院長の独り言 204 ; 人生で初めて、救急車で運ばれました…

小生、患者さんを清潔な診療を心がけているので、いつもの習慣で、起床したら直ぐにお風呂に入り、身体全体を念入りに洗い、心身共に気合を入れて、診療所に向かう事にしています。
ところが3月12日(土)早朝、お風呂から出てきたら、クラっと眩暈(めまい)がして、気持ちが悪くなったのです。
ここ二、三日間、東北関東大震災のあまりの悲惨さと、常に起こる余震、福島原発の放射能漏れの事故の報道で、睡眠不足も重なり、かつて若い頃に患った胃潰瘍が再発して、下血を起こしたのかと、咄嗟(とっさ)に感じたのです。
ソファーに腰を下して暫く様子をみました。
昔の胃潰瘍の時の大量出血体験では、顔面が蒼白になると同時に、手足がしびれてきたのですが、今回の症状はしびれが出なかったし、暫くして鏡を覗くと顔色も良くなってきたので、とりあえずは緊張と寝不足からくる脳貧血だろうと自分なりに判断したのです。
朝食は全く口にする気が起きず、熱いお茶だけすすって、いつも通りに息子の運転する車に乗り、気力を振り絞って診療所に向かいました。
少しばかりの体調の不調で、患者さんに迷惑をかける事は出来ません。
八王子は計画停電の第2グループに属しており、この日は午前中一杯が停電と云う事になっていました。
勿論、電気を必要とする道具ばかりの歯科医院は、午前中、閉院し、スタッフ皆で待機です。
結局、診療は午後1時から開始となり、まだ身体が少々、重苦しかったので、自分としては休む事が出来てホッとしていました。
食欲が全く出てこなかったので、お茶以外、昼食も摂りませんでした。
午後からの患者さんとの殆どの会話は、『被災者に何かできないか?』『これから日本は、一体どうなるのか?』『福島の原発事故が心配!』から始まります。
救いは、みなさんが比較的に冷静で、自分達の事より被災者の心配に重点を置いている事です。
あらためて日本人の優しさに感じ入った次第です。
そして午後3時頃、診療している最中に、突如、猛烈な吐き気を催してきたのです。
患者さんに事情を説明して、その後の診療は中断して、休む事にしました。
すでにいらっしゃっていた患者さんは息子が診療に当たりました。
他のドクターとスタッフの仕事が終わるのを待って、早目に帰宅させてもらう事にしたのです。
帰宅して、用意してくれていたお風呂に入り、出た途端、朝以上に眩暈がして、脳貧血を起こし、ひっくり返ってしまったのです。
丁度、居合せた息子が応急処置を施してくれている間に、家内が119番して救急車の手配をしてくれました。
それでも息子の言によると、数秒間、意識が混濁していたようです。
自力で立つ事は出来なかったのですが、しばらくすると意識が正常に戻ってきたので、脳梗塞や狭心症ではないと、自分ではひと安心。
5~6分間で救急車が到着しました。
救急隊員が『お名前は?』『住所は?』『生年月日は?』と矢継ぎ早に質問してきます。
隊員は私の意識レベルを確かめているのですが、家内が先に全てを答えてしまい、一同、苦笑する場面もありました。
家内とすれば必死だったのでしょう。
立川の病院で診察を受け、1時間半程度、糖分と電解質入りの点滴を受けた後、同伴した息子とタクシーで帰宅しました。
診断は『朝から食事を摂らず、しかも水分も殆ど摂らない事から、脱水と軽い胃腸炎を起こしている』ところに、『お風呂に長い間、入っていたので、脳貧血を起こしたのではないか』と言う事でした。
『処方した薬を飲んで、2~3日間、安静にしていれば大丈夫です!』と担当した、若いドクターは笑顔で答えてくれました。
初めて救急車に乗ってみて思ったのですが、まずは救急隊員の的確で、優しい応対に感心しました。
しかし、その素晴らしい隊員に反して、贅沢を言えば、救急車の乗り心地の悪いのにはビックリしました。
気持ちが悪かったので、もう数分間、乗っていたら、吐いてしまい車内を汚してしまうところでした。
この個人的な体験を通じて、インフラの重要さを改めて思い知りました…。
そして、この大震災をきっかけに、この際、われわれ国民皆は、国家と云う概念をいま一度、再考すべきだと思ったのです。
被災地からの報道によると、人のつながりが重要なのは勿論ですが、一番、復興に効果を発揮するのは、日頃、意識しない国家の実力でしょう。
その国家を支えているのは、われわれ国民ひとりひとりに他なりません。
われわれは決してパニックにならずに、被災地のインフラを支えるために、個人個人がなすべき役割を淡々と行うべきでしょう。
小生は養生し、今週早々に石川歯科に復帰します。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.