院長の独り言 284 ; 水上バスに乗って、品川から浅草まで

連休を利用して、家族でお墓参りに出掛ける事にしました。
例によって息子が運転手です。
お墓は千葉の八柱と東京の西多摩にあります。
先ず、遠い方の八柱霊園にお参りに行く事を決めて、朝8時過ぎに自宅を出発。
八柱の霊園に行くには、中央道から首都高速に入り、千葉方面に向かうのですが、道が空いていれば、約1時間で到着します。
中央道の上り車線に入った途端、目に入ったのは、反対車線の異常な混みようです。
下りの相模湖方面は、行楽地に向かう車でビッシリ。
上り方面は、下りの人の目に毒なくらいに、スイスイと順調に流れていたので、ホッとしました。
ところが、吉祥寺の首都高の料金所を過ぎたころから、上り車線も雲行きが怪しくなってきました。
何となく車が詰まってきた感じなのです。
早速、カーナビで松戸方面を調べてみたところ、都心から千葉方面に向かって、高速道路も、一般道も、渋滞を表す赤色に染まっています。
大渋滞のようです。
いま走ってきた中央道の下りの情景を目の当たりにしてきたので、正直、あんな渋滞に嵌(はま)る事だけは絶対に避けたいと思ったのでした。
止むを得ず、急遽(きゅうきょ)、ご先祖様には申し訳なかったのですが、今日のお墓参りは中止する事にしてしまいました。
日を改めて、なるべく早く墓参に行くつもりです。
ところで、中央道の下りは大渋滞なので、とんぼ返りで、自宅にも帰れそうにありません。
しばらく都内に留まる事にしたのです。
報道によると、品川が素晴らしく変身したようなので、一度、行ってみたかったのです。
丁度、良い機会でした。
『久し振りに、品川にでも行ってみようか!』と、意見が纏(まと)まりました。
新宿駅に駐車し、冷たいコーヒーでひと息ついた後、山手線に乗り、一路、品川へ。
本当に久し振りの品川。
新しい高層ビルが立ち並び、かつての東京と横浜の中継地と云った面影は、何処にも有りません。
新宿や渋谷のような、山手線沿線の大繁華街に様変わりしていたので、驚きました。
大変な混雑ぶりに、思わず気後れしてしまい、まるで『お上りさん』のように目をキョロキョロさせ、改札口を出たところで暫く立ちすくんでいました。
テレビ番組で、イルカのショーで有名な『エプソン 品川アクアスタジアム』を紹介していたのを思い出したので、『どんなものか観てみようか…』となったのです。
ところが、肝心のスタジアムの場所が何処だか分かりません。
長年、東京に住んでいる自分としては恥ずかしかったのですが、駅員さんに聞く羽目になりました。
訪れてみると、子供連れの親子を中心に、若い人達で超満員。
景気が少し上向いてきたのか、良い傾向です。
幼児は入場料金がおまけですが、われわれ夫婦も65歳以上と云う事で、少し割引料金。
得をした気分です。
中に入ると、左右そして頭上に大小様々、色とりどりの魚達が、大きな水槽の中で群れを組んで泳いでいて、平凡な感想ですが、まるで海の中にいる様な錯覚を覚えます。
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比較的に大きな魚が多いので、手前みそですが、石川歯科で飼育している熱帯魚やハリセンボンの方が、愛くるしく感じるのは、エコ贔屓(ひいき)?でしょうか。
運よく海豚(イルカ)ショーを座って見学出来ました。
大小10頭ほどのイルカが泳ぐと云うより、凄いスピードで水面を走ったり、高く跳びはねたりして、水飛沫(みずしぶき)を景気良く飛ばし、前列のお客さんはズブ濡れです。
子供たちの甲高い悲鳴で大盛り上がり、20分間のショータイムは、アッと云う間に終了です。
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大いに楽しんで、水族館を出たのが、まだお昼前です。
多分、帰りの下り方面中央道は、まだまだ渋滞に決っています…。
もう少し時間つぶしと云う事で、まだ一度も経験のない、隅田川の水上バスに乗ってみる事にしました。
知らなかったのですが、日の出桟橋から浅草まで、遊覧船で行く事が出来るのです。
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交通機関は電車でも良かったのですが、実は、小さい頃に住んでいた下町の変身振りを、久し振りに見たいと思ったのです。
日の出桟橋が品川の目と鼻の先と分かったので、早速、桟橋に出向いてみました。
遊覧船から見る下町の風景は、想像していた以上に様変わりしていました。
魚(セイゴやボラなど)を釣っていた60年以上前の、灰色の岸壁だけで、殺風景だった街並みとは大違い、隅田川の周りは、新しい高層マンションのオンパレードです。
川べりも緑豊かに整備されています。
パリのセーヌ川の遊覧船から見る景色といい勝負です。
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江戸時代から隅田川は、生活物資の運搬を司る、大切な動脈だったのです。
川幅はかなり広く、両岸を行き来する為に、明治時代から、大きな橋が何本も架けられました。
ところが勝鬨橋(築地)と永代橋(深川)の間の、かなり長い区間には、橋が無かったのです。
橋だけを利用すると、銀座、築地から月島、佃島方面に行くには随分と、遠回りを強いられていました。
今は佃大橋が架けられて便利になりましたが、それまでは橋の代わりに、渡し船が住民の足として運航されていたのです。
『渡船(とせん)』と言って、無料だったので、その渡船に友達たちと乗って遊んでいた幼い頃が、走馬灯のように蘇(よみがえ)ります。
隅田川沿いも綺麗になったもんだと感心すると同時に、情緒たっぷりの渡し船には、もう乗る事は出来なくなってしまったのでした…。
(次回に続く)

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