院長の独り言 277 ; 宇宙と縁について
宇宙は無限に大きく、宇宙の事を考えると『人間の存在は余りにも小さい…』と言う人がいます。
しかし、私はそうは思いません。
私が高校生の頃、仲の良い友人数人と夏休みに、信州の高原へと一泊のキャンプ旅行を敢行しました。
旅行した日は本当に天気が良く、風もなく、月も出ていなかったので、夜になると辺りは真っ暗闇となりました。
テントを張った場所には、他に誰もいません。
キャンプと洒落込み、もっと他のグループがいるかと予想していたのですが、生憎、誰もいません。
真っ暗で静まり返っているので、熊か、あるいは幽霊でも出るのではないかと、全員、流石(さすが)に心細くなりました。
みんな空(から)元気を出して、小さなキャンプファイアーを作り、その周りで肩を組み、大きな歌声を張り上げて景気付けをしたのです。
かなり時間が経ち、火も消えると、墨を塗りたくったように、辺りは真っ暗で、友人の顔はおろか何も見えません。
シーンとして音ひとつしないのです。
皆な興奮から覚めて、ふと天を見上げると降る様な星空。
空一面が、大小の星で一杯です。
『スゲーなぁ~!!』
全員で歓声を上げて、首が痛くなるのも忘れ、しばし満天の星空を見上げていたのです。
この光景は、『降る様な星』と云う以外、表現の仕様がありません。
実感として、小生、あらためて星は無限に存在すると確信したのでした。
一つ前のブログに書きましたが、地球外に知的生物体の存在を思わせる根拠は、今のところ皆無です。
この満天の星空の中、地球以外に、生命の存在を証明する星は、今のところ何も有りません。
勿論、ウィルスなどの下等動物は存在するかも知れませんが…。
しかし、現在の科学では、そのような兆候も発見には至っていません。
多分に私見ですが、この無限の宇宙で、地球以外に命を育(はぐく)む星は無いでしょう(独善?)。
唯一の生物が存在するこの地球で、その上、知的生物体の人間は、あまりにも奇跡的存在と思えるのです。
人間がいなかったら、人間が小さい存在と考える人もいない訳ですから、『小さい存在』もへったくれも有りません。
考えてみれば、人間ほど大きな存在は、この宇宙で、他に存在しない事になるのでは無いでしょうか。
これも随分前のブログで触れましたが、一旦、死んだ生物は、当り前ですが、二度と命を宿りません。
いつも思うのですが、最初の命は宇宙の何処で、どの様にして授かったのか、本当に不思議ですね。
果たして、それがこの地球だったのでしょうか…。
『無から有』など、この宇宙がどんなに無限でも、二度と起きないと思っています。
そう考えると、家族は勿論、スタッフ、先輩、後輩、患者さん、ひと言でも話をした人は、気持ち悪いくらいの『縁』があったのだと、いつも思っています。
そして、その縁を大事にしたいのです。