院長の独り言 167 ; 自動車免許を取得した頃
小生が自動車免許を取得したのは、大学4年生の春でした。
当時は、自家用車など殆ど走っていない時代でしたし、まさか、自家用車が持てる世に成るとは正直私は思ってもいませんでした。
しかし自動車に関する雑誌は結構、出版されていたので、われわれ若者は憧れの眼差しで自動車の写真を凝視しては溜息をついていたのです。
ただ私は、将来、万が一、自動車を持つことが出来たら嬉しいと思いつつ、自動車教習所の自動車でも運転が実際にしたくて、通っただけでした。
ところが、大学院に通うようになると、毎日、夜遅くまで研究室に残り、自分の研究に関係する外国の論文を読んだり、実験したりで、帰宅するのが夜の11時、12時になるのは当り前…。
研究室で朝を迎えるのも稀ではないといった、とんでもない生活に激変してしまったのです。
止むを得ず、出世払いと云う事で親父に借金をして、トヨタのコロナを購入しました。
今から思えば、免許を取得していて大変良かったと思いますが、運転はお世辞にも上手いとは言えず、『事故に遭ったらどうしよう…』と常に怯えつつ、オッカなビックリ運転していた始末でした。
何しろオートマチック車は発売したばかりで、とても高価で買えずに、マニュアル車でしたからなおさらでした。
当時、家族で横浜に住んでいたので、国道1号線を利用して、自宅と大学を往復していました。
今では考えられないことですが、道路の状態も悪く、一級国道でさえもアチコチが凸凹していて、運転していても何度も怖い思いをしたものです。
おまけに運転マナーは滅茶苦茶で、追い越し禁止などの規制などは無かったので、無理な追い越しをする車は当り前、酒気帯び運転で蛇行している車もかなり見受けられたのです。
そんな交通事情の中、よくぞ交通事故に巻き込まれなかったと言いたいところですが、自分が大学院3年生の時に、わき見運転の若者に信号待ちをしていた時、追突されてしまったのです…。
追突された時は何事が起きたのか理解できず、雷でも落ちたのかと思った程の衝撃を受けました。
事故に遭った次の日、眼が覚めると、右手がしびれていて、物が何も持てなくなるほど手の力が抜けてしまっていたのです。
直ぐに、医科歯科大学医学部の整形外科に入院と云う事に成ってしまいました。
2日経っても回復してこなかったので、『これは、傷害が残ってしまうかも…』と本気で心配したものですが、1週間ぐらいで回復してホッとしました。
大きな衝撃の割りには大した大事に成らなかった理由は、ぶつけられる寸前にハンドルをシッカリと握り締めたからだと今でも思っています。
あるいは信号待ちをしていた時、自分の車が先頭だった事も幸いしたのかも知れません。
しかし、50年近く経った今でも、季節の変わり目には頸の付け根あたりが痛くなると云う後遺症が残ってしまいました。
その後は幸いにも、他人を巻き込むような自動車事故は経験していませんが、自宅の車庫入れでぶつけてしまうなど自損事故は結構、やらかしています…。
何しろ、少しでもアルコールが入った場合は、車の運転は禁忌ですから、この頃はバスを利用する事が多くなり、結果として、歩く事が多くなったので、身体には良いのかも知れません。