元気な姿が多く見られる国は、素晴らしい国である事、間違い有りません!

それに加えて、若者達が生き生きとして頑張っている国は、端から見ていても、ホッとするというか微笑ましく、未来の社会がもっと良くなるのではないかという予感と、安堵な気持ちにさせられます。

小生が心から願う事は、親は当然として、この国を司っている人は、この国の未来を担っていく若者が、われわれの後を引き継いで、この日本に生まれ育って心から良かったと思うような国にして欲しいのです。

一寸唐突ですが、熊でも鳥でもその子育てを記録映画などで見ると、感動してしまいます。

ところが子育ての時期を過ぎると、多分、本能の為せる技と思われるのですが、いくら子供が必死に甘えようとしても寄せ付けなくなってしまいます。

子供が、いくら死に物狂いに親に甘えてもダメです。

その態度はあまりにも毅然としているので、子供も諦めざるを得ません。

野生動物の記録映画で見ていても、その誰も寄せ付けない親の毅然とした姿と対照的に、愕然としている子供の悲しそうな顔に、つい涙が出てしまいます。

しかし、よく観察していると、子供を突き放すまでの間に、生きていくのに絶対欠かせない餌の取り方など必要最小限の術をキチンと教え込んでいるのです。

ただ産みっ放しにしているのでは無いのです。

甘やかして育てる時期はそれなりに甘やかし、ある時期は生きる為の手段をシッカリと学習させて、突き放す時期が来れば、幾ら傍に居たいと子供がせがんでも突き放してしまいます。

こう云う野生動物の子育てを全て参考にする訳では毛頭無いのですが、小生は、後輩に伝えて残さなければならない事はキチンと伝えて、ある時期に来たら、自分が築き上げてきた物に恋々とせずに、道を若者に潔く譲って、後は趣味に生きる様な人生が理想ですね。

熊や鳥とは少し違いますが、基本的には生き物は同じ様なものです。

生命は、過去、現在、未来とバトンタッチされて行くのです。

例えとして適当であるか分かりませんが、先年のオリンピックの男子400mリレー決勝で、陸上王国のアメリカでさえもバトンを落として失格してしまいました…。

一方、日本はバトンタッチを綺麗に成功させて、まさかの3位入賞、銅メダルでした。

小生も、自分の築いてきたともし火を何とか、上手くバトンタッチさせたいと思っている今日この頃です。

院長の独り言 120 ; 皆さんにも一つはあるでしょう。食べられない物が…

誰でも嫌いな食べ物が二つや三つぐらいは有るものです…。

何時かのブログに書きましたが、私は牛乳がどうも苦手です。

その理由は、小学生の時に給食が始まって、昼食に出てきた脱脂粉乳のせいです。

初めて脱脂粉乳を口にした時は、自分としては素晴らしい飲み物だと期待もして一口飲んだのです。

その途端、あまりの不味さに吐き出してしまいました…。

現在販売されている牛乳は脱脂粉乳とは全く違う物で有り、大変美味しい事は解っているのですが、白い液体を見るとあの恐ろしい飲み物を連想してしまい、つい他の飲み物を買ってしまうのです。

また、積極的にあまり口にしない食べ物がさつま芋とかぼちゃです。

この二つの野菜がダメになった理由はもっと深刻でした。

戦争中、お米は食べられなかったのは当たり前でした。

口に入る食べ物が手に入れば、何でも“御の字”だったのですが、このさつま芋とかぼちゃは子供だった私には本当に我慢出来ませんでした。

一度食べると、二度と口にするのが嫌になる程、酷かったのです…。

何が酷かったと云うと、いくら腹ペコでも、味も本当に不味くて食べられなかったのですが、それ以上に口に入れた時の口当たりと云うか、水っぽくて『グシャ』とした、何とも気持の悪い歯触りがその理由なのです。

