院長の独り言 161 ; 近くて遠い田舎の道、遠くて近いは男女の仲
私が中学に入学したばかりの時、校舎の隅で、男子の上級生数人がヒソヒソと話していたのを、たまたま通りがけに小耳にはさんでしまいました。
お年頃の彼らは、女のコについて話をしている様でした。
その話の言葉の端々に『近くて遠い田舎の道、遠くて近いは男女の仲…』と言って、『頑張れよ!』と聞こえました。
その話の全容は分かりませんでしたが、みんなが真剣な顔をしていたのは確かです。
いま思えば多分、誰かに皆で交際のハッパを仕掛けていたのでしょう。
自分はまだ中学に入ったばかりで、小学生みたいなものですから、男女の違いなんかよく分からない頃だったので、上級生の話など全然興味が有りませんでしたので、その後の展開はどうなったのか定かでは有りません。
確かに、田舎の道は近い様で実際、遠いものです。
意外に近く見えている目的の場所でも、歩いて行くと非常に遠いのでガックリと疲れた経験を自分は何度もしています。
当時は、自動車などの交通機関も貧弱で、道路もまず舗装されていないのが当然でした。
現在、テレビでたまに目にしますが、アフリカの砂埃の上がっている路と当時の田舎の路は殆ど同じ様なものでした。
ところで、本題の『男女の仲』の話ですが、私が中学生、高校生の頃は、自分の経験では、まず男子は男子だけで遊んでいましたし、女の子は女の子だけで一緒になっていました。
男子と女子が一緒に遊ぶ事は皆無に近かったのです。
オーバーでも無く、嘘でも有りません。
この世の人間社会は男と女しかいないのですから、男性の眼から見れば、女性は大変身近な存在のはずです。
女性と男性は直ぐ仲良くなれると思うのです。
『遠くて近いは男女の仲』なのですから…。
ところが当時、昭和20年代は小生だけでなく、若い男は殆どみんな、女性に声も掛けられなかったし、手も握れなかったのです。
今時は、手をつないだ高校生のカップルを街角などでよく見かけます。
誤解しないで下さい。
小生、ヤッカンで言っているのでは有りません。
今思えば、自分が人間として成長して大人に成っていく多感な頃、当時の日本社会が現在の様に全てのものが即物的な風潮で無くて本当に良かったと言っているのです。
あまりに若い頃、特に中学、高校生の頃から、まだ世間の事を色々な意味で経験不足な時から全ての事に対して早急に行動せず、ユックリ、ユックリ、そして、おおらかに、また色々と勉強したり遊んだりして成長していくのが得策ではないでしょうか。
男女交際でも、ある程度成長してきた暁に、相手の良い所も理解出来、お互い尊敬しあい、即物的と云うより精神的にも素晴らしい関係が出来るのではないでしょうか。
いくら『遠くて近い』とは言え、あまりにも安易に『男女の仲』に進むべきではないでしょう。
要らぬお節介と言われてしまいそうですね。