院長の独り言 168 ; 初月給の思い出
およそ45年前の随分と昔の話です。
大学を卒業後、将来の事を考えて、大学院に入学しました。
再び学生生活を送る事になったのです。
高校時代の友人達からは『いい歳をして、まだ学生かよ』などと、カラカワレました。
色々苦労しましたが、何とか無事に大学院を修了して学位の授与を受け、晴れて国家公務員(保存科助手)に成る事が出来ました。
大学院3年の時に結婚したのですが、生活費は奨学金と週一回のアルバイトだけで賄わなければならず、本当に食べるのに精一杯でした。
その当時、奨学金の有り難さを身にしみて感じました。
奨学金が無かったら、研究生活と結婚生活は両立出来なかったでしょう。
いま思い出しても、国に感謝の気持ちで一杯です。
大学院の研究生活が修了して、助手になり、初月給を貰った日の感激を、70歳を超えた今になっても昨日の事の様に憶えています。
当時の給料は、今の様に銀行振り込みではなく、給料袋に現金が入っていたのです。
初月給と云う事で、家内は何時もより豪華な食事とお酒を用意して、どのくらいの給料が貰えるのかと期待して私の帰りを今か今かと待っていたそうです。
小生はと云うと、月給袋の封も切らず、早目に帰宅。
早速、家内と一緒に中身を開けて見てビックリ仰天…。
あまりの薄給にガッカリして、二人とも無言で、思わず目を見合わせてしまいました。
税込みで4万円。
それでも初月給の明細書を見ながら、家内は嬉し涙を流していましたが…。
そこから諸手当を引いた後の手取りの額は、大学院時代の収入(奨学金+アルバイト)より減収になってしまったのです…。
とてもじゃないですが、これでは家族4人で食べていけないので、教授に頼み込んで週半日のアルバイトの追加を許して貰った程でした。
助手に成っても、全然、生活レベルは向上せず、何とか食べるだけの状態がその後2年間、続いたのでした。
大学助手の主な仕事は、教授の補佐や学部の学生指導、自身の研究、そして大学病院での治療です。
毎日、結構忙しく、奨学金の御礼奉公をさせて頂いた様なものでした。
勿論、その後、10年掛けて奨学金を完済した事は言うまでも有りません。
ところが、皆さんご存知の様に日本は高度成長時代に突入、月給も徐々に上りはじめ出したのです。
小生は国家公務員でしたので、民間の勤め人と比べると月給の上昇率は低かったのですが、それでも月給が3年ほどで倍以上に成ったと記憶しています。
同い歳の友達の銀行マンや商社マンの月給は、軽く私の2倍を超していました。
今と違い、公務員の当時の給料は安かったのです。
民間会社の勤め人の給料は、羨ましいくらいの額でした。
日本中の生活が驚くほどに、右肩上がりに向上していき、若者も就職先に困るどころか選択するのに、ひと苦労すると云った、今では考えられない状況が訪れたのです。
我が国の歴史上、稀に見る大好景気時代に突入する前夜の話です。