院長の独り言 221 ; 老眼鏡は大のお友達

自分は小学校、中学校、高校、大学と学生時代の全て、視力検査で視力2.5を保っていました。
小さい字でも、遠くの星でも、何でも良く見えてしまうので、目の悪い友人の気持ちが理解出来ませんでした。
眼鏡を掛けている人が不思議なくらいに感じていたのです。
何しろ、2.5の視力のお陰で、遠くでも、近くでも、本当に良く見えるのです。
お月様のゴツゴツしているクレーターも、裸眼で結構、良く観察出来ていた事を思い出します。
それに加えて、色彩や立体感覚も、目に関しては、自信があったのです。
歯科医になってから思うのですが、内科、耳鼻科、外科などの医療の実践には、目が非常に大切な事は分かっていますが、歯科の治療では特に重要なのです。
前歯は咬み切るだけで無く、審美的な面でも大切です。
外見にマッチした綺麗な歯は、その人柄まで良く見せます。
微妙な歯の色を出すには、色に対する眼力が欠かせません。
幸い小生の目は、暗い口の中も隅々まで良く観察出来る眼力があります。
当然ですが、この目の性能は、親から貰ったもので、後天的な努力は全く関係ありません。
色でも、例えば青色は一寸した薄い青や暗い青など、微妙な違いでも鮮明に分かります。
歯科医になってみて、目に関してどれだけ親に感謝した事でしょうか。
技工士には、個々の歯の微妙な色の違いにうるさいくらい注文をつけるので、嫌がられていますが…。
還暦を迎えるまでは、眼鏡のお世話になった事は、幸いにも無かったのです。
ところが、60歳を超えた途端、治療をしている時に、何となく近い場所がぼやけるようになってきたのです。
最初は疲れ目かなとも思って、目薬を点してみたのですが、その効果は全くありません。
(ひょっとして老眼になったのではないか?)と内心、ドキッとしたものです。
老眼を掛けて新聞を読んでいる時、上目使いに小生を見ていた親父の姿が、思い出されます。
毎日の治療に差し障りが出てきたので、止むを得ず、眼鏡屋さんで検査を受けた結果、正真正銘の老眼であると宣言されてしまいました。
ガッカリですが、急に老けた自分を感じました。
今まで眼鏡を掛けた自分の顔を見た事が無かったので、鏡に写った眼鏡を掛けた自分の顔を初めて見た時は、見知らぬ赤の他人の顔を見ているようで不思議でした。
それから、約10年経った現在、眼鏡は大の親友になっています。
老眼鏡が無いと治療も出来ませんし、新聞も読めません。
ただし、遠くは裸眼で今でも良く見えているから、本当に面白いものですね。

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