院長の独り言 201 ; 国民みんなで復興を急げ!
東日本全体が大変な事になっています…。
先ずは、今回の大震災で心ならずも犠牲になられた方々に、心からお悔やみを申し上げます。
この大地震の規模であるマグニチュード9.0は、日本の有史以来、縄文•弥生時代から平成の今日まで、一、二を争う大きな地震である事は間違いありません。
『東北関東大震災』のような大きな地震は、日本では1000年に一回起きるかどうかと云った規模なのでしょう。
我々は歴史的な大災害に遭遇した事になり、この事は子孫代々語り継がれていく事だと思います。
今回の大津波は、我が国とすれば、東北地方で西暦869年に起こった『貞観地震』以来の大津波だそうです。
そして3日前、現実に大震災、大津波は起きてしまったのです。
残念ですが、被災した方も、幸い難を逃れた人も日本国民全員で、頑張って再建に努める以外、無いでしょう。
第二次世界大戦の廃墟から見事に立ち直った日本ですから、今回の未曾有の天災ですが、この大震災からも日本国は必ずや、復活するでしょう。
必ず復活します。
テレビで見ていても、被災者のみなさんが実に落ち着いて、冷静に行動しているので、驚嘆すると同時に心から尊敬の念が生じます。
思い返すと30年程前、夏休みを使って、友達と岩手県三陸沖を旅した事があります。
仙台を通過し、古城の傍らでひっそりと落ち着いた街並をもつ盛岡市に入り、そこから岩手県を東に移動し、まず宮古市の外れの浄土が浜へ観光に行きました。
浄土が浜は、白い火山岩の岩々が壁の様に海の前にそそり立ち、太平洋の荒波から浜を守っているのです。
その白い岩々のお陰で、波の静かな神秘的な入り江になっていました。
名勝浄土ヶ浜は、連なってそそり立つ岩の壁のお陰で今回の大津波の襲来から免れる事が出来たものと願うばかりです。
入り江には白い小石が敷き詰められ、まるで極楽浄土を思わせるところから、浄土が浜と呼ばれる様になったと云う説があるくらい清楚な浜です。
是非、もう一度ゆっくり浄土ヶ浜を見に行きたいと思っていたのです。
願いが叶うといいのですが…。
浄土ヶ浜を見学した後、宮古市に戻って街のあちこちを見て回りました。
宮古市は漁業の基地として、沢山の漁船が停留していて壮観です。
リアス式海岸は素晴らしく、太平洋の荒波に面した開放的な港町です。
今から思えば、この開放的な地形が、あの大津波の侵入を容易足らしめたのでしょうか。
次に訪れたのは、製鉄の町である釜石市でした。
釜石市は、原料である鉄鉱石を外国から輸入し、出来た製品を海外に輸出するので、大きな港を持つ海岸都市です。
そして、大船渡市と宮城県気仙沼市も観光して回りました。
これらも、やはり東北を代表する漁港です。
全てこれらの都市は、仕事の構造上、太平洋に面していたので、大津波の犠牲になって壊滅状態です。
旅行の時を思い出すと、いずれの都市も太平洋に面した風光明媚で美しい街並でした。
その素晴らしい街が、もう見る事が出来ないとは本当に信じられないし、残念でなりません。
繰り返すのですが、この大災害からの立て直しは、地元の方々だけでは酷というものです。
こう云う時の為に国民が頑張って納めている税金を使うべきです。
時期を失すると復興が大幅に遅れてしまいますよ。
魂の復興も然りです。
遅れれば遅れるほど、希望という生きていく力を徐々に奪ってしまうことになるでしょう。