院長の独り言 89 ; わが徒然草
今回のブログは、思いの赴くままに書き連ねてみたいです。
皆さん、小生の発想に付いてきてくださいね。
まず、テレビで日原鍾乳洞を放送しているのを見て、また行きたくなりました。
この鍾乳洞は小学校の遠足以来で、確か、小学校5年生の時にバスで行ったと記憶しています。
東京近郊なのに、こんな大きくて、面白い洞窟があったのには、いたずら盛りの友達みんなで歓声を上げて走りまわって喜び、引率の先生に『こら!静かに!』と大目玉と注意を受けたほどです。
大学生の時は、山口県の秋吉台、秋芳洞に行き、そのスケールの大きい鍾乳洞にたまげたものでした。
しかし、鍾乳洞で一番驚いたのは岩手県に行った時、浄土ヶ浜の帰りに寄った龍泉洞です。
何と言っても、あまりにも青く澄んだ地下水が豊富に流れている光景は今でも目に焼き付いていて、本当に忘れ難いのです。
縄文時代の土器も沢山発掘されたそうで、美味しい天然の湧水も豊富、冬は暖かく、夏は涼しいし、外部からの敵の侵入も防げるこの洞窟は、当時の人々にとっては、素晴らしい豪邸だったと思います。
話は代わって『豪邸』と云えば、千葉県の昔からの由緒のある家の出身である先輩のうちに遊びに行った時、門だけで自分の新築した家より大きく広いのにびっくりするやら羨ましいやら。
そして住宅の方はと云うと、天井は高く、勿論、部屋の広さは大変なもので、おまけに、何部屋も有るのです。
小生が思わず『一生に一回でもこんな豪邸に住んでみたい』と言ったところ、先輩は本当に真顔になって『冗談じゃ無い!俺はもっと小さい小さい家に住みたい!』と言い放ったのです。
幾らなんでも、先輩の台詞は不遜すぎるのではないかとその時は思いました。
当時、間借り生活を脱して、建坪40坪程度の家を無理して建てたばかりの時だったのです。
夫婦と二人の子供、合わせて4人、チビ達も段々大きくなってきたので、思い切って建てたのです。
多額の借金を背負いこんでいたので、つい、先輩の言った事にカチンときたのでした。
ところが今、子供たちが巣立って行ってしまうと、40坪程度のうちでも、夫婦二人では広く感じるようになり、あの時、先輩が言っていた事が何となく理解出来るのです。
確かに、先輩の家は庭が千坪以上、建坪が優に150坪を超えるお城のような豪邸ですが、『お前、住んでみろ!』と実際に言われてみると、とても住む気になれません。
一寸考えただけでも、維持費は膨大に掛かるし、不用心ですし、掃除の事を思えばぞっとするし、最初は大きな庭に大きな家に住んで大喜びしていても、少し時間が経てば、精神的にも、肉体的にも大変な負担になるに違い有りません。
第一、家内がヘトヘトになるに決まっています。
先輩の奥さんは毎日全く『どないしていた?』のでしょうか。
やっぱり、子供も巣立ってしまったのですから、夫婦二人の終の住家は、20~30坪程度の小じんまりした家で、インターネットのある超合理的にした未来型の便利な家が一番かも知れません。
全てがスイッチ一つで用が足りるマンションが人気なのもよく理解出来ます。
そして、インターネットは確かに便利です。
一台、居間のPCに接続しておけば、世界中のニュースがたちどころに知る事ができるのです。
でも、余りにも、情報が直ちにしかも一遍に入り過ぎて、小生などは情報が入った途端にアッと云う間に忘れてしまいそうです。
前回のブログで書いたように、じっくり、ゆっくりと色々と体験しながら、生きていくのが良いのかも知れません。
やっぱり、今まで住み馴れてきた、思い出の詰まった古い我が家で『のんびり夫婦』でいきますか。