院長の独り言 102 ; 霧の中の写楽
前回のブログで珍しい浮世絵画を日本ではなく、フランスで観て驚いた話をしましたので、ついでに、もう少し浮世絵の話をしたいと思います。
安藤広重や喜多川歌麿は浮世絵師として大変有名ですが、東洲斎写楽はどうですか?
江戸後期の浮世絵師で、歌舞伎役者の肖像画を中心に10か月程度の短い期間に、約百四五十枚の浮世絵を書いて、忽然と消息を絶った人物です。
謎の浮世絵師と云われる所以です。
当然、生没年は不明で、写楽がどの様な浮世絵師だったのかも、はっきり分かっていません。
ただ描いた浮世絵が残っているのですから、実在していた事は確かです。
ドイツ人のある美術評論家がレンブランド、ベラスケスと並んで写楽を世界三大肖像画家の一人であると評した事で、大正時代に日本で急に脚光を浴びる事となったのです。
写楽がどのような人物なのか分からない為、後世の作家や学者などが色々推理をしています。
阿波の能役者、斉藤十郎兵衛が一番の候補者ですが、確定した訳では有りません。
当時の有名な浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川豊国、掛け軸などで有名な絵師の谷文晁、丸山応挙、作家の十返舎一九と云った江戸時代後期の現在でも名の通った颯爽たるメンバーが写楽の候補に上って、現在でも喧々諤々、写楽が誰なのか浮世絵ファンを中心に沢山の人が推理して楽しんでいるのです。
ところで、小生は写楽が誰なのかと云う事にはあまり関心を持っている訳では有りません。
以前から思っていたのですが、葛飾北斎の北斎に『あ』を一字加えると『あほくさい』となり、東洲斎写楽の写楽に『さい』を足すと『しゃらくさい』です。
写楽と云う人は、この北斎の『あほくさい』に呼応するように『しゃらくさい』と洒落て名乗ったので、本当の名前を名乗る事を避けたのではないでしょうか。
江戸の文化は粋(いき)の文化です。
余程、洒落っ気のある人物がその当時、浮世絵師として一番売れていた一人の葛飾北斎を鹹かって東洲斎写楽とふざけたのかも知れないと私もふざけてみました。
この話は私の作った戯言(たわごと)ですよ。
本気にしないで下さい。
そう云えば、モネの館にも沢山の浮世絵に混じって、写楽の浮世絵が展示されていたような気がします。
これだけ世界的に謎めいた楽しみを与える東洲斎写楽と云う人物、あの世で今頃笑っているのではないですか。