院長の独り言 92 ; とにかく人間は難しい!
飛騨高山祭は日本三大美祭の一つです。
この祭りは春の山王祭と秋の八幡祭の年二回行われます。
一度、どうしても実際の祭りを見たかったので、今から10年程前、秋の八幡祭りの見物を兼ねて、夫婦でのんびりと高山近辺の旅行に出掛けてみました。
全国的に有名なお祭りを間近で見たのは初めてでした。
小生は以前にも高山に来た事が有り、その時は大変静かな雰囲気のある街でしたが、その時とはまるで異なり、街の雰囲気も町の人たちの表情も祭りモードにスイッチが入ってしまい、活気と興奮に包まれて別の街に変身してしまった…、と言ったところです。
明るいうちから街全体が華やいでいます。
高山にはお昼すぎに着いたので、祭で変身した街の隅々までを色々見学しながら探索して廻りました。
こじんまりした街の中を、若い衆や綺麗に着飾った女性、可愛い子供たちに引かれて、派手な山車が何台も街のあちこちを練りまわって行き、最終目標のお宮の前に全ての山車が終結して、その美しさを競います。
人の多さに圧倒されて、我々は群衆の後ろの方で、カラクリ人形や提灯の光などで飾りたてた山車の集団を遠慮気味に見学していました。
祭りの催しを観覧している大群衆は、大人も子供も男も女も、その雰囲気に酔いしれています。
始めは着飾った派手な山車に気を奪われていて、直ぐそばに目が行きませんでした。
ふと気がつくと、自分達の眼前に、かなりのお年寄りのおばあさんがいるのです。
周りが薄暗かった事もあってか、余計気が付かなかったのですが、眼が暗がりに慣れてきたので分かりました。
其のおばあさんは、中年夫婦と一緒にお祭りを見に来ているようでした。
多分想像するに、その夫婦が母親に日頃の感謝を込めて、この高山の有名なお祭りを是非見せたかったのでしょう。
親孝行をしたくて一生懸命、この高山まで連れて来たのだと想像できました。
子供夫婦は心を込めて、年老いた母親に説明しながら、大勢の人で混んでいる中を、何とかお祭りのクライマックスを見て貰おうと必死に頑張っているのです。
覗き見しているようで嫌だったのですが、眼前で展開しているので、どうしてもその親子の遣り取りが聞こえてしまいます。
一番気になったのは、その夫婦は必死に親を楽しませようとしているのだから、子供にとってみれば、親は当然心から喜んで感謝して呉れるものと思っているのに、一方、当のおばあさんはと云うと、傍で見ていてもその心の中は見え見えな程、気乗りが薄いのです。
お祭りや山車に、まるで興味を示していないようです…。
逆に『早く帰りたい…』といった感じです。
夫婦の熱心さに比して余りの落差に、他人事ながら『お婆ちゃん、もっと喜んであげて!!』とハッパを掛けたくなるほどです。
我々は、煌びやかな山車を見ながら移動したので、その後の展開は知りません。
想像するに、あの夫婦は優しそうな人柄だったので、きっと日常生活でも、あのおばあさんにさぞ優しく接していることでしょう。
その時は、『あれでは子供夫婦が可哀そうだ…』と思えました。
ところがいざ、自分も70歳を超えてくると、あの時のおばあさんの気持ちが何となく理解出来てくるから、全く厭になります。
今の小生は30分ぐらい立っていると腰が痛くなってきて、何はさて置き、兎に角、座りたくなるのです。
また、心動かされる物事が少なくなり、とにかく感激しなくなります。
哀しい哉、感動の前に、面倒臭さが先に立ってしまうのです…。
もしかすると、あのおばあさんは、子供夫婦に心の中では手を合わせて感謝していたのかも知れませんが、あの人混みの中、お祭り見物が億劫になっていたのかも知れません。
この出来事に、人間が歳を取るという事と親孝行の本質を、見せつけられた気がするのです。