院長の独り言 181 ; 生まれ変わっても、再び歯科医師になりたい
患者さんから、『先生は何故、歯医者さんになったんですか?』と云う質問を受ける事が有ります。
戦時中に母方の祖母と2人で、岐阜の田舎に疎開していた事は、以前のブログで報告済みです。
両親や兄弟と東京で普通に暮らしていたのが、戦争が激しくなり、急遽、祖母と2人で知らない土地に避難する事になったと云う話です。
疎開した岐阜の親戚の家では、寂しいやら、不安やらで、シュンと小さくしていたのですが、周りの大人達の普段、見た事の無いような緊張した顔を見ていると、小さいながらワガママを言えない事は分かっていました。
夜は敵機の来襲を恐れて、ほとんど毎日、電気を消している様に言われていたので、真っ暗でした。
真っ暗な上に、寂しい思いをしていたのですが、唯一、その真っ暗闇にお星様だけが、宝石を散りばめたように、夜空一面に見事に見えていたのです。
橙色に光る星、白く輝く星、たまに流れ星。
何で星が輝いたり、流れたりするのか不思議でした。
将来、天文学者になって、もっと星の事を知りたいと思ったのは、疎開時の体験からきていたのです。
小学校の高学年の頃は、昆虫や魚、トカゲ、蛇などの生き物に夢中になっていて、将来、絶対に動物学者になろうと心に決めていました。
中学生になった時はプロ野球選手に憧れてはいましたが、自分には実力的に無理だと承知していたので、当時のスター、川上や青田の所属するジャイアンツ、藤村、真田の所属するタイガーズなどのスター選手のブロマイドを夢中で集めて、友達に得意になって見せていたのです。
小学校の女性担任に一寸、絵を褒められた上に、東京都絵画展の小学生の部で、金賞を貰った一人に選ばれて、のぼせ上がっていたので、中学時代は絵描きを夢見ていた時期も有りました。
高校の時はかなり現実的になってきて、父親が公務員であった事もあり、平凡に親と同じ職業になりたいと思っていたのです。
いよいよ大学受験を真剣に考えなければならない時期になった頃、どのような方面に進んだら良いのか悩んでいた時に、親父が『今、歯科医が不足しているそうだ…』と同僚からの情報を、私にアドバイスしてきたのです。
その時、母親も進めてくれた事もあり、私は素直ですから、親の言う事を聞いて歯科医師になったと云うことです。
ちなみにその頃、親類には歯科医師は一人もいませんでした。
歯学部に入ってみると、今まで経験して来た世界とは全く異なり、体験する事全てが新鮮に感じ、解剖学から始まって、病理学、補綴学、口腔外科学、勿論、保存学も楽しく感じたのです。
もしかすると、自分にとって歯科医師が天職なのかも知れないと、その時に思いました。
人によっては血を見るのが苦手と云う場合もあるかと思います。
何はともあれ、50年近く、無事に歯科医をやってこれたのは、私達、石川歯科医院のスタッフを信頼してくれている患者さんのお陰だと心から感謝しています。
この歳になって、あらためて思います。
当時、同じ保存科の医局にいて、遊びに、研究に、切磋琢磨していた埼玉の友達Mさんと『また生まれ変わっても、お互い、歯医者を職業として選びたい!』と話し合っているのです。