院長と独り言 17 ; 歴史を善と悪に仕分けしないで…
新年、明けましておめでとうございます。
毎年元旦に、靖国神社に初詣に行くことにしています。
行きはじめは、いつもの様に日本が敗戦した8月15日に、ある首相が靖国にお参りに行く行かないで、大変な話題になっていたある年です。
私の親族に軍人の犠牲者がいなかった事もあり、お墓参りは自分達のご先祖の霊に感謝を込めて、年2回毎年、家族で花などを手向けていますが、それがある年、靖国神社が気になり、夏のお盆休みにお参りに行きました。
盛夏の靖国神社は少しひんやりしていて、伊勢神宮や明治神宮と比べると小じんまりとし、むしろ素朴で清潔な神社といった様子で、軍国主義の象徴のようにマスコミで騒がれている事が不思議に思えました。
本殿にお参りした後、遊就館(戦争に関する色々な資料が展示されている場所)に入って、本当に心から驚きました。
私も戦争の頃、4~5歳でしたので、少しは空襲や疎開の記憶が残っています。
疎開中はひもじい思いを常にしていました。
今時の若い人に理解出来ないでしょうが、食べられない空腹の辛さ程、きついものは有りません。
ここに来るまでは、私も戦争の犠牲者のはしくれであると思っていました…。
ところがこの資料館に来て展示物を拝見し、自分自身が本当に恥ずかしく、そして気が沈みました。
特攻隊や、陸軍、海軍の軍人さんや看護師さん等が家族に書き残している遺書を読んだ時、人前でしたが自然と涙がでてきました。
なにしろ、殆ど20歳前後の若者で、彼らの遺した日記や手紙、遺書を読むと、その内容が悲しくて辛くて愕然としたからでした。
しかも、これらは夫々、美しい文字で書かれていて、これから死地に赴くとは到底思えない程、冷静に淡々と書かれているのです。それらの美しい文を読むと、一層の悲壮感が湧いてきます。
無限の可能性を秘めた未来があった若者たちの御冥福を心より祈られずにおられません。
誰が靖国神社のことを『軍国主義の象徴』などと言ってるのでしようか?
私はまったく逆に感じ、このような青年たちを多数犠牲にするような戦争を二度としてはならないと心から思いました。そして、この神社は『軍国主義の象徴』ではなく、平和の象徴であると心底から感じました。
靖国神社に日本人だけでなく世界中の人に来て頂き、そして参拝し、遊就館を是非見て貰い、世界中が戦争の無い世の中になってほしいと心から祈念しています。
我々の代表である日本の首相が最低年に一度は靖国神社に参拝に行き、犠牲になった英霊に心よりお参りしてほしいと願って止みません。
いま我々は将来のある青年の犠牲の上に在るという事を心より感じ、私は毎年元旦に参拝しています。
いわゆるA級戦犯の存在を理由に、お参りしないのは良くない事だと、遊就館に遺されたものを観た今は、感じている次第です。いろいろ理由はあるのでしょうが、戦勝国が一方的に裁いたA級戦犯なる方々も、同じく、日本の為に働いた今は亡き魂の一つなのですから…。
この神社を『軍国主義の象徴である』と言ってる人は、きっと、遊就館を見ていない人なのでしょう。