院長の独り言 213 ; 助け合える事は、日本人であることの証
今回の大震災の後で、最も感銘を受けた事は、被災した東北の人達の、誠実で冷静な態度です。
大震災は自然の為せる業、われわれ人間にはどうする事も出来ません。
あまりにも過酷な運命ですが、運命と思う以外、どう仕様もありません。
殆どの国では、大災害が起こると、ひったくり、強盗などの悪質な略奪行為が頻発します。
ところが東北大震災の時は、その手の話は少ないです。
外国のメデイアでは、驚きを以って、それらの事実を報道しています。
以前からよく言われる事ですが、屋外の自動販売機は外国では考えられないそうです。
こんなに自動販売機が屋外に設置されていても、略奪行為がほとんど起きないので、『日本人は素晴らしい!』と外国人が口を揃えて言います。
われわれ日本人が温和で自己主張の少ない民族であるのは、農耕民族がルーツであるからだと良く言われますが、この理由だけとは到底考えられません。
もっと日本人の根幹に関わっているのではないでしょうか?
そこで今回は、日本人のルーツについて少し書きたいと思います。
元々は、ユーラシア大陸と地続きであった日本列島ですが、約5〜6百万年前の地殻変動により大陸から分離して、古日本列島が誕生されたとされています。
まだその当時、人類が古日本列島に住んでいなかったのは当然の事です。
分離する前には、色々な動物が行き来していたし、メタセコイアなどの植物が大森林を形成していたようです。
分離した後も、幾度も訪れた氷河期には、海が浅くなってユーラシア大陸と陸続きになったり、また気候が暖かくなって離れたりしていたと思われます。
陸続きの時には、ナウマン象や大型の鹿の仲間も、日本列島に渡って来て住み着いていたのです。
化石から大型の鹿や小型の象が、日本各地に生息していた事は証明されています。
さらに物の本によると、日本列島に人類がやって来たのは、4〜5万年程前の事とされています。
人類は食料となる大型の動物群を追いながら、日本列島にやって来たと思われます。
時代的には後期旧石器時代に当たります。
縄文時代の前の時代が、日本では後期旧石器時代です。
旧石器時代は前期、中期、後期に三分割されていますが、250万年程前にヨーロッパで石器が発見されています(前期旧石器時代)。
私が学生の頃は、人類はアフリカを起源に、北京原人、ジャワ原人などに分かれて、各地域でそれぞれ、現在の人間に進化していったと教わりました。
しかし最新の人類学では、DNAの分析によって、人類の起源はアフリカの一人の原人にたどり着くと言われています。
他の原人(北京原人やジャワ原人など)は、みなアフリカから来た原人に滅ぼされてしまったのでしょう。
現在、生きている人間は全て、アフリカの一人の原人が先祖という事です。
従って、それぞれの民族の性格は、定住後に決まったものと云う事になります。
人類が初めて、日本列島にやって来て、石器などを使用して定住したのが4〜5万年前だと言われています。
その後、縄文時代になりますが、例えば縄文時代の三内丸山遺跡で見られるように、大集落を造って生活していた事を考えると、生活基盤はみんなで仲良く秩序立ち、集団生活を営んでいたものと想像出来ます。
私も三内丸山遺跡は見学してきましたが、結構、豊かな生活をしていた事が窺い知れました。
5千年以上も前の話です。
それ以来、隣人たちを大切に生きてきた日本人は、集団生活を円滑に営む事が一番、大切であると悟ったのでしょう。
島国なので他国と争う事も少なく、地震や津波といった、個人の力では抵抗の出来ない自然災害に晒され、益々、隣人との付き合いを大切にする温和な民族になってしまったと思います。
大陸に住んでいる場合は、周囲の他民族からの襲撃に、常に備えなければなりません。
当然、他人を疑いの目で見てしまい、用心深くなるに決まっています。
どちらが良いと言っている訳ではありません。
大災害の時には、一致団結し事に当たるのは、われわれ日本人が先祖代々、自然の脅威に晒されながら生きてきた証なのでしょう。