院長の独り言 67 ; マイカー時代の到来
私は26歳の時に、自動車の免許を取得しました。
免許を取った一年前頃から日本にも、大衆車ブームの到来の予感がしていたのです。
そこで私も、免許を何とか取ろうと複数のアルバイトをして頑張り、自動車教習所に通いました。
まだ、大学院の学生の時でした。
今は知りませんが、当時の教習所の教官は大変厳しく、『車は場合によっては人を殺す凶器にもなる!』に始まり、『遊園地のおもちゃと違うぞ!』が口癖で、仮免まで進むのが大変でした。
仮免で初めて、一般の道路を運転した時はオーバーの話ではなく、手足がガクガク震えました。
今でも仮免で練習している車に出合った時は、当時を思い出して、驚かさない様に注意して運転しています。
予想通り、マイカーブームが到来しました。
しかし、自家用として走っている車は、スバルや三菱360など、小さい車ばかりでした。
それでも、当時の我が国の収入から考えると、個人で持つ事は殆ど無理で、乗用車はあまり見かけませんでした。
走っているのは営業用のダイハツの軽三輪か、トラックか、進駐軍の兵隊とその家族が運転しているデカイ大型のアメ車でした。
昭和41年(1966年)にトヨタがカローラ、日産はサニーを発表したのです。
この年が、日本のマイカー元年と云われている記念すべき年なのです。
小生が免許を取得した年が、まさに昭和41年、この年でした。
三種の神器、自家用車、カラーテレビ、クーラーが買いたい物の代表として、新聞、テレビに毎日のように大きく宣伝され出したのでした。
いくら車が大衆化しても、勿論、自分の当時の立場では残念ながら車を買う事は出来ませんでした。
自分で車が持てるようになったのが、八王子で開業して3年目の年でした。
大学院の学生の時に、夜、アルバイトをしていた歯科医院に頻繁に顔を出していたトヨタの営業マンとの繋がりで、最初に購入したマイカーは、忘れもしないピカピカの『コロナ』です。
今から思うと少し興奮していたのでしょう。
車の色ですが、『真っ赤か』の派手なセダンにしてしまい、冷静になってみると、もっとシックな大人の色にすれば良かったと後悔したものです…。
当時は、道は空いていたのですが、まだ運転する人も歩いている人も、車と云うものに慣れていない為、全員が交通マナーが滅茶苦茶で、小生も、今から思うと、よく事故を起こさなかったものだと胸を撫で下ろしているような次第です。
現在も近場の移動は自動車の運転で楽しんでいますが、若い頃と違い、遠出をするのは自動車では億劫になってしまい、大いに、電車など公共の交通機関を利用している今日この頃です。