院長の独り言 267 ; 人生で初めて救急車で運ばれた、あの日

私の人生で初めて、救急車のお世話になった話を、3月20日のブログ『院長の独り言 204 ; 人生で初めて、救急車で運ばれました…』で書きました。
その時は、東北大震災の直後。
その凄まじい惨状にショックを受けて、体調が狂ったのだと、当時、勝手に思い込んでいました。
あの時は、救急隊員をはじめ、患者さん、石川歯科のスタッフ、そして家族に、自分が体調管理を怠った為に、大変な迷惑を掛けてしまったのです。
しかし、あれから4ヶ月経過した現在、改めて冷静に考えてみると、ストレスだけが原因で、倒れたのではないと、思うようになったのです。
倒れた日は、3月11日(金)の翌日である12日(土)夕方、仕事を終えて帰宅した直後だったのです。
その日は、朝からいつもと様子が違って、身体が大変、怠(だる)く、起き上がるのも辛かったのです。
前日は、ご存知のように、あの大震災です。
各種の報道で、あの悲惨な大津波の映像を目の当たりにし、気が動転し、精神的に少し参ってしまったのではないかと思っていました。
小生、普段は朝の目覚めが大変、良い方で、あの311の前日も、朝食を美味しく食べられていたのに、12日の朝は、全く食欲がありません。
仕事が仕事なので、清潔が第一、毎朝、お風呂に入り、シャワーで全身を洗う事にしているのですが、その気も起きません。
それでも何とか気合いを入れて、お風呂に入ったのですが、とうとう眩暈(めまい)が起きたので、直ぐ上がったのです。
本当に怠(だる)くて、怠くて、思わず、ソファに倒れ込んでしまいました。
『どうしたの?顔色が真っ青だけど…』と、家内は心配そうです。
暫く横になって休んでいたところ、怠さも改善してきたので、暖かい日本茶を飲んで、病院に出勤したのです。
病院のある八王子市八日町は、計画停電の第2グループであったので、午前中は治療したくても、電気が止められて治療が出来ません。
午後からは、治療が可能でしたが、その頃には小生、吐き気がして、気持ちが悪く、治療を殆どすることが出来ず、本来、自分が診なければならない患者さんを息子に任せて、医局で寝ていたのです。
夕方、早めに帰宅させてもらうと、ソファでひと休みし、落ち着いたところで、お風呂に入った途端、卒倒してしまいました。
この時点では、福島の原発事故についての報道が少しはありましたが、大津波による惨状が余りにも酷すぎて、トップ記事ではありませんでした。
いつ、どのくらいの量で、どの範囲に、放射性物質が飛散したのか、正しい報道は無かったのです。
ところが、あれから数ヶ月経った現在、政府発表では、あの3月11日に福島第一原発が爆発し、同時に天文学的な量の放射性物質が拡散していたのです。
それも東北を中心に、かなり遠方まで飛散していた事実を公表したのでした。
家族やスタッフは、私のように、身体の不調を訴えなかったのですが、小生は放射能に感受性が高かったのかも知れません。
開業して40年間、体調を崩して休診したのは、ただの一度も無かったのです。
その私が体調を崩した本当の原因は、水素爆発によって漏れ出た放射性物質を浴びた事によるのではないかと、勝手に推測しています。
あの3月11日と12日に、想像以上に遠くまで、放射性物質が飛んだのではないかと、専門家が解説していました。
その後、人体に影響が無いほどに、放射性物質は減少したとの事です。
水素爆発した日に、大量の放射性物質が飛散した事を、当時、政府や東電は把握していたと、後(のち)の報道で明らかになっています。
何故、その時すぐに、放射能漏れを国民に教えて呉れなかったのでしょうか。
正しく発表していれば、福島原発付近の住民は放射能を浴びずに済んだでしょうし、家畜も、放射能に汚染された藁を食べずに済んだのではないでしょうか。
小生の事はどうでも良いのですが、関東、東北のお子さん達が、本当に心配です。

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