院長の独り言 285 ; 舟上から眺める、生まれ育った東京の下町

隅田川に遊覧船が運航されているのは知っていましたが、まさか、その遊覧船で浅草に行けるとは思っていませんでした。
勿論、遊覧船ではなく『海上バス』という名前ですが…。
このところ、本当に出不精になってしまい、生粋の江戸っ子なのに、最近の東京事情が、さっぱり分からないのです。
今まで、気が付かなかったのですが、品川から、船の出る『日の出桟橋』埠頭まで意外に近い!と分かったのです。
帰宅するまで、時間がたっぷりあったので、船に揺られてみようと云う事になりました。
日の出桟橋からは、浅草行きの『隅田川ライン』以外にも、『晴海お台場海浜公園ライン』と『東京ビックサイト•ペレットタウンライン』などが、運航されているそうです。
隅田川から眺める東京のビル群は、中々なものです。
隅田川と云えば、水が灰色で、しかも悪臭がするので、観光どころではないと自分では思い込んでいました。
小学校低学年の頃は、魚が沢山、釣れていたくらいですから、川は綺麗でした。
ところが、自分が中学校に入った頃には、どぶ川に成り下がっていたのです…。
高度成長により、工場からの工業排水と家庭汚水が、垂れ流しになってしまい、隅田川は無残な姿になってしまったのです。
何十年か振りに、現在の隅田川を目の当たりにして、昔の綺麗な川に蘇っているのを実感して、本当に感激しました。
中でも一番、感激して驚いたのは、この海上バスが大変、人気があり、乗客で埠頭が溢れていた事です。
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一時期、あんなに汚れていた隅田川が、東京を代表する観光名所の一つとして、大勢の人に認めてられているのには、東京都の職員関係者と地域住民の努力の結果なのでしょう。
われわれが桟橋に着いた時には、既に溢れる程の人達でした。
『これは、乗れないかな?』と一瞬、思ったのですが、駄目元で一応、列の後ろに並んでみました。
思ったより船が大きく、我々も、どうにか乗船出来ました。
船が動き出すと、東京湾からの爽やかな風が気持ち良く、つい両手を拡げて、深呼吸したい気分です。
すぐに、浅草に向かって左岸に、幼い頃、セミやカブトムシを採りに来ていた『浜離宮』が目に飛び込んできました。
浜離宮は、先日、銀座を訪れた際、寄ったのですが、子供時代の最高の遊び場だったのです。
浜離宮を過ぎると、東京の台所で有名な築地魚河岸市場が見えてきました。
この魚河岸は魚の『競り』の様子が、海外にも紹介されるほど有名です。
岸壁に横付けされている漁船の横を通り、日露戦争で勝利した際に、記念として建造された『勝鬨橋』の下を、船は静かに進みます。
そして、子供の頃、釣りに来たり、渡船に乗って遊んでいた、想い出深い『佃島の渡し場』を通過しました。
まるでタイムスリップした気分です…。
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さらに、夜釣りを楽しんでいた中之島、大型船の進水式が何度も見られた石川島造船所、綺麗な帆を靡(なび)かせた練習船が展示されていた東京商船大学などが、この辺りの川沿いにあったのですが…。
想い出は尽きません。
永代橋が見えてきました。
勝鬨橋と永代橋の間はたっぷりと距離があります。
現在は、中間に佃大橋が掛かったので、情緒たっぷりの渡船は、廃止されています。
永代橋の近くには深川、門前仲町と云った、昔からの(江戸時代からですよ)繁華街があって、特に夏祭りの時は、大変な賑(にぎわい)でしたが、今は居酒屋の街として知られています。
浅草までは、まだまだ幾つもの橋をくぐって行ったのですが、一時間弱の想い出たっぷりの楽しい船旅?でした。
到着した浅草の仲見世は、身動きが出来ない程のひと、ひと、ひとです。

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青い目の観光客も、日本情緒たっぷりのお土産屋さんを眺めています。
一方、我々は…と云うと、流石に、朝からの強行軍。
多分、『中央道の渋滞が緩和されたろう』との読みで、この辺で、家路に着く事にしたのです。
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