院長の独り言 238 ; 過去の記憶

現在、私は72歳です。
72歳になってみて月並みな感想ですが、アッと言う間の72年間であり、同時に、本当に月日が経つのは早いと思います。
記憶として残っている自分は、4歳の時に親父に連れられて、兄貴とトンボを獲りに行った時の情景です。
それ以前の記憶は、全くと言って良いほど、思い出せません。
3歳の話ですが、『お前は疫痢で一回死んだんだよ…』と私が成人になった時に、お袋に言われた事があるのですが、そんなに大変な事になったと云う記憶は、自分にはありません(院長の独り言 110;『疫痢で命を落としそうになったあの日…』を参照してください)。
トンボ獲りの事が、今でも記憶に残っている一番古い思い出なのです。
親父が必死にトンボを追いかけて、捕虫網で捕まえてくれた光景を、今でも鮮明に思い出す事が出来るのです。
これが4歳の夏です。
不思議な事に、それより以前の記憶は全く憶えていないのです。
自分の意識の誕生は、この4歳の時だと思っています。
その後で記憶に残っているのが、ブログで何度も触れている戦争で疎開した一連の出来事です。
その時はもう5歳になっていました。
母方の祖母と一緒に、岐阜に疎開したのですが、両親から離れて生活したのは、この時が勿論、初めてでした。
煙モクモクの汽車に乗った事。
降るような星々を散りばめた夜空。
敵機の空襲で真っ暗な空が真っ赤に染まった事。
何も食べられず、ヒモジイ思い。
栄養失調になって、ガリガリに痩せてしまった私を見た両親の涙顔。
縦に大揺れした地震。
戦争に負けて焼け野原になった東京など色々な事。
などなどを、今でも鮮明に思い出す事ができます。
6歳になって、小学校に入学した後の記憶は、皆さんと同じでしょうが、学校での出来事を中心に、ぽろぽろと思い出します。
それから60歳頃までは、手帳など必要ないほど記憶力は抜群でした。
社会で起きた、種々な事件も、よく覚えています。
ところが70歳を超えてきたこの頃は、ちょっとした事でも忘れてしまいます。
自分でも焦ってしまうほどに、記憶力が衰えてきました。
記憶は、海馬や大脳皮質で掌(つかさど)っていると言われています。
海馬や大脳皮質を鍛えれば、記憶力は増大すると脳科学者が提唱していますが、どのようにその部位を鍛えたものか、皆目、見当がつきません。
良く言われているのは、物事に感動しなさいとか、色々な事に興味を示しなさいとか、外に出て友達と交際したり、運動をしなさいなどです。
確かに、最近の私は、何事に対しても、心騒ぐ感動が無くなってきたのは、嫌でも認めざるを得ません。
何とか、この気持ちを打破しようと、ゴルフをしたり、本を読んだり、旅行に行ったり、自分なりに努力はしているつもりです。
絵画展などには出来るだけ出掛けるようにして、自力で野次馬精神を駆り立てるのは、勿論です。
元気で長生きしている患者さんに皆さん共通しているのは、外向きに生きている事で、なおかつ、常に楽しそうに生活している人たちです。
小生もそのように頑張っている人を模範にして、前向きに元気に生きていこうと思ってはいるのですが、中々…。

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