院長の独り言 120 ; 皆さんにも一つはあるでしょう。食べられない物が…
誰でも嫌いな食べ物が二つや三つぐらいは有るものです…。
何時かのブログに書きましたが、私は牛乳がどうも苦手です。
その理由は、小学生の時に給食が始まって、昼食に出てきた脱脂粉乳のせいです。
初めて脱脂粉乳を口にした時は、自分としては素晴らしい飲み物だと期待もして一口飲んだのです。
その途端、あまりの不味さに吐き出してしまいました…。
現在販売されている牛乳は脱脂粉乳とは全く違う物で有り、大変美味しい事は解っているのですが、白い液体を見るとあの恐ろしい飲み物を連想してしまい、つい他の飲み物を買ってしまうのです。
また、積極的にあまり口にしない食べ物がさつま芋とかぼちゃです。
この二つの野菜がダメになった理由はもっと深刻でした。
戦争中、お米は食べられなかったのは当たり前でした。
口に入る食べ物が手に入れば、何でも“御の字”だったのですが、このさつま芋とかぼちゃは子供だった私には本当に我慢出来ませんでした。
一度食べると、二度と口にするのが嫌になる程、酷かったのです…。
何が酷かったと云うと、いくら腹ペコでも、味も本当に不味くて食べられなかったのですが、それ以上に口に入れた時の口当たりと云うか、水っぽくて『グシャ』とした、何とも気持の悪い歯触りがその理由なのです。
現在のさつま芋やかぼちゃの『サクッ』とした歯応えとは全く違って、雲泥の差とはこの事です。
とても食べ物とは思えない嫌な感覚でした。
戦時中、何でこんなに不味くなってしまったのでしようか…。
戦争前には、さつま芋もかぼちゃも現在の品種改良を経た物ほどではなかったのですが、甘くて美味しく、それなりに味はシッカリしていたのです。
戦いが激しくなり、食べ物の大増産が国の至上命令となった結果、味は二の次、三の次になってしまって、極端に不味くなってしまいました。
ただ多く採れて腹の足しになれば良いと云う事です。
敗戦以来、70歳まで、この気持ち悪い感覚は他の食べ物で一度も味わった事が無いくらいです。
今時のさつま芋やかぼちゃは煮たり蒸かしたりするとホカホカしていて、果肉の色は黄金色、食べると何とも言えない感じの甘さがあり、独特の美味しさが有ります。
自分も食事に招待された時に、偶然、テーブルにさつま芋やかぼちゃが上がった場合は、当然、食べさせて頂くので、その美味しさは十分承知しています。
しかし、さつま芋とかぼちゃを見た途端に、脳が64年前の思い出したくも無い、疎開生活にタイムスリップするのです。
全くと言って良い程に食べ物が無い時だったので、嫌でも口にしなければならなかった時の辛さと言ったら有りません…。
それも、殆ど毎日に代わる代わる、今の基準で考えると、とてもさつま芋やかぼちゃとは言えない代物が出てきて、それ以外に食べるものは無いのです。
咬むと吐きそうになるので、眼をつぶって飲み込む以外、悲しい哉、為す術が無かったという事です。
そう言った訳で、理屈抜きでさつま芋とかぼちゃは苦手なのです。
疎開を経験していない家内からも、『こんな旨い物を食べないなんて、アホじゃないか…』と笑われていますが、こっちとすれば、大真面目なのです。
もうひとつ、どうしても食べられなくなってしまった物があります。鳥貝なのです…。
それは、次の日がゴルフのコンペだった前の日です。
晩酌の肴にと思い、有名な老舗のデパートで美味しそうに見えた鳥貝の刺身を買って帰り、食べたのです。
家内は鳥貝はいらないと言って、ヒラメとイカの刺身を食べていました。
翌朝、約20名の参加者を乗せて、バスは伊豆のゴルフ場に向かっていました。
実は、前夜遅く、何となくお腹の具合がおかしいなとは感じていました。
久し振りのゴルフと云う事で、自分はかなり緊張し、興奮していた事もあって、お腹の具合の悪いのも家を出る時には、すっかり頭から消えていたのです。
そして、快晴のゴルフ場に到着。
遠くに新緑の山並みがはっきり見え、この壮大なパノラマの風景に、仲間みんな、気分はウキウキでした。
小生はと云うと、プレーを始めた途端、下腹に激痛が走り、突如として、地獄に突き落とされた感じでした。
ゴルフをするどころではなく、恥も外聞もなく、草木の茂みへと駆け込んでしまいました…。
一緒にラウンドしていた同僚は脂汗をかいて顔面蒼白(だったそうです)の私を見て、何事が起きたのかとビックリしていました。
こんな苦しくて辛い経験は、後にも先にも味わった事は無いです。
これ以上書くと下品な出来事を報告する事になるので、この辺で止める事にします…。
結果、鳥貝は二度と食べられなくなりました。
老舗のデパートさん、ナマモノは念には念を入れて注意して売って下さいね。