院長の独り言 215 ; 梟雄 斎藤道三の家紋
梟雄 斎藤道三は全く大した男です。
北条早雲と同様に、下克上を代表する戦国大名として知られています。
道三が何処の出か、定かではありません。
一説では、父親は御所を警備する北面の武士と云う事になっていますが、その正誤は不明です。
ただ斎藤道三が油売りから成り上がって、美濃の国(岐阜)を乗っ取った猛勇である事は史実です。
最近の研究によると、斎藤道三とは一人の人物ではなく、親子二代で国盗りを成就したとも云われています。
油売りのボテフリから一代で、一国の主に成り上がるとは、到底、信じられない偉業なのでしょう。
特に小生が、道三を心底、恐ろしいと思ったのは、その家紋を見た事に依ります。
『二頭波』と云う家紋で、波頭が二つ描かれています。
波形の家紋は珍しく、何か理由がある筈です。
道三ほどの男が、ただの思いつきで、波形を大事な家紋に決めたとは思えません。
何故、波を家紋にしたのかと云う由来ですが、その由来をさる歴史書で知り、小生、本当にビックリしました。
中国の『老子』にある『上善如水』の思想を表しているという説が有力です。
道三の事物に対する洞察力の深さには、本当に驚くばかりです。
『水はどのような器にも入る事が出来る。
丸い器でも、四角い器でも、自由自在に変化してしまう。
そして人間の命に欠かせないほど、水は最も大切な物である。
また水は高きから低きへと流れ、その様は人生の極意でもある。
人は誰しも低い所にいくことを嫌がるが、他の人が嫌がることをする謙虚さも必要だ。
しかし同時に、大量の水は人も、家も、何でも破壊する力も持ち合わせている。
水は必須でもあり、水は用心しなければならない物である』
つまり、水のように変幻自在に形を変える事ができる柔軟な物でも、時として、恐ろしく凶暴な物として襲いかかってくる。
道三は水のように、その時々に応じて、自らが変幻自在である事を、目標に置いたのではないでしょうか。
優しい人間にも、恐ろしい人間にもならなければ、戦国時代で生き抜く事は、到底、出来ないと悟ったからかも知れません。
今から500年も前の人物が、水について上記のような考えをしていたとされているのです。
普段は穏やかで、恵みを与えてくれる母なる海も、今回の大津波のように、恐ろしく凶暴になる事も、彼の念頭にあったのでしょう。
波形をした『二頭波』を家紋にしたのは、水のように柔軟である事、そして海のように雄々しくある事を、天下に、そして自分自身に宣言したのだと思います。
また、家紋にある水飛沫の数が、二つの偶数と三つの奇数であるのも興味深いです。
奇数と偶数は、2つに割り切れる物と割り切れない物、つまり数の全てを暗示しているのです。
偶然の意匠かも知れませんが、彼の宗教観すら感じさせます。
買い被り過ぎですかね…。
そして織田信長を娘婿(むすめむこ)に選んだのも、鋭い洞察力があっての事でしょう。
当時、信長は全くのウツケ者と断定されていたのです。
ウツケと云うより、気狂いの乱暴者と思われていたのです。
ワザと気狂いのウツケの振りをして、周りの連中を油断させていた信長の本心を、道三は鋭く見抜いていたのでしょう。
古今東西、出る杭は打たれるものと、相場は決まっています。
しかも時代は、生き馬の眼を抜く戦国時代です。
当時、親戚と織田家の覇権を争っていた信長に進んで援軍を出し、信長の留守中は、その居城である清州城を守る事、しばしばだったのです。
道三の判断如何によっては、信長は清州城から追放されかねない情勢であったのです。
斎藤道三は実に頭の良い人物で、美濃の国を略奪したのは、当然の帰結だったのでしょう。
道三にしろ、信長にしろ、また秀吉そして家康と、戦国時代の日本には羨ましいくらい、多くの優れたリーダーが輩出されています。
この非常時の日本に、一人でも道三のような人物が現れて欲しいと、切に思います。