院長の独り言 172 ; 大学院を卒業した後…

以前のブログで、無事に大学院を卒業して、大学の助手になった事は何度か書きました。

今まで大学院の学生として、毎日、自身の研究の為に通っていた同じ場所なのですが、助手としての初出勤の日は、気分的には全く違った、新しい職場に来たような変な感覚でした。

年度の始まりの4月1日の事です。

学生気分を自分なりに排除して、助手の仕事に専念しようと決めていた事がそう云う気持ちにさせて呉れたのだと思います。

大学院生の時は、自分の研究の事だけを考えて仕事をしていれば良かったのです。

助手になってみると、先ず教室の雑用を率先してやらなければならない(ちなみに大学院時代は、教授の考えで、教室の雑用は一切する事は無かったのです)し、学生の時と違い、上司にも色々と気を使わなければならない事が分かってきたのです。

歯科医師の免許は持っているものの、大学院時代は学生なので当然、月謝を払っていました。

助手になった途端、給料を貰う身分になる訳ですから、気持ちの上でも仕事の内容も『月とスッポン』、雲泥の差なのです。

学生の時は、教授に対して気軽に声を掛けていたのですが、助手になってみると、そう易々と声を掛けられない雰囲気になってきたのです。

古参の助手も、今までの『教えて呉れる口調』から『命令調』に変化してきたのです。

最初の仕事は、教室の雑用は当たり前として、教授の講義の補佐をする事でした。

我が教室の鈴木賢策教授の講義は、火曜日の朝8時からの2時間と昔から決まっていました。

それが1年間、続くのです。

講義は当然、専門的な内容で、細かく大変難しいものです。

教授は、『頭のスッキリしている、朝の内に講義は行うもの!』と常に言っていました。

スムーズに講義が出来る様に、先輩の助手の先生と2人で、1時間前の朝7時前に出勤して準備をしなければならないので大変でした。

しかし当然の事ですが、私が年下の新米の助手なので、先輩より早く来て、教授がスムーズに講義が出来るように色々と支度をするのが常でした。

先輩の助手の先生は、教授のお出ましになる15分程前に出勤して来るのです。

当時はパソコンなどの便利な機械は、当然、有りませんでした。

2時間分のスライドなどを用意して、教授の講義が上手くいくように準備をするのですが、これが結構大変なのです。

その日の講義の内容を十分に把握していないと、チンプンカンプンの講義になってしまいます。

当然、そう云う時の教授は不機嫌そうです。

準備不足の時は、先輩の助手の先生に嫌みを言われもしました。

お小言を頂くのも癪なので、最初の頃は講義の前日から随分と緊張したものです。

自分が学生の時に受けていた時は、教授の話していた内容を今いち理解出来なかったし、大して将来、役に立つとも思えなかったものです。

ところが講義係を仰せつかって、改めて教授の講義を学生と一緒に聞いてみると、4年間の研究生活を送っただけの事はあったのか、その内容が大変良く理解出来るのです。

そして、教授の講義が素晴らしいものである事が良く理解できたのです。

講義係になって始めて、歯科治療が如何に大切かを、再確認出来て良い経験をしたのでした。

当時は、歯科医師不足の為に、殆どの先輩は大学に残るより開業を選択するので、早期に退職する場合が多いのです。

その結果、幸運にもすぐ出世する事が出来ました。

次の年には、後輩が2人も助手として入局して来たので、雑用係と講義準備係から放免されてホッとしたのです。

教室の職員構成は、当たり前ですが教授1名、そして助教授1名、講師2名、助手6名、秘書の女性が1名、そして雑用の夜学の大学生がアルバイトできていました。

その他に大学院生や専攻生が在籍していたのです。

小生はと云うと、1年間の助手の後、何人かの先輩を飛び越して、講師になる事が出来ました。

(次号に続く)

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