現在のさつま芋やかぼちゃの『サクッ』とした歯応えとは全く違って、雲泥の差とはこの事です。

とても食べ物とは思えない嫌な感覚でした。

戦時中、何でこんなに不味くなってしまったのでしようか…。

戦争前には、さつま芋もかぼちゃも現在の品種改良を経た物ほどではなかったのですが、甘くて美味しく、それなりに味はシッカリしていたのです。

戦いが激しくなり、食べ物の大増産が国の至上命令となった結果、味は二の次、三の次になってしまって、極端に不味くなってしまいました。

ただ多く採れて腹の足しになれば良いと云う事です。

敗戦以来、70歳まで、この気持ち悪い感覚は他の食べ物で一度も味わった事が無いくらいです。

今時のさつま芋やかぼちゃは煮たり蒸かしたりするとホカホカしていて、果肉の色は黄金色、食べると何とも言えない感じの甘さがあり、独特の美味しさが有ります。

自分も食事に招待された時に、偶然、テーブルにさつま芋やかぼちゃが上がった場合は、当然、食べさせて頂くので、その美味しさは十分承知しています。

しかし、さつま芋とかぼちゃを見た途端に、脳が64年前の思い出したくも無い、疎開生活にタイムスリップするのです。

全くと言って良い程に食べ物が無い時だったので、嫌でも口にしなければならなかった時の辛さと言ったら有りません…。

それも、殆ど毎日に代わる代わる、今の基準で考えると、とてもさつま芋やかぼちゃとは言えない代物が出てきて、それ以外に食べるものは無いのです。

咬むと吐きそうになるので、眼をつぶって飲み込む以外、悲しい哉、為す術が無かったという事です。

そう言った訳で、理屈抜きでさつま芋とかぼちゃは苦手なのです。

疎開を経験していない家内からも、『こんな旨い物を食べないなんて、アホじゃないか…』と笑われていますが、こっちとすれば、大真面目なのです。

もうひとつ、どうしても食べられなくなってしまった物があります。鳥貝なのです…。

それは、次の日がゴルフのコンペだった前の日です。

晩酌の肴にと思い、有名な老舗のデパートで美味しそうに見えた鳥貝の刺身を買って帰り、食べたのです。

家内は鳥貝はいらないと言って、ヒラメとイカの刺身を食べていました。

翌朝、約20名の参加者を乗せて、バスは伊豆のゴルフ場に向かっていました。

実は、前夜遅く、何となくお腹の具合がおかしいなとは感じていました。

久し振りのゴルフと云う事で、自分はかなり緊張し、興奮していた事もあって、お腹の具合の悪いのも家を出る時には、すっかり頭から消えていたのです。

そして、快晴のゴルフ場に到着。

遠くに新緑の山並みがはっきり見え、この壮大なパノラマの風景に、仲間みんな、気分はウキウキでした。

小生はと云うと、プレーを始めた途端、下腹に激痛が走り、突如として、地獄に突き落とされた感じでした。

ゴルフをするどころではなく、恥も外聞もなく、草木の茂みへと駆け込んでしまいました…。

一緒にラウンドしていた同僚は脂汗をかいて顔面蒼白(だったそうです)の私を見て、何事が起きたのかとビックリしていました。

こんな苦しくて辛い経験は、後にも先にも味わった事は無いです。

これ以上書くと下品な出来事を報告する事になるので、この辺で止める事にします…。

結果、鳥貝は二度と食べられなくなりました。

老舗のデパートさん、ナマモノは念には念を入れて注意して売って下さいね。

院長の独り言 119 ; ゆとり教育と詰め込み教育の狭間で…

日本の義務教育期間は現在、6年プラス3年の9年間です。

公立小・中学校ではゆとり教育と称して、子供達に『考えさせる教育』をしていたのだそうです。

応用力を養うのが目的との事です。

また、私立の所謂、受験校では、公立の学校を傍目に、詰め込み教育を行っています。

大人でも知らない難しい事柄を覚えさせるのだそうです。

進学校に入学させ、一流大学に合格させる為なのでしょうか。

そこで、私の教育論。

小生の勝手な考察が許されるとするならば、公立校の『ゆとり教育』は勿論、私立校の『詰め込み主義の教育』も、決して良い教育方法とは思えません。

応用力を付けるなら、高校に入学してからで十分な気がしますし、詳細で難解な事を教えるのも高校に入ってからで十分と思うのですが…。

大分前のブログで紹介しましたが、われわれモンゴロイドは脳の十分な成熟にヨーロッパ系の人達より多くの時間が必要と言われていますし、歳にして30歳頃でもまだ脳が成長している可能性が有るのです。

小学生の時に慌てて、『考えさせる教育』を授ける事が脳に良い影響をもたらすとは思えないのです。

余程注意していないと、子供は大人の真似をして、変にマセるだけかも知れません。

子供は子供らしくて純粋さが取り柄です。

同じ理由でやはり、沢山の事柄を詰め込ませる事が果たして本当に脳にとって良い事なのでしょうか。

大変疑問です…。

脳に知識を貯め込む場所が疲れてしまわないのでしょうか。

詰め込み教育に付いていける子供には良いかも知れませんが、やはり個人差が有るので、オクテの子供は現在の教育システムでは取り残される可能性が大きいと思われるのです。

もし、オクテの子供を潰しているとしたら、現行の教育は良くないと云う事になります。

自分が勝手に思うのですが、小学生時代で一番大切な事は、大いに野山で遊ぶ事、多種な本を沢山読む事、礼儀作法を身に付ける事、そして友達をいたわるなど優しい心を育てる事で、キチンと世の中で生きていく為の生活力と道徳教育を施す事に尽きるような気がするのです。

