院長の独り言 48 ; 『お寺のおばあちゃん』との想い出
戦時中、私は岐阜県中津川に母方の祖母と疎開していました。
三河巨大地震の時に、『くわばら、くわばら…』とお念仏を唱えていたおばあちゃんです(院長の独り言 42)。
祖母はお寺の住職の奥さんです。
宗派は浄土真宗で、東京の京橋区にお寺が在りました。現在の中央区です。
祖母には男の子供はいません。
女の子供が私の母を含めて3人でした。祖母の孫は、男が私を含めて7人、女の孫が3人でした。
自分に男の子が出来なかったので、孫の男子、7人の中で一人、お寺を継ぐ子が現れる事を期待していたようでしたが、結局、一人も出てきませんでした。
祖母は決して男の孫たちにお坊さんになるように、無理強いはしませんでした。
しかし事あるごとに、10人の孫や近所の子供たちを小さな本堂に集めて、色々な説話をしてくれました。
話の内容は殆ど忘却の彼方ですが、昔の偉い人の生い立ちや礼儀作法などだったと記憶しています。
今で云う道徳教育を受けていた事になるようです。
今の小生の人間形成に随分影響を受けた事も確かです。
その祖母が一番強調していたある話を、今でも、良く覚えています。
『たらいに張った水におもちゃの船を浮かべて、それを欲しくて取ってやろうと、たらいを自分の方に強く引っ張れば船は、反対の方に行ってしまうけれど、相手の方に、はいどうぞとたらいを押してあげれば船は自分の方に来るよ』と言った後に、ニコニコと微笑んで、皆にお菓子を振る舞ってくれました。
何でそのような話を、しばしば話すのか、解説はしてくれませんでした。
今から思えば、『後は自分で考えろ』と云う事なのでしょう。
そんな明治堅気の祖母も90歳で天寿を全うしました。