院長の独り言 159 ; 頂きますとノイローゼ
子供の頃を思い出すと、随分、殺生をしたものだと反省しきりです…。
昆虫のトンボ、チョウ、カブトムシをはじめ、ザリガニ、メダカ、オタマジャクシと自分の周りにいる小動物を、何でも捕まえては籠に入れたり、金盥に入れたりして飼ったりしましたが、殆どは直ぐ死んでしまいました。
そして、標本を作る為に随分と昆虫を殺したりもしていたのですが、当時はそれが当然の行為だと思って気にも留めていませんでした。
ところが高校生の時に、念願の秋田犬を飼ってからはどんな小さい生き物も粗末に扱えなく成ってしまったのです。
ましてや、殺すなんてとんでもないと思う様に成ってしまいました。
魚を釣りに行くのが大好きだったのですが、ピタリと止めました。
皆さん笑うかもしれませんが蟻(アリ)も踏まないでよけて歩く始末です。
所謂、現代風に言えば『生き物を殺せないノイローゼ』に成ってしまったのです。
それ以来、大学院に入る迄は、無意識の時は別にして、意識しては生き物を殆ど殺生出来なくなってしまいました。
ところが、大学院の2年生に成った時、自分の研究テーマを押し進めて行くのに、どうしても動物実験をしなければ成らない羽目に陥ったのです。
当時の私とすれば、最もやりたくない事でした。
情けないかな、何とか動物実験を回避出来ないかと悩みに悩んだものです。
一方、主査の教授には、研究を早く進める様に注意されていました。
実験に使う動物は犬と決まっていたので、なおさら実験を躊躇していたのです。丁度、その頃、買って間もないテレビの番組で、ライオンの狩りの記録映画を見たのです。
その映画のあるシーンでのシマウマを襲う、凄まじいライオンの形相は、残酷というより、不思議にもその時自分は崇高な感じを受けて、思わず、テレビの画面を穴のあくほど凝視してしまいました。
何でそう感じたのか今でも分かりません。
ただ、ライオンとシマウマの両者の、喰うか食われるかの切迫した雰囲気がそう感じさせたのかも知れません。
愛らしいフクロウが子供に食べ与える為、野ネズミを襲ったり、シャチがイルカを狩りしているのも、みんな生きる為の切実な行動です。
その様な食物連鎖のひとコマを見ていたら、生きる為の厳しさが心にズシッときて、自分の生半可の浅はかさを突かれた様な気に成ったのです。
そして、気持ちを新たにして犬の生体実験を決意する事が出来たのです。
付き物が落ちた様に、『生命』に対する考えが変わった瞬間です。
早速、保健所に行って、雑種犬2頭を貰い受けて、実験したいある物質を犬の身体に埋め込み、10ヶ月後に薬殺して、動物実験を終えました…。
大分前のブログにも書きましたが、人間だけが考える事の出来る動物です。
人間以外の動物には嬉しいとか悲しいとか怖いなどは分かっているでしょうが、生き死には理解出来ないでしょう。
われわれ人間が殺生しては可愛そうだと思っている事こそ、不遜ではないかと思い当ったのです。
毎日、牛肉を食べ、魚を食べ、野菜を食べて、生命を保持しているのですから小生は…。
漁師さんのお陰で、美味しい魚を食べる事が出来るのですし、牛やブタの肉を食べる事が出来るのは畜産をしている方々が苦労して飼育しているからです。
お米、野菜、果物は勿論、農家の方々のお陰です。
自分が殺生する代理をして呉れている人達が存在するから、安心して食事が出来ると云う事です。
色々な事を考えると、食事をする時には必ず『頂きます』と自然に口をついて出てきます。
『頂きます』は、動物や植物の生命を頂きますと云う事ですし、苦労して食べ物を供給して呉れた漁師、畜産業者、農家の皆さんに、そして料理を作って呉れる皆さんに感謝を込めての『頂きます』です。
当り前の事ですが、この世に不必要な職業も無いし、不必要な人間も動物も植物も無いと云う事です。
この世は、みんなが共存して生きていく以外ないと云うか、悲しいかな、多くの犠牲の上に自分が成り立っている事を強く感じてしまいます。
随分、歳を重ねた小生は、大宇宙の輪廻転生を考え、宗教を強く意識する歳に成ってしまいました…。