小学校の勉強は、読み書きと算数の基本的な事柄が出来れば十分ではないでしょうか。

60年前の自分達、小学生は、礼儀作法など道徳教育は受けましたが、学校では読み書きと簡単な数学を勉強して、殆どの時間は外で遊んでいました。

だからと言って、当時の子供が大人になっても、社会に迷惑をかけている人ばかりでは有りません。

小・中学生の頃、遊んでいても高校、大学で難しい勉強をこなしました。

却って、小さい時に遊んだ反動で、大きくなってから勉強する気になったのかも知れません。

自然の中で遊び、時には絵を描き、音楽に親しむ事で、脳が刺激を受けて、色々な事を受け入れる十分な容積が造られるのではないでしょうか。

自分で振り返っても、小・中学生の時に自然の中で遊びまくっていて、本当に良かったと思います。

そして、道徳教育をシッカリと受けた事にも感謝しています。

更に小・中学校時代、今、考えて特に良かったと思う事は、本を沢山読んだ事です。

詰め込み教育なんか受けた覚えは有りません…。

親父は玩具をほとんど買ってくれませんでしたが、本だけは読みたいと言うと、直ぐ買って呉れました。

今になって、心の底から本当に感謝しています。

社会生活上は、小学校で勉強した読み書き算数だけで、困る事はまず無いでしょう。

大人になって色々な研究分野に進みたい人たちは、高校や大学で数学や物理化学などを究めれば良いのであって、一般社会での日常生活では、微分積分、因数分解、分子学、原子学などは殆ど必要無いのでは…と思います。

恥ずかしい話ですが、微分積分はこの年になって殆ど忘れてしまいました…。

正直な話、その事で日常生活上、困った事は全く有りません。

しかし、今時の親御さんと教育について、上記のような持論を開陳すると、決まって『そのような事は分かっている!』と言います。

では、何が詰め込み教育の元凶なのでしょうか…。

実は、小・中学生の子供に無理をして頑張らせる親の目的は、良い高校そして一流大学に行かせる事以外に、もっと深刻な問題が背景にあるのです。

公立校に入った子供がいじめに遭ったり、悪い仲間に引きずり込まれるのではないかと心配しているのです。

今時の親御さんが思っている良い高校とは決して、単純に、『勉強が出来る生徒が多い学校』では無いのだと思います。

いじめなどの対人関係で、わが子が傷つかないように…といった親心からなのです。

その様な学校に入る為に、小学校からガリ勉なんて、アホくさい話と思えませんか。

ガリ勉をしたければ、高校に入ってからで遅く有りません。

昔のように、小・中学校の時にキチンと学校の勉強をこなし、道徳教育を受けさせていれば、どんな高校に行ったとしても、親が心配するような事態は殆ど起きないと思います。

どうして、国も学校も、どこの高校に行っても、親が安心出来るようにしないのでしょうか。

また、その為の道徳教育を、小・中学校時代に早く実行しないのでしょうか。

たとえ、経済的などの理由で中学を卒業して、直ぐに社会に出たとしても、基本的な読み書きが出来て、真面目な少年少女で有れば、その先の長い人生、何の心配も無いと思います。

勉強が好きで大学に行きたかったら、高校に入ってから、好きな科目の勉強などの応用力をゆっくりと身に付ければ良いのではないでしょうか。

勉強が苦手でも、真面目で純粋に、仕事に打ち込める若者に育てば、社会は大歓迎です。

そして、日本国も大丈夫に決まっています!

常識程度の読み書き算数が出来れば十分でしょう。

結論として、義務教育時代は、清く正しく朗らかな道徳教育の下、読み書き算数を基本に、そして、伝記、科学、生物、歴史、また漱石、鴎外、藤村、一葉や啄木などの作家の名作を中心に、多種な分野の本を読み、日本人として誇りと自信と優しさを持った人間に育てるための準備期間だと思うのですが…。

院長の独り言 118 ; 同窓会に舞妓さんを呼んだ!

