院長の独り言 211 ; 『自分史』へのいざない

最近、ある年齢に達すると、自分の過去を振り返って『自分の歩み』、所謂『自分史』を記録に残す人達がいると聞きます。
当初、このブログを書こうと思った理由は、そこにあったのです。
しかし自分史を時系列順に書こうとすると、記憶が今一、ハッキリしない事が多いのです。
実際、体験した出来事は小さな事でも、意外と鮮明に覚えているのです。
ところが自分としては、その出来事が10年前だったのか、20年前だったのか、時間の記憶がアヤフヤになってしまっているのです。
時間の関係を正確に記述しようとすると、何も書けなくなってしまいます…。
そこで、時間に関しては少し前後しても、情景は出来るだけ正確に、事実に基づいて、思い出した順に書いて行こうと思った次第です。
20年前の話になったり、50年前の話に戻ったり、つい最近の話を書いたりで、時の順序は滅茶苦茶になっていますが、出来るだけ正確に書いています。
自分としては、切りのいいところで読み易い様に修正して、一冊の本に纏めたい(まとめたい)と思っています。
そして、ブログを書いてみて思ったのです。
自分の人生は平々凡々だと思っていたのですが、結構、色々と体験しているのには、正直、自分でも驚いているのです。
これは70歳を超えるほど、長生きしたと云う事でしょうか。
例えば、体型だけの『自分史』を思い出しても、4歳の時は、自分で言うのも何ですが、結構、食事を充分食べさせて貰っていたので、ふくよかな感じだったのです。
ところが6歳頃には、ガリガリに痩せてしまって、同じ人間とは思えない程の大変化です。
戦争で疎開した時、疎開先では殆ど食べる事が出来なかったからです。
戦争の恐ろしさを幼児で体験してしまい、何時も、その事が自分の人生の『トラウマ』になってしまっているのです。
幼児の時に、栄養失調寸前にまでなってしまい、食事のとれない辛さ、爆弾を逃れての防空壕生活など、不安に怯える辛い経験。
そんな経験から、いつの間にか、出された食べ物が幾ら美味しくなくても、たとえ満腹の時でも、食べ物を残す事が出来なくなり、恥ずかしい話ですが、みんな食べてしまいます。
また完全な焼け野原から、高層ビルの立ち並ぶ街へ大変身した戦後の日本。
戦争の後遺症から立ち直って好景気になり、まれに見るバブルの到来。
そして、そのバブルが無惨に弾けてデフレに…。
日本史史上で、一番の大変化の中で、私は生きて来たのかも知れません。
その激動の波に揉まれて、辛い事、楽しい事、頑張った事、悲しい事など、結構、自分なりに色々と体験しているのです。
人と接する歯科医師という職業を選択した事により、沢山の素晴らしい人達に出会う事も出来ました。
ブログを書いてみて、『自分史』の話題には事欠かないのでビックリします。
まさか、この歳になって、日本有史以来の大津波をテレビで目の当たりにするなんて言葉もありません。
この大災害から日本が立ち直ってくれる事を心より祈っています。
皆さんも、自分の過去を思い出して、是非、『自分史』に挑戦してみて下さい。

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