院長の独り言 90 ; 歯科医療今昔物語―無歯科医地区での治療―
小生が歯科医に成りたての頃は、歯科医の数が非常に少なかったのです。
都会でも歯科医は不足していましたが、特に地方の北海道や東北地方では、まだ歯科医のいない地区、いわゆる無歯科医村があちこちに存在していたのです。
大学院に在籍していた時、毎年、夏休みになると、岩手県のある無歯科医地区で奉仕活動の歯科治療を行っていたグループに、小生も参加していました。
その地区の生活事情は、大都会よりレベルが高そうで豊かに思えましたが、医療事情に関しては、都会よりかなり悪いのは明らかでした。
奉仕に行った地区はかなり広い範囲の地域でした。
昔ながらの聴診器を、いつも首から下げている内科のお医者さんが一人常駐していましたが、歯科医はいませんでした。
歯の治療を受けるには、50キロも先の中核都市に出なければならなかったのです。
急に歯が痛くなった時などは、まだ舗装もしていない細い山道を、地区にある希少な自動車で誰かが連れて行かなければならないのです。
深夜なら本当に大仕事です。
毎年の恒例になっている歯の治療を地区の人は、本当に心待ちにしていました。
歯科治療を成立させるには前提として、例の虫歯治療には欠かせない歯科用エンジン、虫歯を削除する時に出る熱を冷やす装置、抜歯するための一式の器具、そして色々な種類の薬品など…、かなりの設備を整えなければなりません。
春先から治療に行く担当医を決めて、少しずつ準備をしていくのです。
無歯科医地区への奉仕主旨を説明して製薬会社を周り、歯ブラシや抗生物質などを提供して貰ったり、歯科材料店から何がしかの寄付を仰いだりして活動資金を作るのです。
ドクター、歯科衛生士、そして歯学部と衛生士学校の学生、皆で総勢50名程で奉仕団の編成を組んで、いざ出陣です。
現地に着いた日の夜には、決まって地区の人が大勢で大歓迎会を開いてくれました。
岩手の人たちは噂の通り、アルコールには並はずれて強いので、その相手をするのが毎年大変で、我々診療を担当するドクターは程々にお付き合いをして、ウワバミ軍団の学生にお酒のお相手を任せていました。
小学校の講堂が仮設診療所となり、地区の女性の方々が色々な雑用を手伝って呉れました。
診療初日には、歯科治療を受けたいと云う人達の長い列が出来るのです。
お年寄りがお嫁さんに手を引いて貰いながら、グラグラになった歯の抜歯、入れ歯の調整、そして歯が痛いと言ってくれば神経処置を行うのです。
一番印象に残っているのは、5歳くらいの男の子の痛がっている乳歯の抜歯でした。
こちらがびっくりする程、麻酔も抜歯も大人しくさせた事です。
歯科医が近くにいないので、今、治療を受けないと大変な事になると小さいながら、まるで理解しているようです。
小学生、中学生などの子供たちも、礼儀正しく治療を受けていて、都会の子とは一味も二味も診療姿勢が違っていた事が印象的でした。
2週間の治療期間で、大変な数の患者さんを診て、其の後に小生の夏休みが始まるのでした。
今は昔の話です。
現在はその地区でも歯科医院は、充分過ぎるほど存在するようです。