京都祇園祭の季節になり、テレビでは地元の人が生き生きと準備をしている映像が流れていました。

中学校の修学旅行で初めて京都を訪れ、清水寺、金閣寺、銀閣寺、三十三間堂、京都御所、哲学堂、お西お東の本願寺、嵐山などを観て回って大感激し、大学生になってから今に至るまで何度も、京都の名所旧跡巡りをしました。

その都度、京都の街路をカラコロと華やかに歩いている舞妓さんを何度も眼にしましたが、その絢爛な姿に、すっかり別世界の人として捉えていたのです。

あのように厚い白粉(おしろい)の化粧を施し、夏でも豪華な着物を着て、他人事ながら、毎日の生活が大変だろうな…と同情していました。

今から約30年前、大学の同窓会を京都で行う事になり、『是非、参加して欲しい!』と、名幹事のK君から連絡が入りました。

大好きな京都と聞けば、即答で参加を了承したのは当然の事です。

11月の京都は紅葉も綺麗に色付き、全国に散らばった旧友にも久し振りに会えて、本当に楽しいひと時を持つ事が出来、幹事のK君に心より感謝した次第でした。

また、K君は皆を驚かすためにわざと隠していたのですが、その夜の宴会に、舞妓さんを2人呼んでいたのです。

場所が京都だとはいえ、まさか舞妓さんが来るとは思っても見なかったので、2人の舞妓さんが宴席に現われた時には、その艶やかさに大歓声が起きたのでした。

失礼とは思ったのですが、初めてすぐ傍で舞妓さんを見るので、つい穴の開く程、じっくりと舞妓さんを見てしまいました…。

そして、あの白塗りの顔を全く奇異に感じないどころか、綺麗で艶やかなのには正直、ビックリしました。

街ですれ違って、チラッと見ていた時は、少しグロテスクにも感じていたのですが、夜の部屋灯りで、眼前の姿を見ると、実に清楚な姿なのです。

『幾つなの?』とか『毎日の生活は?』とか『お化粧が大変でしょう』などなど…、我々の不躾な質問にも嫌な顔一つせずに、実に丁寧な受け答えでした。

その態度はとても十代の娘さんには思えない、大人で礼儀正しい対応です。

小生は、すっかり舞妓さんファンになってしまったのでした。

宴会の帰路、その費用を幹事から見せてもらうと、結構、高価なのには二度、びっくりしたものです。

しかし、日本の伝統文化である京都の花街を存続させる為には、少々、お金が掛かる事は十分理解出来ます。

もし存続するのに費用が掛かって大変ならば、歌舞伎や相撲と同じように、国が色々な面から援助する様に計らって貰いたいと思います。

要らぬ心配だとは思うのですが、あの艶やかな舞妓さんと花街を是非、京都のシンボルとして衰微しないように支えていきたいものです。

院長の独り言 117 ; 宇宙と他力思想

小さい頃から夜空を眺めて、星座などを観察するのが大好きでした。

この歳になっても…と云うか、歳を取ったので、最近、宇宙に余計、興味を持ってきています。

残念ながら、この頃は街が明る過ぎるし、空気が濁っている…などの理由で、昔ほど、星の煌めきが見られなくなってしまいました。

しかし、旅行で箱根や日光などの郊外に出掛けた時は、夜の天空を眺めて興奮しているのです。

そして宇宙に関して色々と空想するのです。

宇宙が無限に大きい事は解っているのですが、肝心な事は未だ殆ど何も真実が解明されていません。

だから余計に空想する事が楽しいのです。

今も凄いスピードで宇宙は拡大を続けていて、宇宙の一番先は光速を超える程の速さで広がっているのだそうです。

光と同程度の速さで膨張しているという事は、どんなに科学が発達しても地球から宇宙の果ては、我々には永久に見る事が出来ないのです。

宇宙の不可思議な話は、科学雑誌に毎月のように沢山、書かれています。

宇宙に興味を抱くと、宇宙はどの様に出来たのか…と、誰でもまず疑問に思うそうです。

そして、宇宙のはじまりを想像するのです。

誰でも単純に、膨張の逆の事を考えて、宇宙がどんどん収縮していく事を想像します。

時間を過去に遡っていくのです。

現在の研究では、130億年以上前が宇宙のはじまりだそうです。

どんどん遡っていけば、宇宙は点に凝縮する事になると、通説では言われています。

いわゆる、ビックバン理論です。

現在の宇宙は無限に大きく、まだ膨張しているのに、宇宙のはじまりは、逆に、凝縮された限られた球状と云うのです。

ある塊の原子が何かのきっかけで大爆発して、膨張が始まり、今でもその拡大を続けていると言うのです。

小生には、宇宙の出発点が小さな塊の原子が大爆発した事がきっかけだとはとても信じられません…。

一体、130億年程前の宇宙に何が起こったのでしょうか。

自分も満天の夜空を仰ぎながら、馬鹿な脳味噌を絞って、宇宙のはじまりは、どのようなきっかけが原因かを考えるのですが、途中で頭の中が混乱してしまい、余りにも大きな宇宙を見上げて笑ってしまうしか無いのです。

