院長の独り言 65 ; 昔の子育て術を参考にしてみれば…

私の両親は、明治生まれの父、大正生まれの母です。

既に10年以上前に、二人とも亡くなっています。

親父は真面目で几帳面でしたが、絵に書いたような頑固な人でした。

母は典型的な専業主婦で、家事一切を切り盛りしていて、父も母を心から信頼していました。

給料は封を切らず毎月きちんと渡していましたし、子育て全てを母に一任していましたが、たまの親父の雷は凄まじいもので、『地震 雷 火事 親父』の怖さがあって、我々子供たちは、親父に怒られないように、酷い悪さをしないように、また他の人に迷惑をかけないように、常日頃から訓練されていたのです。

今考えてみると、多分、子育てに関しては、両親で良く相談していたのだと思います。

怒り役が親父だったのでしょう。

『悪い事をすると、お父さんに言いつけるよ!』と、我々悪ガキの息子達は、母に、日常的にプレッシャーを掛けられていました。

子供の前では、常に母は父を立てていました。

しかし、子供の見えないところでは、結構、母は父に自己主張して、我儘を言っていたきらいがあったと今は思うのです。

趣味の三味線も嬉しそうにやっていましたし、友達の奥さん連を家に呼んで、騒ぎ楽しんでいました。

母は子育てに、大いに怖い親父を利用したのです。

勿論、父と相談ずくで…。

父も仕事が忙しすぎて、家庭の事は母に全面的に頼っていたのも事実だったのでしょう。

おかげで、4人の息子は道を大きく逸れずに、何とか大人になれたのです。

母は、内心してやったりと思っていたはずです。

若い母さん達にちょっと意見ですが、子育ての時期は、父親を絶対的に怖い存在にして、子供の前で亭主を馬鹿にするような態度はユメユメとらないように注意すべきです。

父親を子供の前では怖い存在にする事が、子育てのコツですヨ。

要らぬお節介ですかネ。

表向き、我が家は、『ワンマン親父の石川家』でした。

母は、そのように世間から見られていたのは、自分の演技がうまいからだと納得していたと思います。

親父が仕事を引退した後、頻繁に、家内が両親の様子を見がてら、二人の子供をお供に私の実家に行っていました。

お袋は孫たちに対して、いつもニコニコ接していて『お婆ちゃん、お婆ちゃん』と人気者で、親父はその傍で嬉しそうにその光景を満足そうに見ていました。

親の事を言うのも何ですが、両親は基本的には、仲の好い、お似合いの夫婦だったと思います。

春秋のお彼岸には、我々夫婦と子供たちとお墓参りに行き、両親を思い出しながら手を合わせています。

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