院長の独り言 129 ; 50年前の山陰旅行 (パート4)

出雲大社、鳥取砂丘と訪ねて、なぜ次に益田を訪問したのか、皆さん不思議に思うでしょう。

それはこの山陰旅行を計画するに当たって、前回書いたように、気儘なぶらり旅と2人で決めてはいたのですが、旅行全体の大まかな計画を一応、話し合っていました。

寝台列車出雲に乗る事、出雲大社にお参りする事、鳥取砂丘に行く事、秋吉台の鍾乳洞を見る事、そして締めとして山陰では無いのですが、広島の原爆の悲惨さを原爆ドームや記念館を見学する事によって、あのような非人間的な行為が人間として何故、出来たのか自分なりに検証したかったからです。

益田には三番目の目的地、秋芳洞への中継地として泊まったと云う事でした。

その益田では前述したように、予想外の幸運に恵まれて、勇気百倍!となりました。

その親切な旅館で二泊した後、ご主人達に笑顔で見送られながら、今では交通博物館でしか見る事が出来ない年代物の古びた列車にゴトゴトと揺られ、のんびりと山口市に向って行きました。

山口県の県庁所在地は当り前ですが山口市です。

それまでどちらかと云うと、トラフグ料理や関門トンネルで有名な下関市の方が、山口県の中心の様に自分は思っていました。

果たして、実際、現地を訪れてみると、下関市は地元の経済の中心地で活気が有りましたが、それに対して山口市は街全体が落着いて、しかも整然としていて、県庁所在地に相応しい雰囲気のある街だと感じました。

現在はどうなっているのか定かでは有りませんが…。

秋芳洞は日本一のカルスト台地であり、秋吉台の地下100mに存在する、世界でも有名な鍾乳洞です。

東京の日原鍾乳洞には数回行っていたので、この日本一の秋芳鍾乳洞が日原鍾乳洞と比較して何処が違うのかを出発前から楽しみにしていました。

山口市からバスに乗り1時間程で鍾乳洞の入り口に到着し、吊り橋を渡って洞の中に入って行くのです。

鍾乳洞の中は夏なのに、まるで別世界のように寒く感じました。

世界的に有名な畦石池からなる百枚皿、見上げるほど高い秋芳洞のシンボルである見事な黄金柱、無数の鍾乳石が天井からぶら下がっている五月雨御殿、そして日本一の大きな洞内空間千畳敷などを時間も忘れて見学しました。

しかし、我が東京の日原鍾乳洞は秋芳洞より、随分とこぢんまりとしています。

鍾乳洞も場所によって、それぞれの自然が為せる技が異なり、それなりに特徴が有ると云う事が良く理解出来ました。

鍾乳洞から出て、秋吉台のカルスト台地を見渡すと、流石に広大で、所々に石灰の奇岩がニョキニョキと出ている所も有り、ビックリさせられました。

係りの人の話によると、秋吉台の鍾乳洞では秋芳洞が飛び抜けて全国的に名が知れているが、地下には景清洞、大正洞など大小400箇所以上もの鍾乳洞が見つかっているそうで、まだまだこれからも新しい鍾乳洞が発見される可能性が強いのだそうです。

秋吉台を訪れた日は随分と歩いたので、近くの温泉に泊まって疲れを取る事にしました。

しかし皆さん、山口市に温泉が有る事をご存知ですか?

湯田温泉と云って、現在は山口の奥座敷として、大変栄えているそうです。

50年前、我々がお世話になった当時は、畑のド真ん中にあった、とてもではないですが、温泉街とは程遠い感じとして記憶しているのですが…。

遠い遠い昔の事なので、小生の記憶違いかも知れません。

当の温泉は湯量が多く、とても熱くて、お陰ですっかり疲れが取れた事はシッカリと覚えています。

(次号に続く)