院長の独り言 194 ; だるまの掛け軸
テレビのローカルニュース番組で、だるまの絵画展を紹介していました。
だるまと云うと、むかし実家に掛かっていた、だるまの掛け軸を思い出します。
私が小学校低学年であった、ハッキリと何時の頃からかは忘れてしまいましたが、床の間にだるまの掛け軸が掛かっていました。
当時、居住していたのは、小さな二階建ての和風家屋でしたが、一階にある六畳間に床の間がついていて、その床の間に掛かっていたのがだるまの掛け軸と云う訳です。
顔だけの墨絵でしたが、ギョロリと周囲を睨みつけた恐ろしい目、黒いヒゲ面の坊主頭で、京都のお坊さんの作だそうです。
親父の親父、つまり私のおじいさんが手に入れた掛け軸です。
そのだるまの形相がとても恐ろしい表情をしているので、子供の私たち兄弟にとっては、あまり好きになれないどころか、みな『怖くて嫌だな…』と話し合っていたのです。
ところが親父はこの掛け軸を好んで、一年中、床の間に掛けていたのです。
別に石川家にはこの掛け軸しか無かった訳ではなく、結構、何幅も所有していたのです。
理由は、おじいさんが掛け軸を集めるのを、趣味としていたからです。
幸い我が家は、戦渦には遭わずに済んだお陰で、掛け軸だけは一杯、ありました。
親父はお正月だけは、だるまに代えて、鶴とか富士山や朝日の図柄の掛け軸を掛けていました。
しかし、正月も7日を過ぎると、直ぐにだるまの掛け軸になってしまうのです。
このだるまは八方睨み図と云って一種のだまし絵で、何処の角度から見ても正面で見ているのと同じように、見る人を恐ろしい目で睨んでいるのです。
まるでこちらの心の中を見透かしたように睨んでいると云うか、『お前が嘘をついてもお見通しだぞ!』と言っている様で、だるまと目を合わすのが本当に怖かったのです。
われわれ四兄弟が幼い頃は、親父が『悪い事をすると、だるまさんが出てくるぞ!』と脅されて、いいように騙されていた訳です。
お袋もソバから真剣な顔付きで、相槌を入れていました。
親父とお袋はだるまの掛け軸を上手く、教育に利用していたのでしょう。
小学生の時は勿論ですが、中学生になっても、親に嘘をつきそうになると、例のだるまの怖い顔が頭の中をチラつき、親にとっては効果抜群だった事でしょう。
このだるまの掛け軸は、引っ越しをして家が変わっても、常に我が家の床の間に一年の大半、鎮座していました。
兄弟がみな独立した現在、このだるまの掛け軸は、長男の兄貴の家にありますが、床の間に掛かっている事は稀だと兄貴は笑っています。
何かの用事で兄弟が集まった際には、今でも、両親の思い出話になると、このだるまの掛け軸の話も出てきて、酒の肴になるのです。