院長の独り言 130 ; 50年前の山陰旅行 (最終回)

本日(平成22年8月6日)、原爆投下による犠牲者の慰霊祭・原爆忌の第65回平和記念式典が、広島の平和記念公園で行われました。

65年経った今でも、原子爆弾から生じた放射能の影響の為、犠牲者総数は30万人に迫ろうとしています。

長崎での犠牲者を加えると50万人を超えるのでしょうか…。

50年前の山陰旅行の最後に、広島を訪れた時は、心の底からムラムラと怒りが込み上げて、手の震えが止まりませんでした。

原爆投下は、人間がどのような残酷な事でも平気で行える生き物で有る事を証明したようなものです。

都市に原爆を投下すればどのような惨事になるのかを十二分に理解していても、このような残虐な行為が出来るのです…。

広島では暗澹たる気持ちとなり、今回の旅行の最後は、憮然とした暗い気持ちを東京まで引きずって帰宅しました。

結局、楽しさ半分、悲しさ半分の夏休み二週間でした。

戦争に巻き込まれた私は、5歳から6歳にかけて、親元から遠く離れた岐阜で疎開生活を送り、酷くひもじい思いを経験しましたが、広島に落とされた原爆の被害のあまりにも残酷な記録を目の当たりにして、『どうしてこんな酷い事をしたのか?』、『もし被害者の立場だったらどう思うのか?』を、思わず聞いてみたい気持ちになったものです。

そして、二度とあの非人間的な原爆の被害に遭わない為の抑止力として、世界で唯一の被爆国日本だけは、核兵器を持つ権利が有ると思いました。

我が国が核兵器を持っていれば、日本が他国から攻撃される確率はゼロに近い事になるに決まっています。

核攻撃を核保有国に行えば、核ミサイルの報復が必ずあるのです。

勿論、唯一の被爆国日本ほど、戦争の惨さを身に沁みて感じている国は他にありません。

その日本が他国を先制攻撃し、再び戦争を行う理由は100%有り得ません。

色々な考えが頭の中を巡り巡った大学2年の夏の事です。