院長の独り言 104 ; むかしむかしのお正月
昨日、お正月の夢を見たのです。
夢の中では突飛で可笑しな状況が展開するので、ビックリする事が多々あります。
こんな夏に季節外れのお正月の夢を見るなんて小生の頭の中は一体どうなっているのですかね…。
その上、昨夜の夢の中では自分がまだ小学生だったのです。
眼が醒めてからも、いやにハッキリ覚えています。
夢の中の事ですが、親父とお袋の若くて元気な姿に久しぶりに会えたので嬉しくなりました。
ついでに、その当時のお正月の事を少々思い出しました。
我が家のお祖父さんの代からの仕来りで、元旦の朝、家族全員食卓を囲み、親父が去年一年間の家族の無事と、今年も各自健康に留意するように訓示をした後、お袋の作った石川家独特のお雑煮を食べるのです。
新しい年を迎えるにあたって、まずお雑煮に入れるお餅の準備を始めます。
その為に毎年12月30日にはお餅をついていました。
親父の弟一家と一緒にお餅をついていたのです。
お袋と叔母さんがもち米を沢山蒸かし、親父と伯父さんが代わる代わるつくのです。
我々子供連中はその周りで歓声を上げながら見ている訳です。
お餅がつき上がると、つきたてのお餅を我々は小さく丸めて、口一杯に頬張るのが毎年の楽しみでした。
砂糖や醤油をつけて、ムチムチ出来立ての柔らかいお餅を、皆で食べるのは子供にとって、それはそれは楽しいひと時だったのです。
沢山お餅が出来るので、近所にお裾分けするのは勿論の事です。
近所の人たちも餅つきをニコニコして、遠まきにして見ていて、時には若い力自慢のお兄ちゃんが餅をつくのを手伝って呉れたものです。
そうこうして、やがて大晦日になると、今度は何処の家でも大掃除をするのです。
石川家も親父、お袋、そして、我々子供も総動員でやりました。
一年の裡で、障子を滅茶苦茶に破いても良い唯一の日だったので、我々兄弟は障子を破りまくって、手伝いと云うよりは両親の掃除を邪魔しているようなものであったかも知れません。
いつも厳しい親父もおどけて一緒になってバリバリ破いて、お袋に注意を受けていました。
障子をマッサラにすると、いよいよ明日はお正月だなと緊張したものです。
神棚、そして、母の実家がお寺さんと云う事もあって、小さい我が家に不似合いなほど大きな仏壇をまず綺麗に掃除をし、その後、台所や居間などを片付けるのです。
最後に神棚や玄関などにお飾りを仕立て、新しい年を迎える準備が整います。
大掃除の疲れを吹き飛ばす為に、夕食はすき焼きを食べる慣わしでした。
そして新年を迎えて、12月30日に皆でついた出来たてのお餅の入ったお雑煮を食べると云う段取りです。
また、お正月の楽しみで忘れられないのは、お年玉です。
小額でしたが、それでも嬉しかったものです。
60年前のお正月は今と違って、元旦から七日までは、一切、お店は商売をしていませんでした。
従って、大晦日までに一週間分の食料を買い込んでおかないと、それこそ喰い逸れてしまうのです。
前日の大晦日までは大変な喧騒の中で、近所の商店街も、丁度、現在の御徒町の様に大勢の人でごった返していたのが、元旦を迎えると嘘のような静けさです。
シーンと街全体が静まり返ります。
大晦日と元旦の違いは喧騒と静寂、そのギャップは全く感嘆に値します!
現在では絶対経験出来ません。
『新しい年を迎えたのだ…』と、子供ながらに再び、神妙な気持ちになったものです。
靖国神社、明治神宮など神社だけが対照的に、初詣をする人達で大賑いですが、勿論、デパートも休業していました。
今は元旦からファミリーレストランでもコンビニでも何処でも商売をしています。
大晦日も正月も、普段の日と殆ど変りません。
昨夜、60年前のお正月の夢を見て、あの静かなお正月を懐かしく思ったのでした。