院長の独り言 222 ; 青い文字盤の時計と親父の思い出

私が自分の腕時計を持つ事が出来たのは、大学生に入学した時に、お祝いとして親からプレゼントして貰った、シチズン社製の青い文字盤をした時計が始めてでした。
今時は小学生でも、腕時計の一つや二つ持っているのは当り前で、更には携帯電話を持っているのが当然の世の中です。
70歳を超えるまでの間に、自分で買った腕時計は5本ですが、中でも一番大切にして、書斎の机の奥に、大切に仕舞い込んでいる時計が、その青の文字盤の時計です。
時計を貰った時の感激は、今でも鮮明に覚えています…。
親父が『入学、おめでとう!』とニコニコと笑いながら、リボン付きの小箱を渡して呉れたのです。
傍にいたお袋が『開けてごらん』と促したので、照れもあってか、乱暴にリボンを引っ張って小箱を開けたのです。
当時、家計が苦しかったのは、普段の生活で充分に理解出来ていたので、勿論、腕時計を入学祝いに貰えるなんて夢にも思ってもいなかったのです。
大学に通わせて貰うだけでも、感謝、感謝でした。
だいたい、プレゼントなんか親から貰った事は無かったので、その行為だけでビックリでした。
自分の腕時計が持てただけで、本当に嬉しくて、嬉しくて、お風呂に入る以外は寝ている時も、肌身離さず身に着けていたものです。
大学に入ってからは、様々なアルバイトをして、両親から小遣いを一切、貰いませんでしたが、自分で稼いだ小遣いとは云へ、タバコを吸ったり、ハイボールを飲んだりしている息子を、親はどう見ていたのでしょうか。
さぞ、『馬鹿息子!』と思っていた事でしょう。
大学生になってからは、親父からも、お袋からも、私生活について小言を言われる事は全くありませんでした。
高校生の時までは、親父は何かに付けて説教しましたが、大学生になった途端、怒る事が一切、無くなってしまったのです。
『大学生はもう大人だから…』が、親父の口癖でした。
小生も、一人前の男になった気分がしたものです。
その親父も、およそ20年前に亡くなりました。
今回の大震災で、東北地方の壊滅した街々を見て、親父が関東大震災の話をして呉れた事を思い出しました。
親父が大学3年生の時に、実家の在る新潟から上京する上越線の車内で、地震に遭遇したとの事でした。
幸いにも、高崎を出た直後に地震が起きたそうで、『もし東京の下宿に戻っていたら、生きていたかどうか分からなかった』と話していました。
電車が止まってしまい、やっと、二日後に上野に着いたそうですが、その時、車窓から見た東京の惨状は大変なもので、目を覆いたくなる程だったそうです。
今回の大津波の惨状と違い、関東大震災は火事による東京の壊滅でした。
お袋は、まだ幼すぎていたので、余りハッキリした記憶は無かったけれど、火事から逃げる為に、船に乗って東京湾に出たそうです。
その後、親父の話によると、日本は大不景気になってしまい、卒業後の就職には大変、苦労したと述懐していました。
東日本大震災の後も大不景気にならないように、日本国あげて頑張らないと、大変な事になり兼ねません。
歴史は繰り返す。
小生は、増税だけは絶対に避けるべきだと思うのですが…。

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