何しろ夜空にピカピカ小さく輝いている星の殆どが、太陽のように自分で光を出している大きな恒星なのだから驚きです。

それも無数に存在するのです…。

こんな信じられない程の大きな宇宙が現に存在するのです。

あの天才物理科学者のアインシュタイン博士でも『宇宙のはじまりは神の手によるものだ!』と言っていたくらいですから。

話は少しそれますが、母方の祖父が浄土真宗の住職と云う事は何回かこのブログでも触れましたが、子供の時から親鸞の教えを祖父母から聞かされて育ちました。

特に、親鸞の弟子、唯円の書、『歎異抄』の話をよく聞かされました。

親鸞の訴えた他力の思想とは、神に救われる事です。

その我々を救って呉れる神とは、人間以外の動・植物、そして地球を含めた全宇宙と、親鸞は考えていたのかも知れません。

われわれ人間は考える事の出来る唯一の、所謂、生々しい存在です。

しかし、人間以外の動・植物、地球を含めた全宇宙に頼って生かされる以外、為す術が無いのです。

親鸞は『謙虚に生きよ!』と説いているような気がしてなりません。

不遜な考えが許されるとすれば、動物も植物も人間の為に存在していると、人間は勝手に考え勝ちです。

人間は牛や魚、野菜や果物を食べなければ生きていけません。

石材や材木も必要です。

勿論、太陽が存在しなければ、生きていく事も全く不可能です。

しかし人間だけが、自分の存在を意識出来ます。

その意識が自力の思想を生み出すのかも知れません。

一方、親鸞の生み出した浄土真宗では、ただただ、生かして頂いていると云うか、生かされていると信じて、神に感謝するのみです。

幼い頃から聞かされていた母方の祖父母のお説教がこの頃、毎日、身に沁みるのです…。

母は常に、われわれ子供達の耳にタコが出来る程、『自分は生かされている』と話していました。

『善人なをもて往生す、いわんや悪人をや』

歎異抄に出てくる、あまりにも有名な一節です。

善人とは修行をつんで、仏法に身を置く人の事を云うのでしょう。

悪人とは末法の世で、いけない事でも何でもしなければ生きていく術も無い、もだえ苦しんでいる庶民の事を指していると思われます。

『苦しんでいる庶民(悪人)を救えない教えは、本当の仏教ではない!』と親鸞は説いていたのかも知れません。

『善人(修行者)が極楽に行けるのであれば、悪人(庶民)は当然、極楽浄土に行く事が出来る』と言っているのだと…。

小生は当然、生かされている庶民です。

例によって独断の意見です。

すみません。

院長の独り言 116 ; 若い時は麻雀、少し大人になって囲碁を、そして今は認知症にならない為に…

大学生になったら、是非、経験したかった事は、煙草とお酒と麻雀でした。

煙草とお酒は、入学時の初めてのコンパで、早々に経験したのですが、麻雀は何しろ面子が必要で、4人で卓を囲むのですから、気の合った仲間をまず探さなければならなかったのです。

結局、麻雀を体験したのは、入学してから半年ぐらい経ってからでした。

新学期の授業が始まると、歯学部は理科系の大学ですから、毎日の授業が数学、物理、化学、生物、英語、ドイツ語と大変です…。

ですから、なかなか卓を囲む機会が無かったのですが、ある日、化学の授業が休講になった時、入学してから少しずつ気が合ってきた同級生4人で、大学の近所の雀荘に緊張しながら入ってみたのです。

受付兼オーナーのおばさんが『学生さん達、初めてだネ』と、我々のオドオドした仕草から、雀荘初心者だとすぐに見抜かれてしまったのです。

幸い他にお客がいなかったので、恥を忍んで、初めて雀荘に来た事をおばさんに告げたところ、『好きなようにやって良いから…』とお許しがでたのです。

4人のうち1人だけは麻雀経験者で、その手解きを受けながら、小生としては目出度く、麻雀初体験となりました。

最初のうちはルールを覚えるのが大変で、勿論、麻雀の解説本を買い込んで、一生懸命、大三元、国士無双、四暗刻などの役満とか、一気通貫、清一色、平和(ピンフと読むのです。面白いでしょ)など、沢山の上がる役を覚えなければイケません。

