院長の独り言 295 ; 沖縄のK君
大学院を卒業して、めでたく文部教官(助手)になった年に、歯学部を卒業して専攻生として保存科に入局してきた沖縄出身のK君。
真面目な好青年です。
保存科は、虫歯や歯周病に侵された歯を抜歯しないで、保存するのをテーゼとする臨床系講座です。
また専攻生とは、歯学部だけの勉強では物足りないので、2~3年間、臨床系の医局に残って、専門的な治療実技を身に付け、腕力を蓄えてから、病院に就職しようする人の為にある制度です。
専攻生になると、先輩が治療している脇について指導を受けながら、治療の腕を磨く事になります。
彼は入局して直ぐ私と仲良くなりました。
理由は私が囲碁を少々打っていたからです。
私の囲碁の腕は、アマチュア2段程度で、大した事ありません。
彼は囲碁を始めたばかりなので、腕はと云うとまあまあと云うか、正直、下手でした。
しかし、碁を打てば打つほど、あまり上手くない私に、『是非、囲碁を教えて欲しい!』と喰いついてきます。
2ヶ月もしてスッカリ親しくなった頃には、沖縄出身であるとか、父親が中学校の校長であるなど、少しずつ生い立ちを話し始めたのです。
私が診療や学生指導などで、一日の仕事を終えた後、待っていた彼と遅くまで医局で囲碁を打ちました。
『先生、もう一度!もう一度!』と何度も挑戦してきましたが、いつも私の勝ちでした。
私が教授の講義係をしていた関係上、しばらく経つと、K君も一緒に教授の話を聞くことになったのです。
学生の時にも受講した、教授の講義をあらためて聴いてみると、『今回は良く理解できます!』と感激していました。
囲碁は結局、発展途上でしたが、治療に関して、大いに腕を上げたのです。
数年後、K君は治療と研究に奮闘して、晴れて、助手(助教)に昇格しました。
また、その数年後、私は八王子市で歯科医院を開業し、彼は郷里の那覇市で開業したのです。
あまりに遠すぎて、その後、年賀状だけのお付き合いとなってしまいました…。
今から10年前、保存学会の会場で15年振りに、偶然、彼と再会しました。
大学の医局時代のK君と変わらず、本当に元気そうでした。
『先生、お久しぶり』と言って、私に抱きつかんばかりに駆け寄り、しっかりと両手を握り合いました。
一頻(ひとしき)り、沖縄での生活や診療の現状を話してくれた後に、『先生、あれから随分、碁を修行したので、是非、お手合わせ願います』と、大きな目を更に、目一杯開いて、私に挑戦状を叩き付けてきたのです。
私はと云えば、開業して以来、診療や歯科医師会の業務に忙しくて、囲碁どころでは無かったのです。
自信も無かったので、『またにしよう…』と逃げたのですが、『如何しても、一回打って、先生をギャフンと言わせたい!』とセガムので、結局、旅館でお手合わせする事になってしまいました。
偶然、同じ旅館に泊まっていたのです。
昔の同僚や顔なじみの先生たちが興味津々で、われわれの対戦を観戦しています。
果たして、結果はどうだったでしょうか?
結果は、医局時代の時と同じで、私のジャン勝ちでした。
K君、本当にシュンとしてしまい、気の毒としか言いようがなかったのでした。
『江戸の敵を長崎で…』とは、いかなかったのです。
小生の返り討ちです。
そのK君が、小脳出血で突然倒れてしまったと緊急連絡が入ったのです。
K君、頑張って再起して下さい。
回復を祈るのみです。
彼の人懐っこい、大きな目が、頭から離れません…。
K君、元気になって、また碁を打とうよ!今度は、こちらからの挑戦状だ!