院長の独り言 93 ; 今もふんどしは売られているのかなぁ~
この年になると、やはり自分の子供の頃が懐かしくなり、つい昔の事をこのブログに書いてしまいます。
今回は、今から60年以上も前の話です。
私が小学生の頃、1年生から3年生までは学校で水泳の授業は無かったのです。
多分、安全面から学校側が考慮しての事でしょう。
何しろ、ひとクラスの生徒数が60人弱と、今と違って大変多かったので、管理も大変だったのでしょう。
夏休みに入ると、4年生以上の生徒は、みんな待ちに待ったプール通いが毎日の日課になります。
今は、幼児や子供でもみんな泳ぎに行く時は海水パンツを穿いて行きますが、私が小学生の頃は男子はみんな『ふんどし』でした。
自分が小学4年生になった夏休みの時の話です。
いよいよ水泳の授業を受ける事になったのです。
まず、ふんどしの締め方から習うのです。
当時の公立小学校は、今と同じで男女共学です。
夏休み直前のある日、教室から女の子を全員締め出して、先生が男の子だけにふんどしの絞め方を指導するのです。
男の子だけになると、すぐさま全員素っ裸になる様に先生が号令をかけます。
勿論、オチンチン丸出しでふんどしの締め方、扱い方を教わる事になるのです。
今から思えば、全くのどかなものです。
小一時間ぐらいかけて教えて貰うと、クラスの全員が何とか、自分たちだけでふんどしを締める事が出来るようになり、あとは家に帰って自分達で一生懸命練習して、本番のプールに向かうのです。
最初はみんな白いふんどしを着けるのですが、ある程度泳げるようになると、赤いふんどしに変わるのです。
何とか早く『赤ふん』になりたくて、全員、必死に泳ぎの練習をするのは当然です。
自分も死に物狂いに頑張った結果、ひと夏である程度泳げるようになり、目出度く『赤ふん』に昇格出来たのでした。
その後、クロール、平泳ぎ、背泳やノシ泳ぎ、そして潜水泳ぎもが出来るようになりました。
あの時、熱心に指導して頂いた先生方に感謝です。
当時、大人ならみんな泳げるものと思っていましたが、大学に入ってみると泳げない友人もいましたので、余計、小学校で厳しい水泳の訓練を受けた事に感謝、感謝です。
泳げると云う事は、水が怖くないと同義語です。
千葉の富浦海岸では岩場に潜って大きなサザエを採ったり、クロダイを釣ったりして、若い頃は大いに楽しみました。
これも小学生の時に、学校で水泳を厳しく訓練して頂いたお陰です。
今では漁業権の関係で、気軽に川や海で、魚や貝などを勝手に採る事が出来なくなってしまいました。
まあ、若い時には大いに楽しんだので、『よし!』としましょう。
今の子供たちはふんどしを締める事など出来ないでしょう。
と云うより、ふんどし自体を全く知らないのでは無いでしょうか。
海パンと違いふんどしは、イザという時に溺れかけている人をも助ける、大切な緊急救助道具に変身する事を、皆さんは御存知ですか?
子供が泳ぐ時にはふんどしに限ります!
そうすれば、子供の海難事故が少しは減るかも知れませんよ。