麻雀を知らない人にとっては、何を言っているのかさっぱり分からないと思います…。

また、点数の計算が面倒なのです。

しかし、色々なルールが少しずつ分かってくると、どんどん、ハマってしまうものです。

結局、私もすっかり麻雀の虜になってしまいました。

当時、『こんな面白いゲームは他に無いのではないか!』と思ったくらいですから。

毎週土曜日の夕方になり、その日の授業が終わると、5~6人で雀荘に直行して、徹夜で麻雀をする事が恒例になってしまい、息子の日曜日の朝帰りに、小生の母親も渋い顔をしていました。

地方出身者は大学の寮に戻ると、先輩たちとまた卓を囲んでいたようです。

歯学部に入学してから2年間は、基礎的な数学やドイツ語などの一般教養を勉強し、その後に専門的な解剖学、病理学、細菌学、歯科臨床学などを4年間かけて、教わる事になっていました。

基礎課程の時と比べて、専門課程に入ると実習や実験する授業が大変多くなります。

基礎課程の2年間は麻雀をする時間を作れたので、結構、卓を囲む事が出来たのですが、学部の専門課程に進んでからは、すっかり麻雀をする暇が無くなってしまい、卒業するまでは全くと言って良い程、卓を囲まなくなってしまいました。

医局に入ってから先輩や後輩と、たまに麻雀をする事はあっても、若い頃と違い、体力が無くなってしまい、徹夜麻雀はノーサンキューと云う事になってしまったのです。

入局してからは、もっぱら麻雀の代わりに、囲碁を打つ機会が多くなり、この囲碁もなかなか捨て難く、仕事が終わった後、他科の医局に出向いて熱戦を繰り広げたものです。

歯科治療は本当に緊張の連続です。

特に、歯科医師ひとりで治療している個人開業は、緊張感倍増です…。

医局を離れ、当院を開業してからは、治療が終わって帰宅すると、酒を少し飲んで、そのストレスを緩和していたのですが、歳とともに酒も弱くなってしまい、最近は、もっぱら囲碁やゴルフなどの趣味をする事で緊張感を和らげている訳です。

また、いま現在は、当院の職員の数が増え、それぞれが担当分野をしっかりとカバーしてくれているので、小生の心のゆとりも出来てきました。

趣味を持つ事は、忙しく緊張している時はストレス緩和の為に役に立ちますが、歳を重ねて仕事がひと段落してからは、己を知る手段ともなり得ます。

更に囲碁やゴルフは、認知症の予防にもなるかも知れませんネ。

院長の独り言 115 ; 間近に雷が落ちた!

70年間も生きていると色々な経験をします。

唐の詩人、杜甫が『人生を70歳まで生きる人は古来、希(まれ)である』と云い、その事から70歳を『古希』としてお祝いするくらいですから…。

本日(6月30日)、久し振りに八王子で大きな雷が鳴ったので、ハッと嫌な雷の思い出が脳裏を過ったのです。

それは中学2年生の時の話です。

バスケット部の部活が終わって、学校を出た時は晴れていたのですが、10分位、皆で歩いていたら、にわか雨が降り出しました。

そこで3人の友達と蕎麦屋の軒先で雨宿りをしていたところ、『バァン!』と物凄い大きな音が近くでしたのです。

急でもあり、あまりの衝撃だったので、一瞬、何が何だか訳が分からなくなりました。

近くに飛行機でも墜落したのかと思ったくらいの衝撃だったのです。

お互い真っ青になった顔を見合わせた途端、目が点になってしまいました。

全員の髪毛が逆立ってしまっていたのです…。

しかし、状況が全く飲み込めず、皆ただ茫然としていました。

次第に、周りの人が集まってきて、『ビックリした!君たち大丈夫かい?』と心配そうに、逆立った我々の髪毛を見ていました。

2、3分経ってはじめて、自分達が雨宿りしていた軒先のすぐ横の電柱に設置してあったトランスに落雷した事が分かったのです。

大人になってからも3人が会った時は必ず、まず、この雷の話が出る位に、忘れ難い出来事になりました。

それ以来、雷が恐ろしくなってしまい、遠方で雷鳴が轟くと、直ぐに建物の中に入ってしまう習慣が身に付いてしまいました。

小さい頃は雷が鳴ったり、稲光で光ったりすると、窓を開けて手を叩いて大喜びしていたのですが…。

一度でも間近で落雷に遭うと、一番怖い場所は何処かとの問いに『何と言っても、高い山の頂上か、あるいはゴルフ場の広いフェアウェーの真ん中だ!』と答える人が多いものです。

