院長の独り言 268 ; いまの日本で起きている事は、すべて戦国時代に起きている

今から500年前の室町時代末期、政治的にも、経済的にも、日本国中が末期症状を呈し、人心は乱れに乱れ、結果、必然的に戦国時代に突入して行ったのは皆さんご存知の通りです。
戦国時代は群雄割拠。
誰がどのように各地を統治していくのか、混沌としていた時です。
何となく現代の日本に類似している気がしますが…。
武田信玄は、言わずと知れた甲斐(今の山梨県)生まれの戦国武将です。
51才で死没していますが、もし仮に70歳まで生きていたら、乱世を治め、天下を統一したのは信長、秀吉、家康では無く、信玄ではないかとも云われています。
理由は、信玄は人材を育てる名人だからです。
あの戦い上手の信長は、戦(いくさ)の勝率が約80%だったのに対して、信玄のそれは96%と驚異的な勝率です。
信玄の有名な格言は沢山ありますが、『人は城 人は人垣 人は堀 情けは味方 仇(かたき)は敵なり』など、組織運営に纏(まつ)わる箴言を多く残しています。
前半では、組織の根幹は人材であると云っています。
そして後半は、親身になって面倒をみれば、人心を繋(つな)ぎ、逆に、仇(かたき)が多いほど、失敗するという事です。
信長は桶狭間の戦いなどに見られるように、戦術に、天才的に長(た)けていました。
しかし信長は元来、気性が荒く、結果、その家来に殺されてしまうのです。
結局、愛情を以って、人を育てる事が、組織運営に不可欠であると言う事です。
厳しく教え導いても、愛情の裏付けがあれば、必ず人材は育つものです。
信玄は、それは、それは怖い大将であったと言われていますが、家来本人だけでなく、その家族についても、常に気を配っていたと、伝えられています。
有能で、忠実な家臣を多く育てた結果、戦に連戦連勝。
『甲斐に虎あり』と信玄は恐れられていました。
前述したように、信玄がもう少し長生きしていれば、天下を取っていた確率が高かったのではないでしょうか。
260年間、続いた徳川幕府の祖 徳川家康も、信玄に大敗を喫したひとりです。
三方ヶ原合戦では、武田軍に完全に打ちのめされてしまい、退却中、恐怖のあまり、馬上で脱糞したと伝えられています。
しかし家康は、その信玄を生涯、尊敬しました。
さらに、信長に滅ぼされた武田家の家臣を、徳川家に招いたりもしたのです。
まさしく、『情けは味方 仇(かたき)は敵なり』ですね。
バブルが弾けて以来、今回の大震災にも遭い、日本丸は沈みそうです。
武田一族が証明しているように、国の存亡は優秀な人材次第です。
継続的に若い人材を育てて行く事が、国の存続上、如何に大切かを、信玄は教えてくれます。
もう経済的な物差しで、すべてを測るのは止めにして、若い人を育てようではありませんか。
今、日本の大人に一番、足りないのは、人を育てる事です。

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