院長の独り言 66 ; 本当の信頼関係が出来るまで
前回に親の話を語った次いでにと、このブログに書くのも何ですが、今回は親父の父親、つまり、私の父方の祖父(以下、おじいちゃん)と親父の母親、私の父方の祖母(おばあちゃん)について少々書いてみます。
お袋の話によると、おじいちゃんは宮大工でした。
素晴らしい大工の腕をしていたそうで、家宝とはオーバーですが、祖父の作った飾棚が小生が結婚する頃までは親父のうちに飾ってありました。
今は確か、兄貴のうちに有るはずです。
小生が2歳の時に亡くなっているので、おじいちゃんに関する記憶は全く有りません。
自分の母は、その当時として当然の事ですが、お見合いで父と一緒になっています。
若くして嫁ぎ、おまけに、親父の両親と同居と云う事で、結婚当初の話を母から聞くと、大変な気苦労があり、精神的にも辛い状況であったとのことです。
私が中学生になった頃に、母が良く話していました。
『私が嫁いで来て、何とか我慢が出来たのは、お前たち子供がいた事と、もう一つ、おじいちゃんが優しくして呉れたから…』だと、しみじみ言っていました。
結婚して数年間は、実家に帰ろうと、何度思ったか勘定出来ない程だったそうです。
その度に、実家の母に説得されて我慢したとの事です。
母の『実家の母』とは、例の『お寺のおばあちゃん』です。
色々な小説で『お姑さんは意地悪の代表』として書かれているように、ご多分に洩れず、母はかなりイビラレたとの事です。
お姑さん(私の父方の祖母)は明治前半の生まれの人ですから、其の頃の社会風潮を考えれば、イビる事も多々あったかも知れません。
お姑さんにしてみれば、イビっているのでは無く、躾と思っていたのかもしれません。
そして、いつも味方になって、母をかばって呉れたのがおじいちゃん(私の父方の祖父)だったのです。
宮大工だけあって、何に対しても毅然とした態度で対処するので、流石のおばあちゃん(私の父方の祖母)もおじいちゃんに睨まれると、黙ってしまったそうです。
そのおじいちゃんが『人間、一生のうち、誰でも死にたいほど辛い事が3回、本当にツイテいると思う時が3回巡って来る』から、『辛い時は耐えていれば、必ず良い事が巡って来る』と、母を良く慰めたそうです。
『クヨクヨしないで頑張るようにと、励ましてくれたおかげで、どうにかやって来れた』と、母は遠くを見る目で言っていました。
おじいちゃんは、70歳になる少し前に亡くなりました。
一方、母をイビっていたおばあちゃんはと云うと、晩年は母の事を『ねえちゃん、姉ちゃん』と言って、自分の子供である親父より信頼するようになり、何でも母に相談するし、母の云いなりになって、大変、物分かりの良いおばあちゃんに変身してしまいました。
おばあちゃんの変身した姿は小生も目撃しています。
人が人を信頼するには長い時間が本当に必要ですが、心の底から信頼されてしまうと、その信頼に応えざるを得ない気持ちになるそうで、『イビラレた事も忘れてしまった…』と、母は笑っていました。