滅多にないのですが、自分もゴルフ場で遭遇した時は、そそくさと被雷針小屋に逃げ込む事にしています。

新聞で偶に、山の尾根やゴルフ場で被雷して、気の毒にも命を落としているハイカーやプレーヤーの記事を読む事が有ります。

雷の電圧は物の本によると、200万~10億ボルト、電流の強さは1000~20万アンペアと載っています。

直接、雷に当たったら、ひとたまりも有りません…。

世界では毎秒100回もの落雷が発生していて、日本では年間、約20人、世界では千人程度の人が落雷によって犠牲になっているそうです。

雷の話題の次いでですが、石川歯科が在るビルにも、15年程前に雷が落ちた事があるのです…。

ビルの屋上に被雷針が設置してあったのですが、診療室の3階と4階に3台置いてあった電話が全て焼け焦げて、使い物に成らなくなりました。

幸い、診療室全部の器具に、落雷被害時の補償保険に加入していたお陰で、費用は掛からずに電話の受信器を交換する事が出来ました。

近所で、当院の患者さんでもある人が偶然、落雷の瞬間を見ていて『お宅のビルに雷が落ちたけど、ビルの被雷針から閃光が走った!』と後で教えて呉れました。

しかし、その時、部屋の中にいた我々スタッフには、大した衝撃は有りませんでした。

被害は電話の受信器だけで済んだので、その時はホッと胸を撫で下ろしました。

初夏の八王子は比較的に、雷が多く発生する地区ですが、今年の夏は雷が全く発生しないで、落雷の被害者が出ないように…と、心から願っています。

プク(大)とプイ(小)について、早速のご質問への回答です…

前回、アップした水槽の新しい仲間たちについて、早速のご質問がありましたので、回答します。

まず、ハリセンボンのプクとプイの間に存在する、水槽の仕切りについてのご質問に答えます。

下の写真のように、アクリル板で仕切っているだけです。

まだ小さなプイちゃんが抜け出さない位の大きさの穴が開いていて、海水は通じています。

ぷくとぷい2

写真を見てお気付きの方もいらっしゃると思いますが、プクは餌をくわえています。

プクちゃんは餌で釣らないとジッとしていないので、この写真の為に餌を与えました。

そして飼育している方々はご存じでしょうが、ハリセンボンは本当に食いしん坊です!

しかし、歯が上顎に1本、下顎に1本しかないので、食べるのが下手で、食べ残しが多いのです。

わが医院の水槽では、食べ残し対策にヒトデ君を一緒に飼っています。

プクちゃんの大きな糞をお掃除してくれるのです(食べてくれます…)。

少し話が下品になり過ぎましたね…。

また、ハリセンボンという魚は感情をハッキリと表現します。

基本的には、穏やかな気分の日が多いのですが、たまに怒りっぽくなります。

人間のようで不思議です。

ハリセンボンは眼も不思議です。

良く観察すると、青く輝いていて、吸い込まれそうです。

まるで銀河を見ているようです。

(プクちゃんには少し気の毒ですが、掌で写真を撮らせてもらいました。そうでないと、アチコチに動くので、眼が撮影出来ないので…。

撮影後はおやつを与えて、良くアヤしておきました)

プクアップ

水槽に新しい仲間が増えました!

まずは、3階の熱帯魚の水槽に、スバッティという種類の淡水フグがやって来ました!

頭の部分にハートマークが付いています。

勝手に『恋愛成就のフグ』という事にしています。

真偽の程は不明ですが…。

名前はゴリ君。

名前の由来は見た目からです…。

ゴリ君

来た時はスリムな体型でしたが、今はお腹がメタボ気味です。

良くなついていて可愛いのですが、食事以外は写真のように水槽の底で、寝ています。

また、2階のハリセンボンの水槽にも、可愛い子供のハリセンボンが登場しました。

名前はプイちゃんです。

その由来はわが医院にやってきた時に、『プイっと』していたからです。

しかし今は良くなついて、人が来るとすぐに寄ってきて、自分の存在をアピールします。

手の上にも乗ってくるのですよ!

プイちゃん

そして、御大の登場です。

仕切りで分かれていますが、プイちゃんと同じ水槽で元気に泳いでいるプクちゃんです。

わが医院にきて1年以上経ち、すっかり貫禄が付いてきましたが、可愛い可愛い存在です。

元気過ぎて、盛んに上下してはしゃぐので、カメラでの撮影もママなりません…。

掌にも平気で乗って来ます。

噛む事は決してありません。

特に女性が好きなようで、女性の前ではハッスルして上下してせわしなく泳ぎます。

プクちゃん

歯科治療の緊張感も、彼らの顔を見れば和らぐ事、請け合いです!

