院長の独り言 239 ; 上野の写楽展を訪れる予定です

上野の国立博物館で、写楽特別展が開催されています。
私は写楽ファンなので、その事を知っている患者のKさんが、なんと、その入場券をプレゼントしてくれたのです!
Kさん、本当に有難うございます。
ネットの情報によると、東日本大震災の為に、一か月ほど開催時期がズレたようです。
ここにも地震の影響が出てしまいました…。
皆さんご存知のように、写楽の役者絵は大変、ユニークです。
写楽以外の浮世絵師は、当時の人気歌舞伎役者の顔を、美男美女に描き込んでいます。
ところが、写楽は、描いている役者の顔を、決して綺麗には描きません。
年相応に、口元に深い皺(しわ)を入れたり、目を細く吊り上げたり、女形を美人には表現しませんし、男役でも鼻を異常に大きくしたり、寄り眼に描いたりしています。
もし写楽が存在しなかったら、動きのない役者絵ばかりで、生き生きとした動きのある、江戸時代の歌舞伎を想像する事が出来ず、大げさに言えば、現代の歌舞伎の人気も半減していたかも知れません。
写楽は人気者なので、この浮世絵師に関する文献は、今日まで多数出版されています。
写楽が突然、現れたのは、天明飢饉の後で、今風で言えば、デフレもいいところ、大不況の真っ只中の寛政6年5月です。
当時、大変、景気が悪く、庶民は歌舞伎を見物するどころではなかったと思われます。
そこへ突如、例の大首絵が一気に沢山、売り出されたのです(なんと28枚!)。
その表情は、今までの役者絵からは全く想像もできないほど、異質な顔をしたものでした。
江戸の人々は、さぞかし驚いた事でしょう。
それまでの役者絵は、男役は男前、女形は美人に描かれていますが、動きに乏しく、お人形のようでした。
そこへ表情豊かな写楽絵が、世に出てきた訳です。
浮世絵図は、現在で言えばスターのブロマイド、そのブロマイドをワザと変な表情にしたら、ファンはどう思うでしょうか。
版元であった蔦谷重三郎は随分、大胆な事をしたものです。
それもプロの浮世絵師ではなく、素人である阿波の能役者 斎藤十郎兵衛(東洲斎写楽)に描かせたのですから、二重にビックリと云う事になります。
寛永6年5月に突如世に出てきた写楽は、約10カ月後にまた、突如消えてしまいました。
余談ですが、写楽が何者であるか、今もって、謎とされています。
あまりにも突然、世に出てきて、あまりにも突然に消えてしまったので、その正体について、謎が謎を呼ぶ事になったのでしょう。
喜多川歌麿、葛飾北斎、谷文晁など、同時代に活躍した錚錚(そうそう)たるメンバーが、その候補に挙がっていますが、研究の結果、一応、能役者の斎藤十郎兵衛で決着しています。
写楽の活躍した、わずか約10カ月間を、画風によって4期に別けて説明されています。
なぜなら、あまりに絵の描き方が変化しているからです。
第1期の写楽と言えば、なんと云っても大首絵!
アッと言わせた役者絵28枚で、歌舞伎の5月興業を描いた浮世絵です。
第2期は、大首絵に下半身を描いたもので、所謂、役者の全身姿図です。
これは8月興業を描いているのです。
第3期、第4期は、役者の周りの背景を描き入れています。
そして、後半の第3期と4期に描いたものは、前半の第1期と2期のそれと比較すると、全く筆力が衰えているのです。
特に第4期は、写楽の絵ではないのではないかと言われるくらいに、衰えています。
ここで、『写楽は消えた!』と評価されるのも、当然と言えるのです。
要するに、写楽絵の真骨頂は、わずか10カ月間の前半に描いたものと云う事です。
写楽展
(次回に続く)

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