院長の独り言 231 ; 京都旅行(その五)

清水寺正門の真っ赤な仁王門の前の門前通りが『清水坂』で、小物や土産物などを売る老舗のお店が、路の左右にギッシリと並んでいます。
赤門

如何にも京都らしい、風情のある坂道です。
清水寺赤門
暫く清水坂を下り、右に折れると『産寧坂』。
さらに産寧坂から『高台寺』に至る石畳の坂道が『二年坂』です。
二年坂の前の車道を渡って、高台寺の境内に入ります。
高台寺門
高台寺は、秀吉の妻のねねが、夫である豊臣秀吉の冥福を祈って創建し、ねね自身、晩年を過ごしたお寺です。
高台寺を自分の終の棲家として暮らしたのです。
そして、高台寺の中心の霊廟に、秀吉とねねの像が安置されています。
その像の下が、ねねのお墓だそうです。
この霊廟の左右の襖絵(ふすまえ)は、長谷川等伯の書いた墨絵です。
等伯と云えば、東京国立博物館に展示されている国宝『松林図屏風』が有名です。
あの幻想的な屏風絵は記念切手にもなっているので、皆さんも本などで一度は見ている事と思います。
実に不思議な絵で、墨の濃淡のみで松林に流れる霧の流れを、写実的に表現し得ているのです。
接近して観ると、少々、粗雑にも感じる、荒々しい筆使いですが、少し離れると、実に緻密な風景画が存在するのです。
長谷川等伯は、狩野派の代表的画人 狩野永徳らと並ぶ、安土桃山時代の最も有名な絵師の一人です。
等伯は、秀吉のみならず、家康にも愛され、江戸時代初期まで活躍しました。
また、秀吉が『お茶』をこよなく愛していた事は、有名です。
千利休が秀吉の依頼で、伏見城境内に茶席として、傘亭と時雨亭を創り、秀吉はそこで親しい人を招待してお茶会を楽しんでいたと云われています。
傘を拡げた独特な形をした屋根の傘亭。
時雨亭は茶席としては、大変、珍しい二階屋です。
ねねは、その傘亭と時雨亭を、亡き夫である秀吉の為に、伏見城から高台寺にわざわざ移築したのです。
高台寺のお庭はと云うと、龍安寺の石庭とはまた趣を異にし、お茶会にはドンピシャです。
高台寺庭
多分、ねねはお茶を愛した秀吉の為に、死後、高台寺を創建したのでしょう。
高台寺は、現代でも安土桃山時代の名庭として、大変、人気があるのです。
夜になると、高台寺全体がライトアップされているのだそうです。
今度、京都に行く機会があったら、是非、夜にライトアップされた、この名庭を楽しみたいと思います。
ここで、お昼御飯です。
予約していた京懐石を楽しみました。
京懐石
京懐石2
(次回に続く)

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