勿論、優しいスタッフもお待ちしています。

院長の独り言 114 ; 歯科治療の考え方は歴史的にも、地域的にも違う

私が医局に在籍していた40年以上前に、外科的な治療を中心としたアメリカ発の歯周病治療法の新しい波が、押し寄せるように日本の歯科界に入ってきました。

その当時は、歯周病の事を歯槽膿漏と一般的に言っていましたので、お年寄りの方には今でも、歯茎の炎症を歯槽膿漏と言った方が分かって呉れます。

歯槽膿漏は読んで字の如し、歯周病菌に感染して炎症を起こした歯茎から膿が出て、その結果、歯を支えている骨が溶け、歯がグラグラになる疾患です。

以前のブログでも触れましたが、当時は虫歯になった歯を早く綺麗に削る回転切削器具が無かったので、痛くなった歯は抜歯してしまう場合が多く、その後の欠損は所謂、入れ歯(義歯)を装着すると云う治療法が主流でした。

まだしっかりしていた歯でも、痛い歯は抜いてしまう歯科医師が多かったので、若くして歯が無くなり、入れ歯を装着している人が、今よりずっとずっと多かったのです。

歯周病になるより早く、歯が無くなってしまっているので、重度の歯周病患者は幸いと云うか逆に、治療法のオプションが拡がった今より少なかったのです。

歯が無いのですから、歯周病に成り様がありません…。

現在、主な歯科治療は、一つは歯そのものの治療、いわゆる虫歯の治療です。

もう一つは、歯周組織である歯茎(はぐき)の病変を治す、歯周病の治療です。

タービンなどの高速切削機器の大変な進歩のおかげで、長時間、虫歯を削られる不快さが無くなりました。

虫歯の治療は40年前と比較すると、格段に歯を保存する事を重視して行えます。

現在、虫歯が原因で歯が無くなる事は、殆どと言って良いほどありません。

しかし、歯が長持ちすると云う事は、よほど注意して口腔中を清掃しないと、歯周病になると云う事です。

6月4日の虫歯予防デーにテレビで見ましたが、インタビューで『歯科医院に、どういう時に行きますか?』という質問に、欧米の人は『自分では口の中の異常を感じなくても、年に2、3度は健診を兼ねて、歯科医院に歯の掃除をしに行きます』と全員が答えていました。

一方、インタビューを受けた日本人の殆どが、『基本的には痛くなった時だけ、治療に行く』と言っていました。

小生が歯学部の学生の頃には、既に、口の中の細菌が血管を通じて、全身のあちこちの臓器、例えば心臓、腎臓などに飛んで行く事を教わっていました。

その口腔内細菌が心筋梗塞や脳梗塞の原因となり、また腎臓や肝臓などの臓器に悪い影響を与えると言われていたのです。

しかし、この事が長い間、社会的にあまり問題視されていませんでした。

約10年前から、アメリカの心臓外科学会や歯周病学会でカリフォルニア大学の先生や、わが母校の東京医科歯科大学の先生を中心に、口腔内細菌を心筋梗塞や脳梗塞を起こす重大な原因の一つとする研究結果が報告され出したのです。

特に、歯茎から膿が出ている症例は早急に抜歯すべきであると提言しています。

日本でも、同じ事を言う歯科医師や医師が多くなってきています。

全身疾患と歯周病が関連しているという研究結果は非常にショッキングで、NHKや民放でも歯周病の特集番組が頻繁に放送されるようになってきました。

その番組中では、歯周病学の大学教授がやはり同じように、病原性の高い歯周病菌の怖さを強調しているのです。

命あっての物種です。

歯科医院などの専門施設で、定期的な歯のお掃除をすることをお勧めします。

万が一、不幸にも膿が出てグラグラの歯が口の中にあったら、思い切って、抜歯も選択肢の一つとして考えても良いでしょう。

勿論、専門家である歯科医師の診断を仰いでから…の話です。

行き過ぎである面も確かにありますが、欧米では重度の歯周病に罹患している歯は、炎症で骨が溶け切ってしまう前に抜歯して、インプラントを埋める事を勧める歯科医師が多くなっています。

わが医院には3DであるCT撮影装置や血液検査などにより、より精緻に歯周病の状態を測る手段がありますし、歯周組織の再生治療など先進的な歯周病治療も行っております。

お悩みの方は是非、ご相談ください。