院長の独り言 340 ; ロンドンオリンピックが閉会して、今年の夏も終わりましたね

オリンピックと云うと思い出すのは、50年前の東京オリンピックです。
1964年(昭和34年)、私が大学生の時でした。
まだ敗戦の後遺症が街中に色濃く残っていて、お世辞にも近代都市と言えなかった東京が、大袈裟ではなく、オリンピックの開催が近づくにつれて大変貌を遂げていったのです。
前年には、東京タワーが完成して、テレビでのオリンピック観戦が可能になりました。
高さ333メートル、パリのシンボルであるエッフェル塔を9メートル抜いて世界一高い電波塔になったのです。
一般道も高速道路も整備されていき、夢の新幹線も登場するわ、高層ビルは建ち出すわで、東京オリンピックが、高度成長期の幕開けであったのは疑う余地もありません。
日本古来からの『道』の一つである『柔道』が、新しい競技種目として採用されたのも、この東京オリンピックでした。
先日、閉会したロンドンオリンピックで、このお家芸の『男子柔道』が惨敗しましたが、東京オリンピックでは日本国民全員が、軽量、中量、重量、無差別級の4階級全部で『ゴールド』を日本が独占すると信じていたのです(正直、体重で4階級に分かれるとは思いませんでした)。
ところが、無差別級の決勝で、オランダのアントン•ヘーシンクに神永昭夫が押さえ込まれて敗れてしまい(袈裟固め)、日本中の人が衝撃を受けたのを昨日のように思い出します。
場内も神永が敗れた瞬間、水を打ったようにシーンとなったそうです。
柔道の神髄として、『柔能く剛を制す』と云う伝統が脈々と伝えられて、レスリングやボクシングのように、身体の大きさで区別しないのが柔道である、即ち、階級などは邪道で、『無差別』こそ『柔道』と日本人は信じていたのです。
その『無差別』級で押さえ込まれてしまったのですから、衝撃は計り知れなかったのです。
勿論、あとの3階級は金メダルでしたが、たった一つの銀メダルが与えた影響は大きかったのです…。
後にヘーシンクは、『もし自分が東京オリンピックで優勝していなかったら、世界中で今日のような柔道の人気は有り得なかったでしょう』と述懐しています。
そして、『多分、オリンピックの種目としても、東京大会だけの一回だけになってしまっただろう』とも言っています。
ロンドンオリンピックの『柔道』で、我が国が惨敗したと云うことは、それだけ『柔道』が世界的なスポーツになった証左かも知れませんね。
そう言えば、日本の国技である『相撲』も現在、横綱は白鳳(モンゴル出身)ですね。
琴欧州などヨーロッパの人までが、お相撲さんになるとは、私が子供の頃は想像も出来ませんでした。
今回のロンドンオリンピックでの日本選手の活躍には、私も本当に感銘を受けました。
メダルを獲得した人、出来なかった人、選手、役員全員の皆さん、御苦労さまでした。
希望とすれば、オリンピックの為に、イギリスや中国、韓国のように強化資金を日本も多く出して欲しいですね。
こう云った強化資金に投入する為にも、税金はあるのではないでしょうか。

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